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《自己存在探求の旅路》無意識、宇宙、他者、霊性

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生きている事、死ぬ事、死後の世界、神話、意識、無意識、魂、霊性、宇宙、星、素粒子、自己と他者。自分が生きてる意味とその存在、その世界について探求していくマガジンです💫💫💫💫
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最上和子とは何か!?「身体のリアル」押井守(弟)最上和子(姉)を読んで

最上和子とは何か!?仰々しいタイトルを付けてしまったが、結論から言うと(勿論本とネットで見て読んでる印象の結論だ)、 生きながらにして死のうとしてる人 生きながらにして死の空間をこの世に 出現させようとしている人。 「身体」を通して。舞踏という表現で。 それが「最上和子」という人だ。 「見てはならないものを見てしまった」 最上和子は言う。 「身体には内的身体と外的身体がある」と。 舞踏というものを通して内的空間、ヌーソロジーやシュタイナーの言う《反空間》になろうとし

命は巡り、本性を表現しつづける

第50週 3月16日〜3月22日 の記憶。 それを探る試みです。 一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。 今週は、あなたがどこに向かうのか?到達点はどこなのか? 何をベースに考えてゆくべきか?のヒントにあふれていました。 では、読み解いていきましょう! *      私の本性に語りかけ   自らを力強く表現し   大いなるものの力を解放する      分かちあう喜び:   「私の命を、あなたの中に運び   縛られているものから脱し   到達点を明らかにする

「未来とは何か!?」時間を考えるシリーズ・パートIII最終回💫💫💫

自分とは時間! 時間とは自己!! ハイデガーは凄いところに辿り着いたのである。 ヌーソロジーを始めたぼくは自分とは空間、空間とは自分。との空間認識に衝撃を受けたのであるが、それをも上回る衝撃! それはつまり全ては自分。全てはワタシというところに繋がってくる。 しかし、そこでは終わらなかったのがドゥルーズでありヌーソロジーである。 〈全てはワタシ〉をぶっ壊して先に進んだところに生成の場・生成の時間があるという。 前回までの復習💫 持続、円環する時間。 現出してくる現在は

「円環する時間」時間とはなんなんじゃー!?パートⅡ 

時間について考えるシリーズ、パートⅡ行ってみたいと思います! 存在論で名を馳せたドイツのハイデガーの登場です🇩🇪!! ドイツの哲学者ハイデガーは存在論と時間で有名だが時間を円環化している時間として表した。 ハイデガーは「存在」を「ある、いる、なる」と表した。「ある」は3次元に入れ込んだ他我化した自己の自我の事で「存在者」とも呼ぶ。 「いる」は4次元空間の主体である自己、「現存在」とも呼ぶ。 「なる」は恐らく5次元高次元存在。自己他者の交わった魂、霊。「なる」は「存在者、い

「時間」とは何なんだ〜!?過去現在未来、持続、記憶。パート1

一般的に言われているイマココ。 それは3次元世界に連続的に現出してくる瞬間、瞬間の時間である。いや、この3次元世界こそが持続世界から噴き出してくる瞬間場である。 よくイマココしかないという言説を見かけるし、少し前までぼくもそう思っていたが、それではそのイマココがどこから来るのか全く説明出来ない。 イマココしかない!と、ズバっと切り捨てるのは気持ちいいが残念(?)ながら過去はある。そして未来もある。一体全体時間とは何なのか? それでは「時間」の旅へ行ってみましょう♪♪💫

【ハーブ天然ものがたり】クローブピンク/カーネイション

カーネイションのお母さん 地中海沿岸地域を原産とするナデシコ属、学名 Dianthus caryophyllus はハーブ業界でクローブピンクとよばれるカーネイションの原種のひとつです。 学名のDianthus属はギリシャ語で、神(ディオス)の花という意味をもち、神々の王ゼウスに捧げられたハーブとして有名です。 古代ギリシャ・ローマ時代には祭りや婚礼の儀式にふんだんにつかわれ、飲みものに花びらを浮かべたり、花冠や衣装にあしらってその香りを楽しんでいたといいます。

潜象化した日本の霊性と顕在化したユダヤ精神 蘇れ日本の霊性パートⅢ

「ユダヤ人は鉄。 日本人は金。」 と、ヌーソロジー提唱者半田広宣氏がチャネリングしたオコツトは言ったという(ここで言う「金」は資本主義的価値観の金ではなく精神としての「金」)。 今、ぼくらが生きている現代文明は鉄のユダヤ精神が牽引し自我、物質化を推し進めてきた。 金が失われて鉄。鉄の文明。 金である日本人の精神は潜象化した。 前々回も載せたシュタイナーの霊視。。。 恐らくこれは潜象化した精神の世界での話。 自己があれば他者があるようにこの日本的霊性を頂点にした正四面体

〈十種の神宝〉と潜在化意識💫蘇れ日本の霊性🗾✪✡パートⅡ🌾

「一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたりや)と言って振りなさい。ゆらゆらと振りなさい。そうすれば死(まか)りし人も生き反(かえ)らん」さて、パートⅡ始まります💫💫💫💫💫💫💫💫💫💫 空海直筆十種神宝の図。 自己を映し出す辺津鏡、物質世界を反映させる沖津鏡。 それを貫く〈本当の奥行き〉の八握劔まで前回記事で紹介したので、その他の神宝とヌーソロジーの関連の続きを。 生玉、死反玉 自己と他者💫💫💫 本来的自己を表す生玉(イクタマ) 他者(他我化した自我)を

蘇れニッポンの霊性🗾✪✡🌾パート1 〈十種神宝〉とは何か!?

日本で生まれ日本で生きて日本で死ぬ予定のぼくですが、いつの頃からか自分の生きている国というものが何なのか知りたくなった。 20代の頃、梅原猛や鎌田東二の本を読み、30代は日本のエッジ、沖縄の八重山に住み弥勒ニライカナイ信仰を真っ只中で味わい、今はウガヤフキアエズ、神武天皇のパパのお墓の近くに住んでいる。 宮崎の高千穂に行き、「アマテラスの暗号」というユダヤ、キリストをベースに真名井神社や伊勢神宮、それを繋ぐ神社の秘密を書いた本も読んだ。何が正解かはわからないが、色々あって成立

高次の自我と低次の自我 霊我とは何か!?

今まで散々、自我だ他我だと書いてきたが、どうやら自分が書いてきた自我、他我は古来からの叡智を探る哲学者や偉大なる霊視能力者達からすると低次の自我のようだ。 低次があるということは高次の自我がある。そしてさらにその先に霊我があるという。 ぼくは元々このあたりはヨガ哲学から出発した。 自我と真我がを一つにすること。 それがヨガの意味繋ぐということ。 ヨガの目的であるサマーディに到達するということ。おそらくはその先に他者の魂との絡みと霊我なる段階がある。 この記事で答えが出るこ

詩的言語/サンサーラの言葉とニルヴァーナのコトバの二辺を離れる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む

しばらく前のことである。 「人間は、死ぬと、どうなるの?」 小学三年生になった上の子が不意に問うてきた。 おお、そういうことを考える年齢になってきたのね〜。と思いつつ。 咄嗟に、すかさず、大真面目に応えてしまう。 生と死の二項対立を四句分別する。 念頭にあるのはもちろん空海の「生まれ生まれ生まれて、生のはじめに暗く 、死に死に死に死んで、死のおわりに冥し」である。 こういうのは子どもには”はやい”、という話もある。 が、はやいもおそいもない、というか、はやからずお

”心”の表層を剥がしていくと -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(2)

ひきつづき中沢新一氏の『精神の考古学』を読みつつ、ふと、松長有慶氏による『理趣経』(中公文庫)を手に取ってみる。かの理趣経、大楽金剛不空真実三摩耶経を、かの松長有慶氏が解説してくださる一冊である。 はじめの方にある松長氏の言葉が印象深い。 苦/楽 大/小 何気なく言葉を発したり思ったりする時、「その」言葉の反対、逆、その言葉”ではない”ことを、一体全体他のどの言葉に置き換えることができるのか、できてしまっているのか、やってしまっているのか、ということをいつもいつも、「頭

大阪紀行🏯🐙🐯初滞在記

ぼこ🫧ぼこ🫧ぼこ🫧 🫧またまた深海冬眠中の話🫧 ここは深海。 どれだけここに潜り込んでいたかもうぼくにはわからない。時間の感覚もからだの感覚もなくなっている。自我と魂、意識が混濁として海水と混じり合ってるかのようだ。 「さあ、目覚めの時が近づいる、TERUTERUよ、春ですよ!」 ふわぁっとあくびをしつつ重たいまぶたをゆっくりと上げていく。  「ん!?誰だ!?」 何処とも誰ともしれない声がぼくに呼びかける。 深海に潜り込んでたはずだったが眩い光がさしてくる。闇が生み

柳田国男「山人論」、折口信夫「マレビト論」、岡正雄「異人論」の戦い

柳田国男の「山人論」、あるいは、それから転向して唱えた「常民論」と、折口信夫の「マレビト論」、岡正雄の「異人論」、その3者の理論的な争いや関係ついて、霊魂観の違いや、民俗学と民族学と違い、経済人類学・社会人類学などの観点から、簡単にまとめます。 と言っても、とても長い文章となります。 柳田の山人論 柳田国男の民俗学は、平地の農民を「常民」と表現し、その本来的な世界観を「固有信仰」として描くことが特徴とされています。 ですが、彼の研究は、「山人の研究」(1910)以来、日