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「伝説のチーム」が駆け抜けた道〜フットボールの白地図【第28回】山口県

<山口県>
・総面積
 約6113平方km
・総人口 約134万人
・都道府県庁所在地 山口市
・隣接する都道府県 島根県、広島県
・主なサッカークラブ レノファ山口FC、FCバレイン下関、FC宇部ヤーマン
・主な出身サッカー選手 安永聡太郎、高松大樹、中山元気、岩政大樹、田中達也、久保裕也、田中陽子、原川力

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「47都道府県のフットボールのある風景」の写真集(タイトル未定)のエスキース版として始まった当プロジェクト。前回は、観光資源に恵まれた奈良県を取り上げた。今回は観光つながりで「おいでませ」の山口県にフォーカスすることにしたい。山口といえば、レノファ山口FC。おそらく多くのサッカーファンは、レノファを「全国リーグで戦う山口県初のクラブ」と思っていることだろう。

 実はレノファ以前に、県リーグからJSL(日本サッカーリーグ)1部まで駆け上がった伝説的なチームが、山口県に存在した。それが「永大産業サッカー部」である。永大産業の創業者の肝いりで、1969年に子会社のサッカー同好会としてスタート。正式な創部年である72年、全社(全国社会人サッカー選手権大会)に優勝。翌73年にJSL2部、さらに74年には1部にまで上り詰めている。

 永大産業が県1部から、わずか2年でトップリーグに到達したのは、JFLはもちろん中国リーグすらなかった時代ゆえの快挙であった。しかし77年、親会社の経営不振などによりチームは解散。同好会時代を含めても、わずか9年の活動期間であった。そんな永大産業が、飛び級での県1部昇格を懸けて対戦したのが、山口教員団。のちのレノファ山口FCである。 

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 山口教員団の「その後」については、のちほど触れることとして、まずは県内の観光スポットを紹介したい。県庁所在地の山口市以外にも、岩国や萩や下関など、県内にはいくつもの魅力的な街がある。その中でも、県内最大の都市であり、県内唯一の中核市である下関市は、観光名所に事欠かない。まずは、本州と九州を結ぶ関門橋へ。永大産業が全国リーグに到達した1973年に開通し、橋長1069メートルは開通時において東洋最長を誇った。

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 関門橋の九州側は北九州市門司区、そして本州側は下関市壇之浦。壇ノ浦といえば、まず思い浮かぶのが源平合戦のクライマックス「壇ノ浦の戦い」であろう。当地には、数え8歳(満6歳4カ月)で崩御した、安徳天皇を祀る赤間神宮がある(境内には平家一門の墓や芳一堂なども)。さらに歩みを進めると、坂本龍馬の邸宅跡や日清戦争の講和条約が結ばれた割烹旅館「春帆楼」など、至るところで歴史を感じさせる遺構に出くわす。

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 日本に初めてキリスト教を伝えた、あのフランシスコ・ザビエルも1550年に下関に上陸している。こちらは山口市にある「山口サビエル記念聖堂」のザビエル像。施設の名前が「ザビエル」ではなく「サビエル」になっていることに注意。実は山口の人々は、親しみを込めてザビエルのことを「サビエルさん」と呼んでいる。初代の聖堂は、スペインはナバーラ州パンプローナ市のザビエルの生家を模して、1952年に建設。一度は火災で焼失したものの、98年に再建された。

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 以上、ご覧いただいたように、山口県は見どころのある観光スポットが盛りだくさん。ところがサッカー観戦だけに限定してしまうと、随分とストイックな旅になってしまうので注意が必要だ。維新みらいふスタジアム(みらスタ)へのアクセスは、JR山口線の大歳駅もしくは矢原駅から徒歩10分。新幹線が停車する新山口で投宿するのが便利だが、駅周辺は(最近は店が増えてきたものの)かなり寂しい。観光と観戦は切り分けて、旅程を組み立てることをお勧めする。

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 みらスタは、もともと「維新百年記念公園陸上競技場」といい、1963年の国体のメイン会場として作られた。その後、2011年に2度目の国体「おいでませ!山口大会」が開催されることとなり、全面的にリニューアル。この2度目の国体開催に向けて、成年サッカーの強化チームに指定されたのが、中国リーグに所属していた山口教員団であった。そして2006年2月には「山口からJリーグを目指す」レノファ山口FCへと生まれ変わる。

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 当時のサポーターによれば、レノファとなって最初のシーズンでは「アウェーでファジアーノ岡山にボコられ、ホームで佐川急便中国にボコられ」というものだったらしい。2008年の地域決勝では決勝ラウンドに進出したものの、他の3チームはFC町田ゼルビア、V・ファーレン長崎、ホンダロックSC。結局4位に終わり、JFL昇格は果たせなかった。

 それから5年後の2013年に全社で優勝。同年の地域決勝は1次ラウンド敗退に終わったもの、J3創設によるJFLのチーム数削減を受けて、翌14年にJFL入会が認められた。山口県のチームが全国リーグにたどり着いたのは、永大産業以来、実に41年ぶり。その後は1年ごとに昇格を繰り返し、16年にはJ2にまで到達して今に至っている。

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 かつて永大産業が駆け抜けた道を、長い年月ののちに踏破したのがレノファ。そのレノファを追いかけるのが、現在中国リーグに所属するFCバレイン下関である。クラブ代表の福原康太氏は、中国リーグ時代のレノファでプレーし、当時のサポーターの間では「ミスター・レノファ」と呼ばれていた。だが、夢にまで見たJFLでの出場は叶わず、バレインに移籍して現役を引退。その後はクラブ代表に就任し、今度はレノファとの「山口ダービー」を夢見て奮闘を続けている。

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 このバレインの素敵なイラストの作者は、山口在住のイラストレーター、りおた氏。そして彼の作品が多数展示されているのが、防府市にあるイタリアレストラン『Bel gioco(ベル・ジョーコ)』である。防府駅から徒歩18分ほどの距離があるが、イタリア製の薪釜で焼く本格ピッツァは絶品! しかも店主は熱狂的なサッカーファンで、レノファやセリエA関連のポスターやグッズを眺めるのも楽しい。レノファの試合の前後には、絶対に訪れてほしいお店だ。

<第29回につづく>

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2016年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。


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