見出し画像

【DAY1まとめ①】デジタル時代の叡智ある生き方とは。『Wisdom2.0』ぐっときた言葉と感じたこと。


どうも、可能性を最大限に活かして生きる、マインドフルネスコーチのてるいです。


今日は待ちに待ったWisdom2.0!例年サンフランシスコで開催されていたこのイベントがついに日本で開催(日本・韓国同時開催)!しかも自宅(オンライン)から参加できるとは!ということで、鼻息荒くして参加したDAY1の個人的備忘録として、今日はnoteに特にぐっときた言葉を書いてみたいと思います。


・・・と思ったらだいぶ長くなったので、いくつか参加したうちの2つの講演から一部をピックアップすることにします!



※メモを取りながらお聞きしていたので、一部正確でない言葉が含まれている可能性があります。ご了承いただけますと幸いです。


Wisdom2.0とは?

そもそもWisdom2.0ってなんぞや?という方のためにちょっと紹介しますね!

ITの加速とともに人間らしい叡智「内なるテクノロジー」で新たな生き方と社会を築く、世界で注目のカンファレンスwisdom2.0。

以下、ホームページから一部抜粋して記載させていただきます。

Living Wisely in the Digital Age.
デジタル時代の叡智ある生き方とは

混迷の時代に自分の道を見出し、より良い未来に貢献するため、「私は何をするべきか」ではなく「世界は、私を通して、何を果たそうとしているのだろう?」そう自分に問いかけてみる。いまここに在り、本来の自分とつながる時、その答えは私たちの内側から自ずと湧き上がってくる。

「Wisdom(叡智)=内なるテクノロジー」を再発見し、AIなどによってより発展していく外側の世界を、よりよく(Well-Being)生きるための「気づき」と「つながり」が得られる場、それがWisdom2.0です。

世界や人間をより深く知るために、テクノロジー、哲学、科学、ビジネスなど、さまざまな分野をリードする世界的なスピーカーから彼らの在り方と最新の叡智を学ぶ。そして、学びを自分のものにできるよう、静かにいまここにつながる場や語らう場、体験を深める場など、さまざまな場を自由に選ぶこともできます。

Wisdom2.0は、あなた自身に変化と成長をもたらし、より良い世界を創発するためのオープンで好奇心あふれる叡智のフィールドです。
※以下ホームページから一部抜粋して記載


①ソレン・ゴードハマーさん/Wisdom 2.0創設者

ソレンさん:私たちは一見すべて大丈夫そうに見せられることもあるが、実際は大丈夫でないこともある。コロナ禍で数か月、ビジネスをどうすべきか大学に行くはずだった子供をどう育てるのか等悩みました。でも広くコロナが感染し続けています。

何が支えてくれるかということですが、いい友達がいることが本当にラッキーだと思います。毎週話せる友達が2人いますが、毎週一緒に話すことも決めずに元気ですかとかそういう話をしているんですね。そういう時間を持てることはすごく大事なんです。コミュニティとか、サンガという感覚ですよね。一緒にいるというという感覚がとても大事だと思っています。先に進む道をナビゲートしてもらってるなと思ってるんですよね。安心を感じられているんです。

ブッダ自身も、どれだけサンガとかコミュニティが重要かということを言っています。コロナの中で自分が何を大事にしているのかを考えさせられた。話すことが大切で、そうすることで苦しいときも一緒にいられるんですよね。



緊急事態宣言が出た翌週の4月中旬からマインドフルネスのオンラインサロンをはじめました。毎日実践している瞑想をせっかくだからオンラインでみんなで出来る場を持ってみるのはどうかなぁなんて考えて、小さいステップからつくり始めたこの場も約7か月が経ちました。


誰かのためにと思って始めたサロンでしたが、私自身が一番救われていたような気がします。コロナ禍で3月から完全在宅勤務が始まり、悶々とした日々を過ごしていましたが、毎日誰かにあって一緒に座って一緒に他愛もない話をする。ソレンさんがおっしゃるように、そしてブッダも言うように、コミュニティ、サンガに支えられた7ヵ月だったなぁと改めて感じました!


未来というものは今創られているということ。今私たちはこの瞬間に未来を創っているということ。



心が過去に行くと後悔が生まれ、未来に行くと心配や不安が生み出される、とよく言われますが、『今』の積み重ねが未来につながっていくんですね!私たちが生きている『今』この瞬間を大切にしようと改めて感じました。


②藤田一照さん(曹洞宗僧侶)/山崎繭加さん(華道家/ハーバード・ビジネス・レビュー 特任編集委員)


山崎さん:ハーバードの先生に生け花のワークショップをさせていただくと、単なる独特のジャパニーズカルチャーとしてではなく、何かみんながどこかで感じていてでもなんか大切だと思っているというものが出てきて、カルチャーセッションを超えた受け止められ方を感じ始めたのが今の自分の生け花につながっている。そのあとコロナがあって、アメリカは突きつけられている状況にあって、自分へのリフレクションへの問いが、それがそのまま組織の在り方やリーダーシップの洞察や、会社とは何かそこで働く意義は何なのかということが深まっているな、ということを記事を見ていると感じます。


自分への問いがつながっていくものって本当に大きいですよね!意外と知っているようで知らない自分との対話から始まっていくのですね!


藤田さん:繭加さんの活動は生けるだとすると、僕は坐るかなという感じで、これどちらも動詞なわけなんですよね。いわゆる日本語で『業(ぎょう)』という営みでさっき生け花を教えたときに何か自分たちが求めてるんじゃないかということが皆さんで共有されてと言ってましたが、たぶん外国の方たちが求めているのは『業(ぎょう)』てきなものなんじゃないかなと思います。僕は坐るというものの営みの中にあるクラウドにアップできない何かをみんなで探求していこうと。これは何か技術とか知識をつたえるというわけじゃなく、花を生けることを通して探求していく、僕は心と身体を総力をあげて坐ることをとおして何かを探求しているので。探求という態度が大事で、何かを知ることは副産物で行為自体が大事なことで、エンドレスというか終わりなき探求ということで共通しているんじゃないかなと思います。

花を生けることを通して、生ける人の身や息や心や空間自体も調えてるんじゃないかと思っています。


ク、クラウドにアップできない何かを探求!!!なんとインパクトのある言葉!なるほど・・・探求という態度、形ではなく態度。一言一言が刺さります。


繭加さん:両方の方向があって、花を生ける中でこちらも調うし、空間を飾るわけではなく、空気を清められる、私はそれが目的ではないですが、と同時にこちら側がぐちゃぐちゃだと花を活かすことができないんですよね。花を活かすためには自分の身体も心も、あとぐちゃぐちゃな部屋だと活かすことができないので、両方の動きがあるかなと感じています。

西洋のフラワーアレンジメントは人が花に働きかけて花を使って何かをつくると、アレンジするのは目的になるんですよね。生け花は展覧会や床の間におくとか出来たものが飾られてそれが空間の一要素になるという目的を果たすこともあるんですが、それ自体が目的ではないと私は考えている。

マインドフルネスを生産性向上に使いましょうとか、睡眠をとるとパフォーマンスが上がりますとか何か目的に紐づけてその行動をしようとする、そうすると予算が取れるとかいろいろあると思うんですが。別に生け花無目的です。でもただそれをやることに価値があるというのが叡智の一つの側面なんじゃないかと思っています。

花を生ける中で自分が調う。自分のあり方が調っていないと花を活かせない。花を人に置き換えると、なんだか組織とも、というか生き方すべてにリンクしてきますね!


知識をインプットして実際に行動せず頭の中で完結するのではなく、なにかをやってみる過程で、生きることを通して自分を調えていく。そして、自分のあり方が調っていないと、相手を何かを活かすことが出来ない。どちらか片方だけでなく、どちらもなんですね!チームビルディングの師匠でもある石見さんがいつも言っている「やりながらじゃないと学べない」という言葉が頭に浮かびました。うーん。生け花って深い・・・。


藤田さん:座禅は悟るために座ってるんですね、といわれることもあるけど少なくとも僕の属している曹洞宗の道元さんは悟りは起きてもいいけどそれが目的ではないし悟ったからそれが終わり買っているとそうではなくて、無限の探求が続くだけで、途中でいいもの見るかもしれないけど、見るものが目的ではないという考え方なんですよね。最近の僕のいいかただと、タスクオリエンテッド、何か達成することを思考しているか、プリセスオリエンテッド プロセスに価値を置いているかと違いがあるんですよね。ゴールに到達するために旅しているのか、旅することを目的に旅しているのか。


なるほど・・・大きく考えると人生だってすべては生きることなんですよね。何か一生涯を通してゴールを成し遂げるというより、今この瞬間をどう積み重ねて、どう旅しながらどう生きていくのか。身近にある幸せを感じながら生きるってやっぱり総じて豊かな人生だなぁと感じました。


終わりに


他にもたくさんたくさん素敵な言葉といいますか、素敵な生き方に触れさせていただきましたが、その中でも特に印象に残ったことがありました。それは、自分自身のつらかったことや失敗談を共通してお話しされていたことでした。


『キラキラ感』あるお話しや『すごい感』あるようなお話しではなく、お話しされている人だって時には悩んだり失敗したりする、というある種共通の人間性を感じて、一つ一つの言葉が「すーっと」というより「ぬぅっ」と身体にはいってくる感覚がありました。


起きた事実の何に気づき、どう解釈して、どう活かすか、そしてその体験談をどんな風にして表現して伝えるか、そのすべてが尊く本当にありがたい学びでした。


この機会をつくださった登壇者・運営の皆さま含め、関係者の皆さま本当にありがとうございました!明日も楽しみです!


***


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?