人権の何が鬱陶しいのか?

 人権なんていいに決まってる。
 中国では和服を着てたら逮捕らしい。
 着たい服を着る自由、基本的人権ですよね。

 市民の社会、
それを成立させている諸要素、つまり、平等や安全、
仕事を持ち、趣味を楽しむこと、恋愛するとかペットを飼ふとか、なんでもかんでも、人が人としてまともに暮らしていくために必要なものごとは、どれもこれも、最終的に人権に紐づけられます。

 人権あっての市民社会です。

 人権にはケチのつけようがない。


 このケチのつけようの無さがクセモノ。
 
 また戦前の天皇と比較してしまふと、日本のやった愚かな侵略戦争を描く映画なんかで、よく出て来るシーン。
 わるい軍人なんかが、自分の意見を反駁されて理屈に困ると、急に椅子から立ち上がって、ビシッと背中を伸ばす。そして、
 「畏れ多くもぉー!!」
と大口開けて、怒鳴り出す。
 みんなびっくりして椅子から立ち上がる。
 「天皇陛下にあらせられましてはー!!!」

 かうなると、議論は終はりです。
 陛下のお心を安んじ奉りたい一心で、この挙に出るのである!
 誰か、文句ある?

 天皇陛下といふ名前を口にするだけで、まはりの人間も立ち上がって直立不動。フリーズしてしまふ。

 今なら、
「法務省人権擁護局が、・・・」
と聞いた途端、どんな強面の政治家も顔色が変はります。

 「人権侵犯の事実あり
と言はれたら、どんな行動も言論も主張も思想も、音楽も文学も漫才も落語も映画も漫画もアニメもスポーツもロックも舞踊も演劇も絵画も、家族も交友関係も、あらゆる趣味も楽しみも、とにかく、市民生活の中で行はれてゐるあらゆるものごとが、「人権侵犯の事実あり」と言はれたら、終はりです。

 「それくらゐ、ま、ええか」とか「そんなもん、我慢しとけよ」とかは無し。
 「それって場合とか状況とか関係性によって変はってきませんか?」
なんて言っても、よけいに非難される。

 人権侵犯の事実あり
と言はれたら、絶対に弁解してはいけない。
 マスコミと国民の総攻撃が待ってゐる。

 ひたすら謝罪。なんなら謝った後に、首でも吊ってしまへば国民は許してくれます。
もしくは、
 沈黙。
 言ひたいことがあっても言はない、絶対に言はない。
 
 人権侵犯の事実あり
 あるかないか、白か黒。
 
 どんな事例も、黒だとなったら、真っ黒。
 でも、わたしたちが生きる現実の社会に、そんな白黒ではっきり二分できるものごとってどれだけあるんでせうか?
 だからこそ、裁判で争ふのではないでせうか?

 よく知らないんですが、わたしたち市民は、人権擁護局を相手に訴訟できるんですか?


 そんな次第で、人権に関しては、市民としては、次の、二つの態度になると思ひます。
 ①は市民
 ②はプロ市民

①触らぬ神に祟りなしとして、人権問題とされるものには、とりあへず笑顔を向けながら距離を取り、関りを避ける

②戦前の不敬罪と同じ強力な武器として使ふ



 

 

 

 

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