愛想笑いな僕

愛想笑いに疲れたよ。
心の中でそう呟く。

僕は人見知りでコミュニケーションをとることが苦手なので、相手の機嫌をとる手段として愛想笑いが多くなってしまうのは必然的だ。
中学校、高校とサッカー部だったため最初の友達を作るには部活を通じて仲良くなることがほとんどだった。
しかし専門学校ではそれが通じなかった。
そのため己のコミュニケーション能力のみで交友関係を広げなければいけなかった。
僕は入学初日から気合いを入れて、最低1人はLINEを交換することを目標に登校した。
隣の席になった男の子は感じも良さそうで仲良くなれそうだと直感した。
入学初日には自己紹介がてら席の周りの人と仲良くなるための雑談タイムのようなものが設けられた。
そこで僕は人の話をよく聞き、質問にははっきり答え、愛想笑いをふんだんに披露した。
もちろん、愛想笑いとはバレないような上手な笑い方だったと思う。
そうした愛想笑いを中心としたコミュニケーションをとり、一週間を過ぎた頃僕の顔は筋肉痛になっていた。
笑うのがつらい。
愛想笑いとはこんなにも疲れるものだったのかと恐ろしいほどに実感した。

その日から僕は愛想笑いを辞めた。
と、同時に話すのすら辞めた。
もう疲れてしまった。
学校は勉学に励むためのもの、と自分に強く言い聞かし納得させた。

愛想笑いというものは何のために存在しているのだろうか。
相手の機嫌や空気を壊さないためにしか存在意義が無い、とても悲しい行為なのだろうか。
そんなことを考えている今も愛想笑いをして疲れた顔をリラックスさせる為にラジオを聴いている。
愛想笑いをして疲れた顔を癒すには心から笑えるものを観たり、聴いたりすることだと思う。
そうしたことでかりそめの笑顔をハンマーで叩き割ることが出来る気がする。
残念なことに出来る気がするだけである。
僕の人生で愛想笑いの必要が無くなる日はくるのだろうか。
多分、そんな日はこない。
そんなこれからの人生の為に心から笑えるものを沢山探そうと思う。
そうやって少しずつ少しずつ心からの笑顔を顔に侵食させていき、いつかは何時でも心からの感情を表現させながら生きていければ良いな。
と心の中でそう呟く。



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