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30才、「何者かになりたい」と言った彼女は

ずいぶん前に、職場でいっしょに働いたAさんは、絶世の美女だった。
切れ長の大きな瞳、いいとこで育った感のある、気品のあるシルエット。
あまりに美人なので、自分のようなださいおばさんといっしょでいいのだろうかと心配し、遠慮気味に挨拶したところ、「よろしくお願いします」と、ニコッと笑ってくれた。あの微笑は覚えている。美人って、微笑みかけるだけで破壊力がある。ああ、よかった、いい人そうだ、と安堵した。

美人は周りに一目おかれる。当たり前に、チヤホヤされる。
それでいい気になっているように見えないよう、同性に配慮しながら、
ほどよい愛嬌は保ちながら、つまんない虫は追い払いながら、気を良くしているのが日常だ。態度がアダになると、カウンターパンチで悪く言われるから、そうならないよう、四方八方から自分をガードしつつ、機嫌よく生きる術を身に付けている。美人は、生きるだけで高度なテクニックが必要だ。

一方で、Aさんにおいては、文章はへただった。
他者が自分に注目するのがデフォルトなので、自分が言うこと、書くことを、他者が理解してくれるのは当たり前、なのだろう。
読ませるため、わかってもらうために、いい文章を書く努力が欠落している。その必要性がわからない。
Aさんを傷つけないよう、伝えようとしたが、無理だった。

そういえば、別の美人Bさんも、依頼文のメールが、壊滅的に意味不明だった。えてして2人とも、美人だから、広報だったりする。他者が意を酌んでくれるからなんとかなっている、という仕事レベルで、30才を越えていた。

Aさんに話を戻す。
彼女は離婚をへて、その会社に転職してきていた。
会社勤めをしながら、人生をリセットするべく、模索していた。
30才すぎの彼女は、「何者かになりたい」と言った。
昔から、その思いは強くあったのだという。
きっと、親からほめられる「娘」の立場のまま、だったのだろう。
何者か、というだけで、具体的に何に、というのはまだ不明だった。
今考えれば、30才なんて若いから、いくらでも挑戦できると思うが
当時、小さな子供を育てながらマミートラックを走っていた私は、
え、30才で何者かって…? と、怪訝に思った。

何者かになりたい、ということは、
何かをしたい、というよりも、
何かで身を立て、自他ともに認められる存在になりたい、ということ。
目的が、自分の承認欲求をかなえること。

何かをした結果、認められる、というのならわかるが、
承認欲求のために、何かをする、というのは、こっぱずかしい気がした。
今なら、そういう願望もあるのだろう、と理解できる。

別の活躍の場を探す彼女は、当時の職場を卑下した。
職場を卑下するということは、そこでいっしょに働く私たちもつまらないものとみる、ということ。そう感じ取れるので、彼女は言葉を選び、言い直そうとしたが、本音は漏れ伝わった。

ハイソな家庭環境、父親・母親に認められる自分になりたいこと、離婚という挫折、くすぶっている現状、つまらない職場、人生を切り開き、何者かになりたいという願望、高すぎるプライド、それらが、語らずとも、透けて見えた。

そんな彼女が、相好を崩しながら、ちょっと自慢気に語るときがあった。
きょうだいのことだった。愛され、やや甘やかされて育ったきょうだいは、エリートなのに、実際には、「あんた、ほんとに大丈夫なの?!」と心配するほど危なっかしい、と笑っていた。

10数年たった今、そのきょうだいが事件を起こしたことが漏れ伝わってきた。Aさんとは、長らく連絡をとっていない。でも他人づてに、なんとなく聞きかじった、きょうだいの失敗談が、話題になった。

30才で、「何者かになりたい」と言った彼女も、今は中年ど真ん中だ。
何者かになっただろうか?
久しぶりに思い出して、検索してみたが、何も出てこなかった。
一方で、きょうだいについては、何事もなかった日々が、どれだけよかったことだろう。
立派なご家庭、立派な親、立派な自分で生きてきた彼女らの、心の奥の欲望はどんなだっただろう、と思う。