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砕かれた魂は何かに憑依する

1926年に発表された葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」が怖い…。

ある工事現場のセメント樽の中に一通の手紙の入った箱が紛れ込んでいた。その箱を見つけた工員がその手紙を開く。その手紙の冒頭には次のように書かれている。

私はNセメント会社のセメント袋を縫う女工です。
私の恋人は破砕機へ石を入れることを仕事にしていました。
そして十月の七日朝、大きな石を入れる時にその石と一緒にクラッシャーの中にはまりました。石と恋人は砕け合って赤い細い石になってベルトの上へ落ちました。
細く細くはげしい音に呪いの声を叫びながら砕かれました。そうして焼かれて立派なセメントになりました。
骨も、肉も、魂も粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。
残ったものはこの仕事着のボロばかりです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
私はその次の日この手紙を書いてこの樽の中へ、そうと仕舞いこみました。

著者の葉山嘉樹はいわゆる労働運動に身を投じた男。当時の労働の過酷さ、現場の劣悪さを皮肉った物語である。

私たちの日常の何気ないものができる背景には、このような劣悪な労働があったのだという。「幸せに生きる人々はそのことを知らない。経済成長の裏には、こんな犠牲があるのだ」…みたいなナレーションと共に引きの絵で幸せな人々の姿が映りそうなエンディングがさもありそうな話だ。

それに労働者がセメントになる…何か人間でないものになるというのがまた…砕かれた魂が人間でないものに乗り移る霊っぽいというか、妖怪っぽいというか…。言い方悪いですが。怖ろしい。

労働者の過酷さをメッセージした有名な物語としては、小林多喜二の「蟹工船」がある。本作は1926年、蟹工船は1929年、ほぼ同じころに書かれたものだ。蟹工船の最後が労働者に過酷な労働を強いていた監督も首を斬られるというより資本主義っぽい話ではある。

明治初頭の「自由(と孤独)」を描いた夏目漱石らの小説を読んでいたあとだったので、そのギャップに面食らってしまった。学問だの、恋だの、親子、友人の裏切りなんて上級国民の話じゃないかと。

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