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紅葉を撮りにPENTAX 645DとSIGMA fp携えて〜「撮らされる写真」

紅葉を撮りに行こうよう、桜や紅葉は以前書いた通り「撮らされる写真」であり、正直好きではない。
なぜならあるシーズンしか機会がなく、しかし毎年恒例であり、歴史的文化的価値を含み、そして大挙して人々が押し寄せ大量の写真データで埋め尽くされる景観、それが「撮らされる写真」である。
だがしかししかし、運よく撮れた平日有給、これは行かずにはおれないのが写真趣味者の哀しき性。気づけば島根県出雲市は鰐淵寺に舞い降りた。


PENTAX 645D 

「撮らされる写真」は質/量ともに圧倒的であり、ヒエラルキーが形成できるレベルで「こうあるべき象徴」の持つ普遍性が周知されている。
紅葉を撮るための雑誌の特集は毎年書かれるし、SNSでバズるゴリゴリHDRな紅葉写真は食傷気味である。
大量のデータと歴史があるゆえに、ガチガチのヒエラルキーに屈せざるを得ないのが「撮らされる写真」である。


SIGMA fp カラーモード撮り比べ楽しい〜

故に「撮らされる写真」というレッドオーシャンでトライアスロンしちゃうカメラ愛好家こそがカメラメーカーの上客であり、スペックもりもりの高級機器をとっかえひっかえしてくれるのである。
「撮らされる写真」は山岳や動物や鉄道などなど、世界中に普遍的に存在し、その界隈だけで飯が食える写真家がいるくらい普遍的なのである。
「撮らされる写真」は正解がすでにあり、そこに最短距離で近づくための技術こそが競争に打ち勝つことができる要因である。
だからこそ、技術をカバーするカメラスペック競争に気を取られることは言うまでもなく、そこはもはや宗教戦争のそれである。


PENTAX 645D

僕はというと、そういう雑誌の写真賞で褒められたり、SNSで鬼バズりする写真はそもそも眼中にない。
それは技術的機会的に敵わないであろうし、そもそも競争するために写真を撮っているわけではない。
だがそれを否定する気は毛頭ない。そういった競争という名のヒエラルキーが存在するからこそ、普遍的な趣味として人々に愛され、技術革新でメーカーが切磋琢磨してくれるからこそ、写真の楽しみが広がっているのだ。
参加人数、フォロワーが多いからこそ、写真は人種関係なく愛されている。
「撮らされる写真」は写真というヒエラルキーの中のヒエラルキーであり、弱肉強食の「表の世界」なのである。


SIGMA fp なぜか縦写真ばかりの今回の写真旅

故に今回の僕の写真は、珍しくお行儀が良いものとなっている。
お行儀が良いとは、「撮らされる写真=紅葉界隈」における法の範疇である。
ヒエラルキーには競争原理を導く法があり、それは時代性を含みつつも歴史的蓄積のある岩盤規制でもある。


645D ・・・重い

今回は島根県出雲市の鰐淵寺にやってきた。
山陰の紅葉の名所といえば・・・で名前が上がる名所らしい。
そういえば、「撮らされる写真」の『正解』には写真だけではなく場所を含む。
界隈ごとに聖地があり、そこで過密で過剰な切磋琢磨が行われる。
昨今有名なのは満月と岐阜城だろうか?どこかの長い階段で赤い傘ささせることだろうか?山は特にわかりやすい。野鳥はシーズンで聖地が動く。森山大道界隈ならもちろん新宿であろう。ニューヨークはなにしてもよし。
そんな見えないプレッシャーにより、お行儀が良い写真ばかりになってしまう。


SIGMA fpとLeica Summicron-R 50mm F2(R-only)

こうなれば今回のPENTAX 645DとライカRのオールドレンズを纏ったSIGMA fpには荷が重い。
この時期の明暗差の激しさを一発撮りでお行儀よく処理する技術はないし、RAW現像は面倒くさくてやろうともしない僕はお呼びではない。


645D 手持ちだと酸欠になるで!きいつけや!

さらに鰐淵寺は三脚利用不可である。
手持ちでCCDセンサーの645Dを暗い境内で使うという暴挙をわかってくれる人がいたら幸いである。
もちろん、技術と審美眼でお行儀良い写真が撮れる人はいるだろうし、そこは「甘え」となるのであろう。
だがその「甘え」こそ、逆張り天邪鬼な僕が「味」として処理する隙間でもある。
お行儀良さげだがなんかちょっと、失敗写真でもないけど、う〜ん。
そんな写真は一枚だとストゥディウムしないが、写真を撮り歩いた時間を感じさせながらひたすら並べるとプンクトゥムする。
いわゆる健康優良不良写真、お行儀の良さの中にちょっとシャツでもはみ出させる。


SIGMA fp

それに紅葉クラスのヒエラルキーでは、奇を衒って何か撮っても奇を衒ったことしか見えないくらい競争原理の引力が強くなってしまう。
正解とはなんだろうか?正解に及ばないのは機材のせいか?技術のせいか?
そうではなく、正解に取り込まれている自己に去来する煩悶、それこそがあなたの答えである。
たまにはこんなお行儀の良い写真が撮りたくなる。
そこにある正解へのプレッシャーを体感することで、写真を撮る楽しさと不可解さを味わえるのだ。


645D 一瞬の晴れ間に何とか撮る 

しかしまあシーズンちょっと外れでも美しい紅葉。
紅葉はなんだか寂しいが、その儚さと季節の移り変わりに美を見出す我が民族は、なぜバブル狂乱なんてしてしまったのか?
そんな事を考えながら、正解など幻想であるという現実に思いを馳せる。


SIGMA 20mm F2 DG DN

超広角レンズも使ってみた。
やはり苦手である。
だがこういった縦写真は超広角レンズじゃないと撮れないよな〜


浮浪の滝

PENTAX 645Dという中型犬くらいのバカでかいカメラを三脚なしの秋の曇り空・・・酸欠である。
ミラーショックを押し殺す絶対不動の精神により、脳が酸欠状態。
このまま立ったまま絶命すれば伝説となろう。
なんせこの鰐淵寺は武蔵坊弁慶も訪れたのだから。


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