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女性性の花が開くわ ♪


ちょうど一年前
『ずっとやりたかったことをやりなさい』ジュリア キャメロン著という本のプログラムに参加してから、

歌うことに目覚めて、歌をずっと歌っている。

僕は、ずっと自分の心を表現したいと思っていて、それを最も表現できるのが、自分の声であり、それを歌に乗せて伝えることだったみたい。

それで、どんな歌を歌いたくなるかといえば、宇多田ヒカルの『初恋』だったり、bossa novaの優しい曲だったり、女性的な情緒というか、優しい世界感の曲ばかりになる。

僕の心がそういうものと共鳴しているから、女性的なものを歌いたくなる。

bossa novaのまどか先生の凛として透き通った声に憧れて、先生のキーの音は男性の僕では難しいのに、その音程で歌いたくてファルセットで頑張っている。

低いキーで歌うと、心がときめかないのだ。

テルさんは、話すときの声は、低音で紳士のようだけど、歌うと少年のようだね。と笑われるのも、悪くない。

それで、友人のソプラノ歌手かず子さんとも、歌の話をしながら、僕はどうしても高いキーで歌いたいんだよねー という話をしていたら、

最近の歌は、男性の曲でも皆んなキーが高い歌だよねー という話になり。

そうか! これは時代性なんだと直感した。

ある該当インタビューで、熊本の若い青年が出てきて、顔にメイクをするのが普通の感覚なんです。と話していたのを思い出した。
熊本は昔から、時代の空気を先取りする気質があって、この流れはもう始まっているんだと感じた。

つまり、これからの時代(人)は、女性的なもの、女性性を求めている

土の時代から、風の時代に移ったように、男性的な規律による秩序の価値観から、女性的な柔らかい調和の価値観に向かっていることの流れがあり、

破壊と創造の(シヴァ神の)時代でもある。

では、女性的(女性性 The nature of Femininity )とはなんでしょうか?

僕のマイブームは、これは、女性性? 男性性? と物事や自分の感覚を識別することなんです。

女性性とは、僕の感覚でいうと

『受容(愛される)』というあり方がベースになると思う。

<女性性>          <男性性>
・愛される、愛する   ・愛が欲しい、愛したい
・抱擁する 包摂    ・独り立ち、分離  
・待つ、耐える     ・動く、逃げる
・ゆるやかな時間    ・約束の時間
・優しさ、柔らかさ   ・力強さ、拘り
・好き、親和性     ・正しさ、機能性
・無指向、発散性    ・方向性、一点集中性
・囚われのない自由   ・因果による統制
・破壊と創造性     ・維持と継続性
・少数・弱いものの視点 ・多勢・強いものの視点
・感覚的、精神的    ・思考的、論理的
・共感的、協調的    ・独立的、縄張り的
・神に委ねて      ・神から離れて


年末に、女性性に導かれ守られた場面に遭遇したことを思い出す。

プラネタリウム映画COSMOSの近清監督と、雪が舞い散るクリスマスの日に長崎の街にいた。

夕食を食べながら、近清監督の思いつきで長崎市の科学館を訪ねて映画の宣伝をすることになった。完全なアポなしの飛び込みだ。

長崎の科学館に着くと、ご年配の館長と係長の二人が対面してくれた。

近清監督が即興でプレゼンを始めると、関心を示してくれるが、二人の男性の顔は不安そうだった。
やりたいけど・・教育委員会の許可・手続き、運営のスケジュールを心配している様子だ。

そこに、プラネタリウム担当の若い女性が現れた。映画COSMOSのパンフを見せただけで、目を爛々と輝かせていた。

彼女は、学生時代にCOSMOSを実際に合唱曲として歌っていたのだ。
僕らの代わりに館長、係長に、この映画の実現を訴えてくれて、
その流れで、そのまま教育委員会にもアポなしで飛び込むことになった。

実際に、会ってくれるかも分からない。二人で長崎ちゃんぽんを先に食べて、お昼時間の後まで待つことにした。

教育委員会でも、男性の係長が出てきたが、そこに若い女性も同席してくれた。
そして、COSMOSのパンフを二人に手渡すと、女性の方から、『COSMOS』歌っていました。と喜びの顔が溢れた。

もう、これで話は通った。やったー!!!

二人の若き女性の女神が、こんな場面で助けてくれようとは。

そして、今回の訪問は、何も計画したものではなかった。成果を出そうと、自分達の思いと相手の都合をぶつけて調整したような機会ではなく、向こうから勝手に、道が開いていったような流れであった。

教育委員会のビルを離れながら、顔を見合わせて、何だか女性性が導いてくれたねー。と頷きあったのを覚えている。

そしてぼくらは、その後に二人で、浦上天主堂と諏訪神社を訪れて、祈りを捧げたのだ。


ここで、あたり前であるが、女性性=女性ではない。
女性の中にも、男性性(アニムス)がある。逆の男性の中の女性性(アニマ)もしかり。

実際に、COSMOSの映画を実際の上映会への形にしていくためには、男性的な、手続きを進めていく論理や規律、何かを犠牲にしていく強引さ、運営をしていく組織力が必要になっていく。

また、先の話で僕が歌うことで、女性性を表現したがっている。ということを書いたが、それだけではこの世界で生きていけない。

僕は、インフラ維持という仕事をしていて、そこは相当にヒエラルキーで守られた男性性の価値観が優位の世界だ。

休みの日に歌を歌っている僕が、ある会議の中で少数の意見を抑えて、強引に意思決定をしている場面もある。(この時に、ああー男性性が出ているなーと気づいてはいたが・・)

女性性と男性性、どちらかが大事なのではなく。

今、この流れでは、どちらの性質が、必要なのかということだ。

それは、大きな時代の流れの中で、映画の良さを感じてもらうある段階で、インフラを守るための非常な意思決定の中で、

生活の中のある事柄におけるプロセスの中で、自分たちが必要な考えや行動を選択していく時に、どちらの性質が上手くいくのか、それを自覚していく必要がある。

では、この自覚していく、上位の人間の性とは、どちらの性であるべきか

僕は、女性性が良いと思う。

大いなるものと繋がった直感に従うということから、原始の生命は創造された。

やはり、女性性が鍵を握っている。

女性性を開花するには、どうしたら良いかしら?

僕の友人の女性が、言ったひと言が忘れられない。

『彼は、女性の女性性を開くのが得意なの』

その彼のことも知っているが、彼は、とても素敵な女性性を秘めていて、
男の僕も惚れているほどだ。

結局、女性性を開花するには、女性性だということか。

原点に帰って、女性性とは何か。

それは、『愛されること』なんだ。

皆んな、愛されることができたら、女性性が花開くよ!!!

愛されるためには、どうしたらいいかしら


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