見出し画像

「僕が自主映画を作る理由」について。

3回目の投稿にして、ようやく自己紹介をします。
深夜の4時を回ったというのに、昨日観た自主制作映画に本当に感銘を受けたから。


僕は、1991年生まれで 執筆時27歳です。
全部話すと長くなるんですが、小学校で映画にハマりました。
最初に『スター・ウォーズ』で映画好きになったせいで、昔からずっと洋画派なんです。
でもこのころは、他の子よりちょっと早く映画が趣味になったくらいで
日テレの金曜ロードショー(現・金曜ロードSHOW!)が楽しみな、ただの小学生でした。

そんな僕に、人生変えるくらいの感動を与えたのが
ティム・バートンの作品『ビッグ・フィッシュ』。
2004年の公開時、僕は中学1年生でまだ映画館で鑑賞する習慣がなかったのと
スター・ウォーズで好きになった「ユアン・マクレガーが出てるから観たいなー」と思っていたくらいで
映画館で観なきゃ!という強迫観念も無かったので
(というかそもそも、まだ映画情報を今ほど収集すらしていなかっただろうな)
劇場公開が終わって、DVD化してから初めて観たんです。

でも観ちゃったら、これが号泣したんですよね。
僕が映画で泣いたのなんて、それまではロビン・ウィリアムズの『アンドリューNDR114』くらいなもんです。
詳細にはここでは触れませんが、父と息子の物語で
回想パートの明るく華やかなファンタジー要素と、現在パートの鈍重で暗いシリアスなドラマが
お互いを引き立てあって噛み合う素晴らしい作品で未視聴の方にはぜひ観て欲しいんですけど、
ともかく僕が感じたのは、

「映像ってこんなに人の心を揺さぶれるパワーがあるんだ」

ということ。
映像を生業にしている人って、きっと同じ感動をもらった映像があると思うんですが
僕の場合はこれでした。
初めての出会いから13年近く経ち、いまならある程度説明もできますが
当時は何がこんなに自分の気持ちを震わせるのか、全然わかりませんでした。
だけど、「自分も他人に影響を与えるものを作りたい」という感情が芽生えたのはこのときです。

ただ、このころはまだ映像を仕事にする方法がわからなかったんです。
ネットはあったので、その気になっていたら調べていたかもしれないですが
13歳のハローワークを読んだ限りでは、あんまり具体的な方法が書いていなくて
「簡単にできる仕事ではないよな」と何処かで言い聞かせていたのかもしれません。

しかし、もう一度 僕に転機が訪れます。
高校2年の秋です。
将来の仕事は、なんだかボヤーっとしたままで(たぶん当時 一番現実味があるのは数学の先生だと思ってた)
大学には行くんだろうとなんとなく思っていたので
全然 志望校も何もないままに大学の説明会に行っていました。

行ったというか、学校に来たんですけど。大学やら専門学校やらが合わせて20何校とか。
その、来訪して説明会してくれる学校のリストをパラーっと眺めていたら
「ん、待てよ。映像を学べる専門学校っていうのがあるのか」と初めて知ったわけです。
驚かれるかもしれないですが、【映像を学ぶ場所があること】と同時に、【専門学校の存在】も
このとき初めて知ったんです。

僕は本当に、夢はなかったけど大学には行くんだろうと思っていたから
"大学以外に選択肢がある"ことなんて、考えたこともありませんでした。
漫画で『ふたつのスピカ』は読んでいたから、高専っていうのは文字としての認識ならしてたと思うんですが
作品の性質もあってかファンタジーの世界だと思っていた部分があったし、
専門技能を学ぶ学校というのは存在すら知らなかったんですね。

で、ここで初めて"映像制作を仕事にすること"が
新たなチャンネルとして自分の意識に入るようになります。
ちなみにこのとき僕の中に、表現の仕事で食べていけるかという不安はなかったです。
馬鹿で無鉄砲だっただけかもしれませんが。


そんなわけで僕は、放送・映画科(いまは放送芸術科かな?)のある
日本工学院八王子専門学校に行きました。
大好きな映画のことが勉強できる環境にワクワクしていたし、
その熱量が抑えられなかったので、在学中に自主制作で作品作りを始めました。

たぶん、授業以外で初めて制作したのは
(課外授業なので半分授業でもあるけど)スイッチを押すとどんどん人が死んで行くストーリーラインのワンカットムービーで、
次にやったのが整髪料のGATSBYの学生CMコンテストだったと思います。

19歳そこそこにしては、ある程度たくさんの映画を観ていた自負があったので
クオリティはそりゃあもう...ダメダメな作品でしたね笑
"なんかイメージはある"んだけど、それを視覚化する方法が全くわからない。
「映像制作って、とんでもない仕事だな」って思いました。
でもやっぱり、将来の不安はなかったんです。やっぱり馬鹿だったんでしょうね。

そして座学やら実習やら学校イベントでの制作やら、それにバイトやら。
2年制の学科で映像の基礎中の基礎を学んで、卒業を約半年後に控えた夏休み。
就活とも並行しながら僕は、卒業制作で監督になるため
ドラマ脚本を書いていました。
就職する上ではここでの監督歴は外せないと、勝手に思っていたし
小学生で赤川次郎にハマっていた僕は、シナリオには自信があったので
企画は通せると思っていました。

ところが、これが通らない。
高校を舞台にした、走高跳が題材のシナリオ案なんですが
非常勤で学校に来てくださっていた、普段はドラマ監督の先生に内容は褒めていただいたものの
授業での撮影段取りが難しいと、却下になりました。

たぶんここが肝だと思うんですけど、
僕はこのエピソードがあったから、今も自主制作で映画を作っています。

企画が落ちた僕は、もう悔しくてしょうがなかったので
「じゃあ、自分で監督作品作っちゃえ」という閃きのもと、
佐々木の佐々木による佐々木のための卒業制作を作ろうというわけで、
学校の力(主にお金)なら何とかなるだろうかと書いた走高跳は
自分の力で撮ることは余計難しかったので
新たにシナリオを書いたのが、僕の初監督作品『Re:birth day』。

画家を目指す大学生の男の子が、学校で出会ったちょっと風変わりな女の子に刺激されて
自分の殻を破ろうとするストーリーで、本当に自分がただただ「良い」と思える作品を作ろうと思っていた関係で
(半ば、企画が通らなかった僻みや反発ですね)
大好きな藍坊主やらエリック・クラプトンやら、当時けっこう影響を受けていた
アニメ『true tears』の劇伴(作曲された菊池創さんは工学院八王子の先輩)やらをガンガン使っていて
音楽著作権の問題から上映することは難しいんですが、

「これを作らなきゃ卒業できない」とまで思っていたので、
授業の卒業制作も参加しながら、就職も全然決まらないままだったけど
シナリオも撮影も編集も(DVDパッケージも)、とにかく"好き"を詰め込んだ作品を作ることができました。
たぶんいま観たら、酷い部分も多いと思いますが
自分が監督した作品を持ったことへの達成感が本当に大きかったです。

達成はしたけれど、創作意欲はむしろ掻き立てられました。
専門学校を卒業し、テレビ番組の制作会社に入社してからは
思うように時間が取れず、四苦八苦しながらも
毎年1本のペースは最低でも崩したくないと自主映画を作り続けています。

"死者にも仕事があったら"という発想で生まれた『Pray -眠りにつく頃-』、
主人公とヒロインの両視点を別軸で描くことにチャレンジした『素晴らしい世界/Forget-me-not』、
働く女子と恋愛モノを初めて扱った『ウォーアイニー!!』、
自分好みのタイムパラドックス設定と+初の子役キャストがあった『ピリオド』、
そして今年制作、ペットの魚 擬人化モノの『夜はひらめく』。

本業で、テレビ番組制作という映像の仕事をしながら
いわば趣味で自主映画を作ってきました。
働きだしてからの6年半は、商業でも非商業でも、ずっと映像に向き合って来ました。
この間に、商業映画をたくさん観ました。自主映画も観ました。

そんな僕が、感じることがあるんです。
自主映画というプロへの過程も、テレビなど商業ベースの映像制作も
【続けられる人が少ない】。

仕事や生活の合間に自費で制作する自主映画は、長く続けていくほど体力がなくなってどこかで作ることを辞めてしまう。
テレビや商業映画の現場は、さほど多くないバジェットの中で一定のクオリティを出すために
スタッフ1人あたりの作業量や責任が重く疲弊していく。

続けられない人はそれまでだし、そんなに簡単にできてしまってもいけない側面もあるにはあります。
プロフェッショナルが多すぎても良くない部分がある。
ただそれは、もう過去のことだと思います。
ピラミッド構造なので、華々しく活躍するトップレベルが生まれるにはベースの人口がある程度なければいけない。
それに制作現場単位では、どこも人手が足りていない。

すでに到来しているスマホ時代、そして未来。
映像・動画産業は、伸びていかないといけないのに現場が苦しんでいるんです。
(そんなことないよ!という経済が潤沢な環境もあるかもしれませんが)

このことを肌で感じている僕は、
いまはフリーの映像ディレクター、そして自主映画監督であるとともに
映像・動画の世界で生きていきたい人たちが
もっと働きやすくなるような環境づくりをしていきたいと考えています。

具体的には、いくつかのフェーズに分かれるのですが
まずは映像のスクールを設立します。今や誰でも映像が作れる時代だからこそ
オリジナルで輝くコンテンツが作れるクリエイターを、
そして商業の現場でもできる限り即戦力になり得る人材を、育てていく学校を
2年くらい前から構想していて、
昨年の冬に、実現に向けた動きが生まれました。

教育の分野です。
僕もまだ発展途上な存在ではありますが、
いまの僕が実践することが大事だと思っています。

商業制作と、自主制作を両面とも現場単位で経験している
かつ、声を上げられる僕だからこそできることだと自負しています。

僕自身、まだ作り足りないから。
同じように映像を作っている仲間がいるから。
そしてこれからもっと出会うはずだから。

できるだけ映像制作者の裾野が広がるように。
僕が卒業制作で通せなかった作品、『short hair』をいつか作る未来のために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?