図々しい僕

この前あるアーティストの10周年を記念する展覧会に行った。
このアーティストは僕が一番好きであり応援している人達なのでこの展覧会が開催することが発表されたときは迷わず行こうと決めていた。

実際に行ってきたのだが感想としては才能と努力の積み重ねを感じられたものであった。
デビュー当時の写真や映像を見ると別に当時から知っていたわけではないのだが「よく頑張った」と思ってしまい、お前は誰だと言われるような感想しか出てこなくなってしまう。
今では誰もが知り得ると言っても過言ではないほどのアーティストなのだがデビュー前の姿はどこにでもいるような青年であり、むしろこの子大丈夫かと血筋の関係が無い僕でも当時会っていたら勝手に将来を心配してしまうような危うさも持っているような気がした。
僕より全然年上なのだがこの子たちがこんなにと成長を感慨深く思ってしまった。
その当時の映像の青年は多分僕とあまり年齢も変わらないため図々しくも自分と重ねてしまい、僕も将来こうなるのかと勘違いしてしまいそうになる。ただそれは一時的なものであるためその展覧会を見に行った次の日にはそんな夢から覚めてしまい5年後の僕は生命を維持出来ているのかと不安になってしまう。

ただ今の僕にはそんなに生きたいと強く思えるほど固執出来るものが無い。
実際死が目の前まで迫ってきたら死にたくないと思うかもしれないが、今パソコンに向かい黙々とエッセイを書いているこの瞬間は生についての執着は強く感じることは出来ない。
そのアーティストもデビュー当時の曲には生と死について問うものが多かったと思う。
その歌詞に共感というとなんか違うような気もするし、上手く言語化しているなと言うと何様なんだと思うしなんていえばいいんだろうな。
勇気をもらったとも違うし、うーん。
こういう考えでも世間に発信してもいいんだと思えた、かな?
世間的に言えば暗い歌詞だと思うし、とっつきにくいと思うかもしれないがただそれだけじゃなくて感覚的に言うと生と死の割合でいうと96%死、4%生のような気がしてその4%を掬い上げてその微かな光を松明のように足元を照らしながらこの真っ暗で何も見えない世の中を少しづつでもいいから前に進むことが出来たらというような希望が込められていると僕は解釈している。
(文章が下手で分かりにくいですがすいません。)

今もデビュー前の音源を聴きながらこのエッセイを書いているがデビュー前ということは僕と同じ立場かなと少し親近感を感じた。
そういえば、このアーティストは遂に今年4大ドームツアーを開催すると発表していたな。
僕が今から10年後にドームツアー……5分前に親近感などとほざいた僕をボコボコにしてやりたい。



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