「表現の自主規制」の危険性とGAFA憲法

さて、先日、TwitterにおけるTPO自主規制論を批判する、
次の記事を公開したわ。

2022年1月10日時点で、375スキを獲得! 皆様ゆっくりありがとう!

さて。前回は自主規制の危険性そのものについては簡潔に触れる程度だったけど、今回はこれをメインテーマに格上げして、より詳細に語るわよ!

でも、ただフツーに「自主規制はヤバイわよ!」といっても、マンガ家さんや編集者さんのような現場にいる人たち以外には実感が湧かないし(私もそうよ)、また、次のような批判もあるでしょう。

① 「自主規制」はあくまでも「民間企業の(経済的)自由」だから、憲法上問題なく、むしろ権利として保障されるべきでは?

② 「自主規制」は民間主体で行われているから、法令的規制より安心! むしろやるべき!

③ 気に入らない「自主規制」をしている企業があるなら、そうではない他の企業を選べばいい。

④ 「自主規制」なんだから、企業の自由に任せていればいい。

⑤ 妥当でない「自主規制」がもしあっても、市場原理によって淘汰されるはずだから大丈夫!(神の見えざる手で「良い自主規制」が生き残る)

じっさい、表現の自由を守ろうと公言している人の中にも、こうした論を支持する人たちが相当数いるわ。

あるいは、自主規制にもちゃんと抵抗するように呼びかける人でも、上のような批判を受けた時、

「うーん……。そうかぁ、そういうことなら、少し我慢しないといけないのか……。」

みたいに考える人もいるでしょう。

……そんな"手加減"をしてやる必要はない。

そもそも、「表現の自由を守る」という活動の内実がよ?

個別企業や出版業界、ネットサービス事業者、ビッグテック企業等による自主規制によって仕事を奪われ、嘆き悲しみ、怒っているクリエーターさんに対して、

「それは企業側の(経済的)自由だから、仕方ないんだよ……」
「圧力があっても潰されないくらい、面白い作品を作ればいい!」
「それでもダメなら、個人事業で起業すればいい!」

と訳知り顔で肩ポンして回るのは、
断じて「表現の自由」を守る活動でも何でもないのだわ。

では、本論に入っていきましょう! 上の①~⑤は当然ちゃんと扱うわよ!

【2022年1月13日追記】
本記事が、とつげき東北氏のnote記事で取り上げられております。

特に、本記事の憲法や「市場原理」に関する部分について、論の相違点や欠点などの御批判・御説明を頂きました。
また、コンピュータシミュレーションを用いて、表現規制の定量的分析が示されており、私への批判を差し引いても大変充実した内容となっておりますので、読者の皆様にも一読をお薦め致します。
【追記ここまで】


「自主規制」で損なわれる表現の自由

最近ではMastercardVISAのようなクレジットカード会社が、PornohubFANZA(旧DMM)、コミックとらのあなに表現規制の圧力をかけているのは周知の通り。
神崎さんの次の記事でも紹介されているわ。

 2020年12月に、世界最大のアダルトウェブサイトPornhubに対して、VisaとMastercardが決済停止を行ったことが話題となりました。
 これにより、Pornhubの決済手段は仮想通貨のみとなったのですが、重要なのは「決済手段を提供する企業が停止処分を試みることで、表現規制をしなくとも事実上の検問が可能となる」という点。
 例えば、仮にクレジットカードの決済会社が、日本共産党が言うような「非実在児童ポルノ」を懸念して、『PIXIV FANBOX』『DLsite』『とらのあな』等のサイトに決済の停止処分を行ったとしたら、オタク文化の表現とクリエイターは致命的なダメージを負うでしょう。

神崎ゆき『エンカレッジカルチャーとは何か―表現と文化を守る5つの方法』(2021)visited 2022/1/8
※強調は引用者による。

また、クレジットカード会社のみならず、大手プラットフォーム事業者、特にGAFA(Google, Apple, Facebook, Amazonの略称)による圧力やそれによる事実上の検閲が問題になっているわね。

GAFAによる表現規制については、白饅頭さんが『GAFA憲法』と題した記事で詳細に述べていらっしゃるわ。

※GAFAは最近ではNetflixを加えてFAANGとも呼ばれるし、また中華系企業も含めるべきか等の議論もあるけど、今回は「GAFA」で表記を統一するわね。

 世界規模のマーケットやプラットフォームを占有する企業がつくる私的ルールやレギュレーションは、いち国家の憲法や法律よりもすでに強くなりつつある。

 たとえば、かりにある国が自身の憲法によって保障された「表現の自由」を大事に遵守していたとして、それがGAFA憲法の「許容される表現のルール」を逸脱してしまっていれば、かれらの「グローバルな表現マーケット」からは締め出される。グローバルな流通から排除されたその国の市民社会は、実質的に「表現の自由」を存分に享受できず、その実質性を棄損されてしまうに等しい。こうした権力の非対称性を背景にして、結果的にその国の経営者ひいては権力者ですらも、じわじわと「GAFA憲法」に従わざるを得なくなっていく。

白饅頭『GAFA憲法』白饅頭日誌(2021)visited 2022/1/8
強調は引用者による。

白饅頭さんはAppleによるiCould監視を例にしているけれど、僭越ながらもう少し事例を付け加えさせてもらうわね。

例えば、Amazonは、一部のマンガをストアから削除したのは有名よね。(確認されている限りでは、『無邪気の楽園』『奉仕委員のお仕事』『死なずの姫君』『被虐教室』等々。)

問題なのは、削除されたのがごく一部であっても、萎縮効果は大きく作用するという点よ。出版社としては「Amazonで売れません」はビジネスチャンスを酷く損なうわけで、そうならないためには、「引っ掛かりそうな表現はするな」と作家に"アドバイス"することが合理的な判断でしょう。この場合、その出版社の自主規制にAmazonルールを取り込まれることになるわ。

更に「これは出せません」と言われる前に、商業連載を目指す作家さんは、「このネタで作品を作ると、断られやすいからやめておこう」という事前抑制も働くわよね。これはまさしく表現の萎縮として知られる現象よ。

Amazonによる一方的なコンテンツ削除については、2016年にも講談社が正式に抗議文書を提出していたりもしたわね。

講談社は3日、アマゾンジャパン(東京・目黒)の読み放題サービス「キンドル・アンリミテッド」で同社の全ての作品が読み放題の対象から外れたことに対して抗議文を発表した。9月30日に1000以上の作品が通告なしに削除され、他の出版社の作品も減少したり提供から外れたりしている。

日本経済新聞『講談社、アマゾンに抗議 「読み放題」巡り』(2016/10/3)visited 2022/1/8

また、FacebookやTwitterといったSNS大手は、凍結を頻繁に行うことで知られているけれど、こうした行為の少なくとも一部は「表現の自由」を損なうものとして問題視されているわ。

 米国の判例において、SNSのプラットフォームについては、人々の情報入手やコミュニケーションの場となる「今日的な公共広場」として位置づけられ、それに対するアクセスの禁止は米国憲法修正1条の規定(以下、単に「修正1条」という)に基づく権利(言論の自由)の正当な行使を阻害すると説かれている。
 アルゴリズム利用情報管理は、私人による行為とはいえ、流通情報へのアクセスを遮断し得ることから、修正1条の趣旨に反するようにもみえる。実際、米国の学説上、当該管理の主な弊害の可能性(懸念材料)として、以下の各点が指摘されている。
 第一に、「私的検閲」に結びつくおそれである。これは、政府による言論の事前規制に極めて慎重であった言論の自由の伝統に背馳する可能性を内包するとされる。
 第二に、利用者間の「差別」を助長し、一部の利用者が「操作」されるおそれである。このため、必ずしも透明性の高くないアルゴリズム利用情報管理のあり方に合わせて自らの行動を調整し、差別的な取扱いから逃れようとする利用者側のインセンティブを生むとされる。

海野 敦史『プラットフォーム事業者による流通情報の管理を通じた表現の自由の保障のあり方 ―米国法上の議論を手がかりとして―』情報通信学会誌(2020), Vol.37 No.4, pp.65-75.
※強調は引用者による。

プラットフォーム事業者による「自主規制」は、単なる民間企業の自由として全面的に許容できるものではないわ。(全面的に拒否できるものでもないけど。)
だからこそ、しっかり民間企業が主体となる問題であっても憲法上の問題として扱われているわね。

ここには利用者の表現の自由を損なうという大問題が含まれているからよ。

同じ論文から次の部分も引用しておきましょう。
ポイントとしては、

・プラットフォームは管理方法次第で、利用者の表現の機会を事実上剥奪する。
・利用者の表現の自由への脅威となるため、プラットフォーム事業者側の自由に関しては、"憲法規範内在的に"縮減されうる。

この2点に着目しつつ読んでちょうだいね。

主要なプラットフォームが「情報流通の基盤」として「事業者・消費者の社会経済生活において不可欠な存在」と位置づけられている今日において、言論選別型管理は利用者の貴重な表現の機会を事実上剥奪し得るものにもなる。これは、国民各人が簡便な方法で表現活動を行ううえでの「致命傷」となり得る。また、仮にアルゴリズム利用情報管理が野放図にされた場合、特定の独占的なプラットフォーム事業者により各人のオンライン上の表現の自由のあり方が事実上決せられ、流通情報の取扱いに対する「権力」の濫用等の危険性が生じ、利用者の表現の自由等への脅威となり得る。それゆえ、当該自由等との権衡上、憲法規範内在的に、言論選別型管理における表現の自由の行使可能範囲は部分的に縮減されると考えられる。

海野 敦史『プラットフォーム事業者による流通情報の管理を通じた表現の自由の保障のあり方 ―米国法上の議論を手がかりとして―』情報通信学会誌(2020), Vol.37 No.4, pp.65-75.
※強調は引用者による。

言論選別型管理は利用者の貴重な表現の機会を事実上剥奪し得るものにもなる。
特定の独占的なプラットフォーム事業者により各人のオンライン上の表現の自由のあり方が事実上決せられる。

つまり、白饅頭さんが指摘した通り、クレジットカード会社やプラットフォーム事業者による圧力によって、「実質的に「表現の自由」を存分に享受できず、その実質性を棄損されてしまう」という問題は深刻なのよ。世界的にも憲法論的にも厳しい目が向けられているのだわ。

したがって、次の見解に私は反対しているわけ。

① 「自主規制」はあくまでも「民間企業の(経済的)自由」だから、憲法上問題なく、むしろ権利として保障されるべきでは?

民間企業に自主規制を決める権利があるのはそうだけど、それは全面的なものではなく、「利用者側の」表現の自由との兼ね合いを検討し、必要に応じて制約されなければならないわ。(比較衡量ってやつね!)
それは普通に「憲法上、問題ある」ということに他ならない。

ただし、だからといって常に・どんな自主規制でも人権侵害(表現の自由の侵害)になるというわけではない事には注意してね。最終的には個別判断が必要でしょう。これは「自主規制は表現の自由の侵害にならない」が常に成立するわけではないのと同じよ。


国家権力が間接的に表現規制を行うパターン

また、国家権力が民間を経由して、間接的に表現規制を行うパターンもあって、これまた大問題よ。「自主規制=国家権力は関係ない」は常には成り立たない。

例えば、学習院大学の青井未帆教授は、あるコンビニコミックが撤去された事件(宮崎学氏国賠事件)について、「私人を介した表現の事前抑制」にあたるとして厳しく批判しているわ。(すぐあとで述べるから、ちょっとゆっくりしてね)

「私人を介した」がどういう意味かと言うと、この宮崎学氏国賠事件においては、まず国家権力(本件では福岡県警)が直接にコミックの撤去を命じたわけではないのね。

じゃあ、どうしたか?

文書でコンビニ各社に「"適切な措置"を講じていただく」ように「ご協力のお願い」をしたのよ! 

それによって、「あくまでもコンビニ各社の自主規制である」という形式を作ったわけ。ヒューッ! 頭いいわね!

――ただ当然、青井未帆教授は批判しているのよね。

県警はコンビニ各社を介して、これに対する事実行為たる行政指導により暴力団関係書籍の撤去をなさしめた。しかし本件状況下においてコンビニ各社には、過剰に表現を自主規制(自己検閲)し、撤去する誘因が働くこと、そして、コンビニとコンビニコミック出版社との関係においては、前者が後者に多大な影響力を持っていることに、注目すべきである。表現の自由のもつ「こわれ易く、傷つき易い」性質や、その萎縮効果の高さ、そして自由な情報流通の仕組みが守られるべきことに鑑みるなら(憲法21条)、本件において採られたような手法によって行政が書籍撤去という目的を達成してはならず、もしこれを行おうとするのならば、県警は明確で特定的な法的根拠の下で、適正な手続を踏むことにより行う必要があった(憲法31条、41条)。

(中略)

もし仮に福岡県が、一定の暴力団関係書籍をリストアップし、コンビニでの販売を禁じたとしたら、そのような直接的な手法は、憲法21条に違反しよう。とすると、つまり「私人を介した事前抑制」という手法により、直接的には不可能である事柄が可能とされるのである。法的根拠なく無制限に、「社会的風潮」を理由に公権力が私人に表現物の取扱い抑制を求められるのだとしたら、公権力はいとも簡単に、事前抑制あるいは検閲によるのと同様の、実際上の効果を得ることになる。

青井未帆『論説:私人を介した表現の事前抑制―法的根拠の必要性について―』学習院法務研究第7号(2013), pp.33-72.
※強調は引用者による。

要約:ふざけんな。

……ま、そりゃそうよね。

特に重要なのは、「「私人を介した事前抑制」という手法により、直接的には不可能である事柄が可能とされる」点よ。

この「もし同じ規制を国家権力が直接やったとしたら、それは是とされるのか?」は規制の妥当性を考えていく上で、今後ずっと使えるでしょう。

また、「自主規制」とは言うけれど、その「自主性」(任意性)には、本件の場合は特に大きな疑問符がつくことも説明されているわ。

自主性は、「相手方の任意性が客観的にみて期待できないような場合」には否定されるという話が当然あって、本件はそれに該当するという主旨よ。

コンビニはオリジナルな表現者ではなく、表現の媒介者たる私人に過ぎない。今後の警察との友好的な関係の維持を考慮に入れて、「警察にたてついてまでコンビニコミックを置く必要はない」との効用計算をすることは、合理的な行動ともいえる。私人たる言論媒介者が、社会における自由な情報流通の仕組み(表現の自由市場)を維持するために、社会経済上の不利益や制裁の危険をおかすなどということは、想定し難い。特に福岡県下の暴力団対策をめぐる「社会的風潮」(これは原判決の言葉である)の中でコンビニには、むしろ「世間から非難されるかもしれない」とそれが危惧する表現までをも過剰に自主規制し撤去する、大きな誘因が働いたかもしれない。

青井未帆『論説:私人を介した表現の事前抑制―法的根拠の必要性について―』学習院法務研究第7号(2013), pp.33-72.
※強調は引用者による。

自主性を否定するにあたって、単に原理上、「断ろうと思えば断れた」では足りないということね。必要条件ではあっても十分条件ではない。
また、こちらの黒猫亭さんのご見解も併せて紹介させて頂くわね。(2018年と若干古いツイートだけれど。)

前のnote記事でも述べた通り、「企業の営利活動だから」という理由で「表現の自由」にまつわる批判から逃し、聖域化することについて、私は絶対的に反対よ。


他の企業のサービスを使えばいいのでは?

これもよく言われるんだけど、「その自主規制が嫌なら、他の企業にするか、自分でやればいい!」という批判があるわ。

確かに、正しい面もあるわね。マンガをある雑誌で連載しているとして、「打ち切りは嫌だから、掲載しつづけろ」と要求してもそれは無理。そこはさすがに企業側の契約自由の原則(私的自治の原則)の範疇でしょう。

けれど、この契約自由の原則も、表現の自由と同様、無制限に拡大できるものではないわ。

実際、その「自分でやればいい」を実践した例があるのよ。

FacebokやTwitterにおいて、保守派寄りの意見を投稿するとアカウントの凍結・削除がなされるという問題に対し、新しいSNSが立ち上げられたことがあるの。そのSNSの名前はParler(パーラー)。
次のような理念を掲げていたわ。

・時勢に流されたシャドウバン(shadow-banning)は行わない。
・人種、性別、年齢、性的嗜好、宗教、政治、食の選択に関わらず、全てのユーザーは平等に扱われる。
・あらゆる宗教の信者も、あるいは非信者も、市民的に語ることを歓迎される。
・コンテンツに対してバイアスのかかった取捨選択を行う方針は、ユーザーの怒りを呼び起こし、コミュニティのガイドラインに影響を与えてしまう。中立な視点を持ち、あらゆる非暴力的な意見に耳を傾ける人々を支援する。

Parler-Wikipedia visited 2022/1/8

そして、どうなったか?

GoogleとAppleは自社のアプリストアから、Parlerを削除。
AmazonはAmazon Web Services(クラウドサービス)のParlerへの提供を停止。

……Parlerは、稼働できなくなったわ。

じゃあ今度は何? 「アプリストアを自前で立ち上げればいい!」とでも言うのかしら。そして次はスマホを開発して、ネットワークを敷設する通信事業もやれと? ああそうそう、クレカ会社も起業しなきゃね! 大忙しなのだわ~!

……うん。

さすがに少しイラッとして、感情的になってしまったわ。

違くて。まあまあ、ゆっくりしましょう。

要するに「表現の自由」が、たかが「自宅のプリンターで印刷したビラを駅前で配れる自由」まで縮減されるようでは困るのよ。資本主義の成功者(代表的にはGAFAなど)およびその成功者の意向に迎合する人にしか実質的な自由はないというのでは、「表現の自由」を掲げる現実的意味がまったく無いでしょう。

Parlerを開発した会社のCEOのジョン・マッツェさんは当時の取材に次のように回答しているわ。

ジョン・マッツェ最高経営責任者(CEO)はフォックスニュースの取材に対し、「テキストメッセージや電子メールのサービス会社、さらには弁護士まで、あらゆる組織が我々を見放した」と述べた。
「できるだけ早くオンラインに復帰できるよう最善を尽くしているが、交渉したサービス会社には全て、アップルとグーグルが承認しなければ一緒に仕事はできないと言われ、たくさんの問題を抱えている」
(中略)
クルーズ氏は週末、ツイッターに「なぜシリコンバレーの一部の大富豪が、政治的言論を独占しているのか?」と投稿していた。

BBC News Japan『SNS「パーラー」がアマゾンを提訴 サービス提供停止で』(2021/1/12)visited 2022/1/8
※強調は引用者による。

幸いParlerは2022年現在は再稼働しているのだけど、「存在していい言論かそうでないかをビッグテック企業が決めてしまえる」という問題が浮き彫りになった事例よ。

だから次の見解について、私は全面的ではないにせよ、異論は唱えざるを得ない。

③ 気に入らない「自主規制」をしている企業があるなら、そうではない他の企業を選べばいい。

これはGAFAほどではない企業に関してはそうでしょう。ジャンプの乳首規制がイヤだから他の少年誌を探す。たいへん結構。

けれど、それが「乳首を描くと、コンビニに置かれなくなる」とか「全国の書店に並べてもらえなくなる」「クレカ決済も不可」といった流通・業界単位の自主規制だと話が変わってくるわよね。

更にGAFAレベルになると、彼らはやろうと思えば、

「グローバル市場を使えなくする」
 上の例なら、アプリストアからその出版社のマンガアプリを削除する。他の作品の巻き込み? 知ったこっちゃないわよ。Parlerは問題ない投稿"も"多数あることなんて完全無視してアプリごと削除されたでしょう。

「一般に思いつく"反逆する方法"まで止めにかかる」
 
例えばクレカ会社や印刷会社、書店、運送業者に至るまで圧力をかけておく。「敵」に協力するなら、どうなっても知らないわよ?(ちなみにこの圧力は、必ずしも直接かける必要もないわね。数社を見せしめにすれば萎縮効果は十分期待できるから。)

このあたりまで可能な訳よね。で、それは「民間企業の自由だよね!」で許してていいのかという問題があるのよ。


世界的にも「好き勝手」やらせるつもりはない

トランプ前大統領のTwitter凍結事件では、世界的にも「さすがに表現の自由を考えろ!」の大合唱が起きたわ。

このトランプさん凍結に関しては、三菱総合研究所の資料『インターネット上の違法・有害情報を巡る米国の動向』が非常にまとまっているので、その中から紹介しましょう。

なお、「民間企業の自主規制だからセーフ」なんて「ぬるい認識」は世界もしていない事を伝えるため、ちょっと長めに引用するわ。
めんどくさい人は、重要部分を引用直後に抽出してあるから、そっちを読んでね。

【欧州委員会の見解】
欧州委員会の域内市場担当委員で、大手テック企業の規制に向けた欧州の取り組みのキーマンであるティエリー・ブルトンは、政治ニュースサイトのPoliticoに寄稿した論説のなかで「チェック・アンド・バランスが何も働かないところで、CEO(最高経営責任者)がPOTUS(米大統領)の拡声器の栓を引き抜けるという状況には当惑を禁じ得ない」と記している。
フォン・デア・ライエン委員長はダボス会議にて、Twitterの決定を「表現の自由に対する深刻な干渉」だとし、「こうした広範囲にわたる決定のための法律の枠組みを構築するために、米国と海外の規制当局が協力して取り組むべきだ」「デジタル経済のルールブックを一緒に作りたい」と述べた。

【仏・閣僚の見解】
フランスのルメール経済・財務相は11日、ラジオで、トランプ氏の「嘘」を非難する一方で、「巨大IT企業に対する規制は、業界の寡占企業が自分で行うことではない」と発言。Twitter上で発信される偽情報や扇動発言には、国や裁判所が対応すべきだと主張した。同氏は以前「ビッグテックは民主主義に対する脅威の一つだ」とも述べていた。また、欧州連合(EU)担当のクレマン・ボーヌ下級大臣は、「民間企業がこのような重要な決定を下すのを見てショックを受けている」「これはCEOではなく、市民が決めるべきことだ」と述べた。

【独・メルケル首相の見解】
ドイツのメルケル首相は、短文投稿サイトの米ツイッターが自社サービスからトランプ米大統領を永久追放したことについて、表現の自由を制限するのは立法者のみであるべきだとして「問題だ」と苦言を呈した。ザイベルト政府報道官が11日の定例会見で、メルケル氏の見解を明らかにした。ザイベルト氏は「表現の自由は基本的人権として非常に重要だ。制限は可能だが、立法者が条件を決定すべきで、SNS(交流サイト)運営会社の経営陣の決定に従って決めるべきではない」と述べた。

三菱総合研究所『インターネット上の違法・有害情報を巡る米国の動向』(2021)visited 2022/1/8
※強調は引用者による。

重要な発言を抜き出すと、

「チェック・アンド・バランスが何も働かないところで、CEO(最高経営責任者)がPOTUS(米大統領)の拡声器の栓を引き抜けるという状況には当惑を禁じ得ない」

Twitterの決定は「表現の自由に対する深刻な干渉」だ

「ビッグテックは民主主義に対する脅威の一つだ」

「民間企業がこのような重要な決定を下すのを見てショックを受けている」「これはCEOではなく、市民が決めるべきことだ」

表現の自由を制限するのは立法者のみであるべきだとして「問題だ」と苦言を呈した。

このような情勢から、やっぱり次のこちらの見解にも反対よ。

④ 「自主規制」なんだから、企業の自由に任せていればいい。

民主的な議論を経由せずに、実質的な表現の自由がこれほどまでに制限される――しかもこの例では、「マンガ、アニメ、ゲーム等」の問題に限らず政治言論のレベルに至っている――のは、明確に表現の自由の危機だと言うべきだわ。

前回の記事でも述べたとおり、民間企業の自主規制はあまりにも透明性も説明責任もなく、民主的な議論と決定のプロセスを経ていない。それなのに、影響力は国家権力以上でありうる。

米国司法省は、プラットフォーム事業者に対し、次の勧告を出しているわ。

【司法省による勧告】
・ 言論の自由は民主主義の根幹であり、インターネット上の言論も同様に保護されるべき。
・ 他方で、プラットフォーマは明確な根拠や事前の通知等もなく言論を選択的に検閲しており、米国の言論を阻害。
・そのため、プラットフォーマに透明性・説明責任を求め、言論の自由の確保等のための基準・ツールを奨励。
・ 関係機関(連邦通信委員会)は、上記選択的検閲等の防止の為、プラットフォーマによるユーザー投稿の削除等に係る民事上の免責規定の適用要件の明確化等を行うこと。

三菱総合研究所『インターネット上の違法・有害情報を巡る米国の動向』(2021)visited 2022/1/8
※強調は引用者による。

思想の自由市場、「市場原理」はどこまで頼りになる?

さて。最後の問題に入りましょう。

⑤ 妥当でない「自主規制」がもしあっても、市場原理によって淘汰されるはずだから大丈夫!(神の見えざる手で「良い自主規制」が生き残る)

この市場原理論もけっこう多いのよね。
ただ、市場原理に任せる事に関しては、私もある程度は正しいと思っているわ。

前提として、公平で自由な競争によって、経済的に勝つ人・負ける人が出るのは当然でしょう。それが国の豊かさの維持・発展に繋がっているのも分かる。

例えば、出版社が行う表現の自主規制についても、読者の好みをひどく損なう内容なら不人気となり売上が下落し、そうでない「ゆるい」自主規制の出版社がいずれは売上が伸びて勝利する。

なるほど、こういったストーリーは市場原理の考え方から描けるでしょう。

とはいえ、市場原理によって上記のような「良い」均衡に達するのは、あくまでも「いずれはそうなる」という話よね。じゃあその「いずれ」は何時になったら来るの?

「均衡に達するのにかかる時間」は市場原理論では保証されていないところで、マクロには最終的に「見えざる手」が成立するとしても、ミクロ(個別の事例)に関しては「時間がかかりすぎる」問題が普通に出るわ。

例えば、VTuberの戸定梨香さんの交通安全啓発動画がフェミ議連の非難によって削除された件。
市場原理に基づいて「VTuberにちゃんと社会的需要があるなら、そういう規制圧力は、いずれはなくなっていく」と論じられるとしても、それ、いま困ってる戸定さん的には何ら嬉しくないわよね。

市場原理論は一定まで正しいとしても、人間は「見えざる手」を待っていられないのが現実なのだわ。


おわりに:これから私たちはどうすべきか?

今回は、自主規制の危険性を伝え、またそれが「表現の自由」の問題に他ならないこと、およびGAFA憲法のヤバさについて述べたわ。

「実質的な」「事実上の」表現の自由を守るには、企業の論理に任せているわけにはいかない。任せていれば、表現の自由そのものが崩壊するでしょう。

異論反論がある人はいると思うけれど、少なくとも「自主規制なら大丈夫」「自主規制なら民間企業の自由に任せていい」「GAFAの自由を守ろう!」といった素朴な論は正当化し難いことは示せたでしょう。

とはいえ、この記事をここまで読んで下さった方なら分かるように、「表現の自由」を守る戦いは、極めて厳しい状況にあるわ。
米国司法省による勧告は、他国の話とはいえ励まされる内容だけれど、問題の発端となったトランプ前大統領が選挙で負けたことで一旦白紙になっている状態よ。

画像3

選挙に負けた人

トランプさん……それだけでも任期中にやっていって欲しかったのだわ……。

さて。厳しい中でどう対処していくか、自主規制にどう抵抗していくかは難しい問題ね。いちばん良いのはビッグテック企業になってお金の力ですべてを蹂躙することなんだけど、とりあえず日本で起業しても無理ね。時価総額トップのトヨタですら、GAFAと同じ行為はやろうと思っても出来ないから。

第一、GAFAより成功した企業を作らないと「表現の自由」が享受できないなんて、人権思想としては完全にメチャクチャだしね。

出来ることは限られているけれど、GAFAクラスの権力については、国家権力しか頼みの綱がないのも現実。
私は、こうした脅威に対し、表現の自由を守るための法律が必要だと思ってるわ。

以下の見解に深く賛同するところよ。

言論選別型管理に比べ、情報配置検索型管理における表現の自由の行使可能範囲は拡大し得るが、それらの広範な行使は、利用者の表現の自由に関する法益を著しく害し、又は当該表現における不当な差別的取扱いを惹起するなど、憲法規範内在的な「利益の調整」を必要とし得る。プラットフォームの利用が一般的ではなかった時代においては、かかる調整は「私的自治」に委ねることで足りたかもしれない。しかし、主要なプラットフォームが国民生活に不可欠となっている今日では、アルゴリズム利用情報管理表現の自由の行使は、利用者の表現の自由等の保障を著しく妨げない範囲内でのみ許容され得る。その意味において、当該自由の行使は憲法上正当に「制約」される。
(中略)
 アルゴリズム利用情報管理における表現物の「選別」に際しては、プラットフォーム事業者による基本的な指針があらかじめ利用者に提示されることを確保するなど、立法措置を通じて適切に統制されることが望ましい。これまで、政治的表現を中心とする表現の自由の保障のあり方については、その制約となる立法を極力抑制することが重視されてきた感があるが、殊にアルゴリズム利用情報管理表現の自由に対しては、むしろ積極的な立法が期待され得るという点において、特徴的である。

海野 敦史『プラットフォーム事業者による流通情報の管理を通じた表現の自由の保障のあり方 ―米国法上の議論を手がかりとして―』情報通信学会誌(2020), Vol.37 No.4, pp.65-75.
※強調は引用者による。

もちろん、どういう法律にするのかは大変な課題よ。適当に作れば国家権力側の濫用が心配になるし、また「ぎりぎり違反していない」何らかの法的屁理屈が編み出されて骨抜きにされる恐れもある。特にGAFAは脱税スキームで法の穴をつく実績があるしね。

もっとも、私は法律の専門家ではないから、法文の作り込みに関しては誰かにお任せしたいわね。(別に「こんな感じ?」と仮作成することはできるけど、抜け漏れの多い法文になって、叩き台としてもあまり意味がないと思うわ。)

個人レベルで出来ることは多くはないけれど、

1.「表現の自由」を守ってくれる議員を応援・支援する。
2.インターネット上の「表現規制派」には常に対抗言論をぶつけていく。
3.エンカレッジ・カルチャーの実践が可能な対象については、引き続き「エンカレッジ」する。
4.プラットフォーム事業者やクレジットカード会社の「自主規制」について情報開示と公開された議論を求めていく。

うん、とても地道ね。……それでも地道に、泥臭くやっていくしかないのだわ。一発ですべてを打開するような「ナイスアイデア」は無い。

「表現の自由」を自主規制から守る戦いは、どうしたって地べたを這いずるように行うしかないのよ。

今回はここまで!

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