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下り坂の人生を生きよう

高く登ることを目標にするんじゃなく、むしろ下ることを目指したほうがいいって対談動画を見て、めちゃくちゃ面白いなと思ったので、自分なりに感じたことをお話ししてみたいと思います。

※対談のURLは最後に貼っておくので、このお話で興味が湧いた方はぜひ聞いてみてください。

その対談で言っていたことですが、大抵、人っていうのは目標として『上に上ること』『高みに上っていくこと』を良しとするんですよね。
キャリアアップとか、スキルアップとかね。

そうやってみんな、上がることを目標にするけど、上がることってエネルギーが必要じゃないですか?

たとえば、ボールで言えば、そこにポンと置いたとき。
ボールは自然に坂を登ることはないんですよね。
ちょっと刺激を与えるだけでワッ、と進めるのはむしろ下りの方なんです。

なのに、なぜ上がり続けるんだ?って話なんです。
何故エネルギーが必要な大変な道ばっかり選ぶんだ、と。  

人によってその人生の起伏のある部分が違うんだ、という例えで、対談のなかでは大谷翔平さんとか藤井聡太さんが出てきてたんですけど…

人生の坂の低い位置に野球とか将棋がある人にとってみれば、ちょっと刺激を与えると野球や将棋に向かってボールが勝手に転がっていって、自然にのめり込めるわけですよ。

でも、高いところに野球がある人の場合、刺激を与えても野球が上の方にあるから頑張らないと登っていけない。

そうすると、同じ力を使ったとしても位置エネルギーを使える下り側のほうが圧倒的に結果を出せるという。

対談の中では雪だるまで例えてたんですけど、上りだと、玉は重いし登るのも大変だけど、下りだと勝手に下って勝手に大きくなってくれる。

すごい面白くてわかりやすいと思ったし、人によって向き不向きがある感覚もこの例え話はめちゃくちゃしっくり来たんですよね。 

私は発達障害っていうものを自分で自認する前までいろんなことができるようになんなきゃいけない、ってずっと思い続けてたんですよ。

その時、ずっと自分の心の中に流してた歌ってのがあって。
Mr.Childrenの「終わりなき旅」っていう曲なんですけど…ちょっと古い曲ですね。

私が中学生か高校生ぐらいの時に出たので、もう20年以上前の曲なんですけど…

私が一番辛い時にいっつも繰り返してたサビの歌詞を引用します。

難しく考え出すと
結局全てが嫌になって
そっと、そっと、逃げ出したくなるけど
高ければ高い壁の方が
登った時気持ちいいもんな
まだ限界だなんて認めちゃいないさ

Mr.Children 終わりなき旅

っていうここの歌詞ですね。

自分には無理だって思っても、限界だって思っても。
私は『今はこれは高い壁を登っているところなんだ』って。
登りきったところには絶対気持ちいい景色があるんだ、って。

高いところの方が気持ちいいはずだ、だってミスチルもそう言ってるもん。私は限界なんて認めてない!みたいな感じで…

ずっと高い壁を登ることを正義として頑張り続けながら、この曲を頭に流して辛いことに取り組んできたんですよ。

その高ければ高い壁は、確かに登ったら気持ちいいんですよ。きっと。

対談の中でお話ししてたのが、スキーの例えで。
登るのは目的じゃないんですよね。
リフトで登って…高い山のてっぺんの景色、綺麗だな~って、思うけど。
本当の目的はスキーで滑り降りることなんですよね。

登りきった気持ちよさより、滑り降りることの方が気持ちいいわけですよ。
登ることは目的じゃないんですよね。

なんかそれを聞いて、めっちゃすっきりしたんですよね。私は。

登ることにエネルギーをかけるんだったら、小さなエネルギーで下り続ける方がいいし。で、下る時っていうのは高いところから下に下ってるので、俯瞰できるんですよ、物事を。

高いところから広く物事を見るって、人生すごい大事じゃないですか。
登るってなるとエネルギーを登ることに使っちゃってるから、目の前のものしか見えないんですよね。
下る時ってのは高いところにいるし余裕もあるから、見渡せるっていう状態になってると。

この対談の中でも言ってるけど、登るっていうこと自体は決して無駄ではないんですよ。ある程度高い位置に登れば、後で降りる時のエネルギーに変えられるので。
それはいいんだけども、登ることを目的にしてしまうと、何を目指しているのかわからなくなるよっていうお話なんですよね。

それがもう、あー!なるほど、とすっごい思って。

今、私は、漫画を書きたいとか、文章を書きたいとか、こうやってVoicyで気づきを発信したい、みたいなことには本当にエネルギーをあんまり必要としてないんですよね。

自分が「ちょっとやりたいな」って思ったらVoicyなんて隙間時間でポンと録音アプリを起動して録音し始めるし。全然しんどさも感じないんですよ。

毎日継続してるけど全然楽にやれていて、それは何でかって言うと私にとってはこれらが下り坂にあるものだからなんですよね。ほっといても惰性で続けられるものなんです。

上り坂だったら「あー、頑張って毎日やんなきゃ。明日も明後日も明々後日もずっと更新しなきゃ、うーんうーん」って一生懸命登ってるんですよね。
それだと、それだけですごい疲れちゃう状態だから続かないんです。

下りだと放っといても勝手に転がっていく。
エネルギーが必要ないし、登るより下る方が断然早いわけですよね。

それで、目標っていうのが、そもそもどこにあるのかっていうことなんですけど…頂上が目標ではないよね。っていう。
どっちかって言うと目標は『進むこと』だよね?っていう話なんです。

上り坂と下り坂で直線距離にして同じだとしたら、下り坂の方が断然早く遠くまで辿り着けるわけで、高いか低いかっていうのは本当は重要なことじゃないんですよ。

なのに、現代は高いところに行くことが良しとされているんですよね。

なんで高い所に行くのが良しとされるかっていうと、まぁ、それがビジネスになってしまうからなんです。
大変なことに立ち向かうためにはエネルギーが必要で、そのエネルギーのためにお金を出す人っていうのがいるんですよね。

楽に進める方にはエネルギーがいらないから、それのためにキャリアアップセミナーに行ったりする人はいないわけですよ。

実際、今私は下りの方向にいる実感があって、力まずに活動できている感じがするんですけど…そういう時ってスクールに行きたいとか、講習会に行ってみたいとか全然思わないんですよ。

でも「なんかしなきゃ、なんかしなきゃ」って、それこそ、高ければ高い壁をね、登ろうとしている時ほど。
いろんなセミナーとか漫画にしても漫画学校に行ったり、画力向上するためのオンライン講座とかに参加したり…みたいのをすごいしてたんです。
けど、下ってる時って別にそういうのいいかなっていう感じなんですよね。

この『熱狂』っていう…何かを目指してる、仲間と一緒に何かをやる、っていう思い出とか青春みたいな…そういう「心」というか、そういう「記憶」みたいのも、それはそれでやっぱり大切なものではあるけども…それだけに終始してしまうと、結局、最終的に進む距離は短くなってしまうよ。っていうようなお話でした。

なんかもうすごい面白くてですね。
登ると下るで人生を例えた時に。下り坂の人生がむしろ前向きに捉えられるっていう発想がもうめちゃくちゃ新しいし、そして逆に腑に落ちるし。
私は、めっちゃ気持ちいいな、この話、と思いました。

で、この対談の呂布カルマさん。
この人、私ほとんど知らないんですけど、なんか前に中で炎上してた人だよなー?みたいな。そういう漠然とした記憶しかないんだけど。
この方が書いたっていう本ですね。
『ブレん人』っていう本ちょっと気になったので買ってみようかなと思っています。

それと、対談してる若新雄純さんっていう方のYouTubeがおすすめで流れてきて良く見るんですけど、この人の話、いつも面白いなというか、ちょっと不良っぽい感じっていうか。
今の世間の流れに若干逆らってる感がたまらなく私の中でツボです。
とにかく言語化力が凄い!

なので、また気づきがあったら皆さんに共有してみたいと思います。

それではまた、小さな気づきをお届けできたらと思います。

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この内容を音声で聴いて見たい方はこちらから。
「終わりなき旅」のメロディを少しお伝えするため、途中でおもむろに歌いだします。

Voicyの中に若新さんのチャンネルあったのでしばらく聞く。

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しかし終わりなき旅の歌詞ってすごくカッコいいんだけど…
今、改めて読み返すと結構根性論的な部分もチラホラあるというか。
どんなに頑張っても、もっともっと頑張らないと、ひとつ扉を開けてもまた次の扉を開けに行かなきゃ…みたいな、前向きでありつつも、しんどさも感じる歌詞だなぁと思ったりしました。令和の空気には合わないかも。

何か奮い立つ感じがして、今でも好きは好きなんですけどね。

今は、高い壁を見たとき、それを登ろうとは思わずに。
壁の向こうにいくために壁の切れ目を探すとか、穴があいてないか探すとか。
もしくはその壁の向こうを目指さずに、壁の無い方へ方向転換してみるとか。

そういう生き方の方がいいなぁと思ったりしています。

私、実は、高いところ苦手だしね(観覧車に乗れない)

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今回私がシビれた
R25 若新雄純✕呂布カルマさんの対談動画はこちら。


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