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資本主義とは

資本主義を論ずる前に資本主義とは何かをまず考えておきたい。

1.資本主義の基本

資本主義は一般的には資本家と労働者が別々であって、資本家が労働者に賃金払って働いてもらい、製品を造り、それを売って稼ぐ生産形態のことをさす。
つまり生産のための組織が資本によって造られている経済体制とされる。(現代ではそんなこと当たり前だ)
では資本家が個人経営で、自分で仕事して自分で売ればどうなのか?
中小企業では必ずしも資本家と労働者は分離できるものでもない。
では資本主義ではないと通念的に捉えられる社会主義では資本家や労働者の区別はないのか?社会主義では資本なんて要らないのか?
およそ現代の生産において資本が要らないということはない。
私は後述するが、社会主義は資本主義の修正プログラムであって資本主義とは別の生産形態だとは考えない。
どのような仕事をするにあっても資本がなければ始まらない。資本は仕事の元手である。
資本は資本家という人が必ずいなくてはいけないのでもない。資本を出す人が一緒に仕事したって構わない。
日本の農業では資本を出す人と働く人は一致している。当たり前だ。
だから、現代の生産形態はほぼ全て、どこの国であれ資本を元手に仕事を行うから資本主義だと言える。
では社会主義と言っている国とどこが区別されるのか?
私は資本の動かし方の方向性の問題だと考えている。
一般に資本主義の国家だと言っているのは、現代では独占資本主義のことをさす。資本の効率を求めれば大きなカネをドーンと動かせる資本家の方が相場を支配できるから強い。
巨大なカネがあれば相場を上げることも下げることも意図的にできてしまう。
だから市場を支配してしまうほどの資本家があれば資本の効率は高まる。
経営効率を高めようとすれば人は大都市に集まるだろう。
資本が一箇所に集約され効率がよくなることを独占資本主義は求める。
独占資本主義というと聞こえが悪いから単に資本主義と言っているのかもしれない。
中国は社会主義だが、資本家はいるし労働者もいる。だから資本主義でもある。市場原理も生きている。独占資本主義と、どこが異なるのか?
資本を地方へと政策的に廻し、金融市場よりも現物生産、製造業の市場を重視している。資本を社会の需給バランスを考え、政府が計画的に必要なところへ必要な量を動かす。資本を社会性のある資産とみている。だから独占資本主義の立場をとらない。
私は社会主義を分散資本主義、地方保守主義、社会化された資本主義と呼んでいる。
資本によって企業設立を自由に行い、自由に商売を行うことを主張するのは自由主義と称するのだろう。
日本にはこの自由はない。
行政の許可なく自由に営業できる商売などこの国にあるのだろうか?
「原則自由だけど届出や営業の性質上許認可はいるのです」
なんて役人のことばが聴こえてきそうだ。こういうのは行政による統制であって、自由と呼ぶことはできない。統制経済と呼べば充分である。

2.資本主義における労働力、労働の対象、労働手段

労働対象と言うのは自然物や原材料、部品など一般にモノである。労働手段とは道具、機械、設備などのことである。労働力は労働者個人の身体、精神の能力だが、労働の対象、手段は合わせて生産手段という。

奴隷制では労働者も生産手段所有者の所有物とみなされていたのでこれらの間に区別がなかったが、労働者と生産手段を所有する資本家が別々の存在となれば階級に分化することになる。

資本家階級と労働者階級が分化すれば、資本家は労働者を賃金払って雇う必要があり、労働者は生産手段を得る為に雇われる必要がある。労働者は自分の生活時間と能力をカネを受け取ることによって売っているとみる。つまり労働力は商品でもある。

企業が何をどれだけ生産するかは独自の判断で決める事ができる。そして生産された商品を不特定多数の人に売ることになる。
しかしそれを買うかどうかは客の判断であるから売買が成立するかどうかは需要と供給のバランスで決まる。つまり市場メカニズムに依存する。


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