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「通り過ぎる」にはもったいない晴れの国〜フットボールの白地図 【第5回】 岡山県

<岡山県>
・総面積
 約7114平方km
・総人口 約188万人
・都道府県庁所在地 岡山市
・隣接する都道府県 兵庫県、鳥取県、広島県
・主なサッカークラブ ファジアーノ岡山FC、三菱水島FC、岡山湯郷Belle
・主な出身サッカー選手 土田尚史、安英学、李漢宰、苔口卓也、青山敏弘

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「フットボールの白地図」を塗りつぶしていくプロジェクト。前回は日本海側を攻略するべく、新潟県を塗ってみた。今回は「交通の要衝」あるいは「晴れの国」として知られる、岡山県を取り上げることにしたい。

 私にとっての岡山のイメージは、まず「通り過ぎる」県であり街であり駅である。岡山駅をイメージするとわかりやすい。東京から見れば、岡山の向こう側は広島であり博多だ。岡山から乗り換えて、伯備線なら日本海側の山陰へ、瀬戸大橋線なら四国に行くことができる。まさに「交通の要衝」であるわけだが、それは旅人にとって「通り過ぎる」ことと同義でもある。

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 これまで何度も岡山を通り過ぎてきた。便利なので、とてもお世話にはなっているのだが、あまり立ち寄ることはなかった。日本には、通り過ぎることの多い「交通の要衝」がいくつかある。関東で言えば大宮、九州で言えば鳥栖。興味深いのは、どちらの街にもJクラブがあることだ。そして岡山には、ファジアーノ岡山FCがある。

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 初めて岡山に降り立ったのは2005年の12月。地域決勝(現・地域CL)の決勝ラウンドを取材するためであった。駅前でまず目にするのが、実に精悍な桃太郎像。岡山は「桃太郎伝説」発祥の地とされ(諸説ある)、1960年代からは町おこしのモティーフとして盛んに起用されてきた。岡山桃太郎空港、桃太郎大通り、そして桃太郎スタジアム(現・シティライトスタジアム)などなど。

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 ファジアーノ岡山FCが結成されたのは2003年。前身は、川崎製鉄水島サッカー部のOBチーム、リバー・フリー・キッカーズである。写真は2年後の05年、中国リーグ時代の練習後に撮影したもの。土のグラウンドでの夜の練習、バラバラのトレーニングウェア、そして夢と野心のこもった選手たちの眼差し。この時代の「地域リーグあるある」が凝縮されたワンショットである。

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 ファジアーノは08年にJFL、翌09年にJ2に昇格している。これほど順調にステップアップできたのは、国体開催に向けて作られていたスタジアムの存在が大きかった。とはいえ中国リーグ時代、このスタジアムでホームゲームを開催するのは、それなりに難易度が高かったそうだ。人見絹代や有森裕子を輩出してきた岡山県は、サッカー界よりも陸上界の発言力のほうが強かったとも聞く。

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 スタジアムでは恵まれていたファジアーノであったが、専用のトレーニング施設がなかったことは、Jクラブとなって以降も課題として残った。2013年に完成した政田サッカーグラウンドは、まさにクラブの歴史のメルクマールだったと言って良い。施設の指定管理者となり、オフィスも当地に移転。政田に初めて訪れた時、岡山商工会議所を間借りしていた時代を知る者としては、何とも深い感慨を覚えたものである。

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 岡山県のサッカーといえば、忘れてならないのが女子サッカークラブの岡山湯郷Belle。県内で最も人口が少ない美作市を本拠とし、女子日本代表の宮間あや、福本美穂などを輩出したことでも知られる。一時期、なでしこリーグの強豪の一角として存在感を放ったこともあったが、その後は不可解な凋落ぶりを見せて往時のメンバーは四散。今はチャレンジリーグWESTで活動を続けている。

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 さらにもうひとつ、水島市を本拠とする、三菱自動車水島FCについても触れなければなるまい。設立は戦後間もない1946年。以降、企業チームとしては稀有ともいえる息の長い活動を続け、2005年から5シーズンをJFLで活動し、16年には全社(全国社会人サッカー選手権大会)で優勝を果たしている。その一方で、企業チームゆえの艱難辛苦の歴史もあり、拙著『フットボール風土記』でも1章を設けている。興味がある方は、まずはこちらをご参照いただきたい。

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 以上、ご覧いただいてきたように、フットボールに関していえば岡山は「通り過ぎる」にはもったいない県である。では、食についてはどうだろうか。桃やマスカットなどのフルーツ、ままかりなどが挙げられるが、B級グルメとなるとエビめしくらいしか思い浮かばない。黒いチャーハンに目玉焼きとエビが乗っているのが特徴。ただし岡山産というわけではなく、東京・渋谷でカレー屋を営む岡山出身者が発案したそうだ。現地を訪れた際は、ぜひお試しあれ。

<第6回につづく>

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2017年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。




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