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必ず水を確保せよ!

観光は楽しいものだ。その地域にある独特な景色、名物名所など町のようす、食、キャラ、などなど。わたしたちの日常から遠いものに出会うことで、人生に楽しみや潤いを感じることができる。
同時に、その町の歴史を知ることで、わたしたちは何十年・何百年もの経験を体感することができる。筆者はこれまで何度も「町歩きタイムトリップの旅」を書いてきた。
歴史を味わうには、郷土資料館や歴史博物館がわかりやすい。東京を中心に多くの資料館を見て町を散策すると、「この町がどうやってできてきたか」を探ることができるのだが、やはり「水」というのは大きな要素になるものだ。

今回、筆者は羽村の取水堰や玉川上水を散策し、さらに相模湖(山口貯水池)と多摩湖(村山貯水池)のダム湖に沈められた村々を思い、いずれは奥多摩湖に沈んだ小河内村を追慕して出会いに行く予定でもある。
さらに、以前書いた新宿の散策記事「四谷大木戸という玉川上水の終着と江戸の水道の入り口」、「都庁は以前は淀橋浄水場のあと」にもつながるために、ここに水をテーマにしてまとめておこうと思う。

水が町を作る!

「エジプトはナイルの賜物」とヘロドトスは言う。エジプト文明はナイル川によってつくられたという意味であり、ナイル川は氾濫をくりかえしてきたが、これが肥沃な土地をつくり、人々の文明を支えてきたということだ。

日野の郷土資料館を訪れたとき、学芸員さんから聞いた「嫁に行くなら立川よりも、米が食べれる日野へ行け」(日野の郷土資料館HP「ふるさとこぼれ話」にもある言葉「嫁に行くなら日野へ行け」だが筆者が都都逸のように言い換えています)という言葉を聞いたとき、この言葉を思い出した。
立川は段丘の上にあり水が得にくく米がつくりにくい、畑作中心である。日野は多摩川と浅川が合流する地点で多くの水害の被害が起きてきたが、それが広大な平野をつくり稲作がさかんな土地となった。だから農業で儲かったのだ。このように土地がちがうだけで人々の生活は変化していく。

筆者はさらに東京の西部、島嶼ではなく本土で唯一の村である「檜原村」も訪れた。山岳地域で農作物は麦や野菜も少なくイモなどしかできない。だから林業や炭焼きなどの産業がより発達していった。

日本の巨大な都市は、川の近くに作られている。川はわたしたちに飲み水を与えるだけでなく、山地から土砂を流し積もらせ、盆地や平野など水が得やすく肥えた土地をつくり、人々に農業を行わせてきた。日本三大都市の東京・大阪・名古屋は巨大な川によって成立した。北海道も石狩川のまわりに第一の札幌と第二の旭川、東北も北上川のまわりに盛岡や仙台が。川の近くに大都市が集まる傾向にあり、いずれにしても水を得るというのは、農業用水・生活用水・工業用水など、人々の暮らしと産業を発展させ、さらには「町」を営む上で何よりも重要なことなのだ。

節水って必要なの?

水といえば、「水資源問題」が傍らに付いてくる。近年話題のSDGS(持続可能な開発目標)でも「安全な水とトイレを世界中に」という項目がある。

水は生物が生きる上で欠かせないものだ。水問題というと常に「地球上の水13.86億KM3のうち海水が97.5%で利用できない水であり、さらに淡水2.5%のうちほとんどが氷であり、生物が使える水はたったの0.8%しかない」という「水は貴重な資源である」という考え方がよぎる。
日本には「湯水のように使う」という言葉があり、金銭など大事なものを水のように惜しげもなく無駄に使うことである。
では、水は際限がないのか。水は使っても使ってもありあまるものなのか。

実は筆者は節水に懐疑的だった。どんなに水を使っても、どんなに水を飲んでも、どんなに水をぶちまけても。水は下水から流れきれいにされ海に放出される。その辺にぶちまけた水も蒸発されて雲になり、雨となり、川へそそぐ。私たち動植物が体に取り込んだ水も、排出されたり体内から蒸発されて地球に戻る。地球上の水の絶対量は一切なくならないと思う。
しかし節水は必要だと思う。
私たちが確保する淡水。その確保量を超えて水を消費すれば、水は不足する。つまり、水をたくわえる量。それよりも水を使う量を超えると、水は足りなくなる。

節水は大事だ。けど同時に、水をいかに確保するか。実は人類はこれが重要課題だった。放っておくと水はどんどん、海に流れて塩水となり飲めなくなる。淡水をとり、たくわえるのだ。
わたしたちは一見、「水資源を持続可能にするため」に、消費量を減らす節水を重視しがちだ。確かに、わたしたちの身近にできることはこういうイメージなのだろう。
しかし、節水はややもすれば「水を使わずに、ただただ海に放出する」「水をムダに海へ流してしまう」ことにもつながりかねない。
消費を減らすことも大事だが、「供給源をおさえる重要性」も考えていきたいのだ。
当たり前のように蛇口をひねれば水が出る今の世の中、「水資源供給の確保」は考える必要はないようにも思える。
しかし、その事情はどうであろう。

国土交通省による平成29年度「日本の水資源の現況」より。

本稿では、日本の水資源供給の確保の歴史を通じ、いかに「一人当たりの水資源の確保量が少ない国」であるのに水を供給できているか、その実態を描いていきながら、「実は水資源確保の危機がある」ことも述べていきたいと思う。

家康、入府する

豊臣秀吉が小田原の北条氏をほろぼし、天下統一をなしとげた。
秀吉はその小田原をふくめる関東8か国を、信長以来同盟を結んでいた大大名・家康にプレゼントした。っていえば体がいいが、実際は三河を本拠地に遠江・甲斐に信濃を支配していた家康を拠点の大阪から遠ざけるためだ。

せっかく開拓していった領土をうばわれ、さらに関東のような広い原野が広がる地域。家臣の多くも反対したという。
しかし、家康は決断する。しかも、北条氏がつくってきた大都市の小田原や、鎌倉でもなく、海がせまり葦が生い茂り沼地が多い未開の低湿地帯である江戸を選ぶ。家康はゼロからこの地を開発し、小田原や鎌倉のように山に囲まれたせまい土地ではなく、広大な関東平野を基盤に巨大な都市を、秀吉がつくった大阪のような海運都市をつくることになる。

家康は大工事を手掛け、結果的には今の東京の繁栄の基礎であり、世界最大の人口(パリやロンドンよりも多い100万都市!)をもつ大都市・江戸と発展させた。
神田山を切り崩し、日比谷入り江を埋め立てた。地形を一変させたのだ。
さらには江戸湾(今の東京湾)へ流れていた利根川を、今の銚子にまで移す。これは江戸の洪水対策だけでなく、東北の米を運ぶときに房総半島を遠回りせず、銚子口から利根川を通り浅草の蔵屋敷にショートカットさせる便利さにもなった。また平川と小石川を道三堀にまとめ、小名木川をつくり河川の整理を行い治水や利水を図った。

江戸の工事に悩む家康のイメージ図。鉛筆線が当時の海岸線、どんどん埋め立てたり河川を工事したり。日比谷入江が「入谷」になってます、すいません。

しかし、低湿地で海水が入りこむ江戸は、井戸水を掘っても塩水しか得られない。
家康は江戸城の飲料水を得るために河川をせきとめ貯水池(今の千鳥ヶ淵)や湧水をたくわえた赤坂溜池をつくった。

千鳥ヶ淵と牛ヶ淵は、江戸城のお堀であるとともにダムでもある。
赤坂溜池はのちに神田上水や玉川上水などの整備で埋め立てられているが、今でも溜池山王などの地名で残っている。

さらに1590年に、江戸の町に住む人々の生活用水を得るために大久保藤五郎に命じて小石川上水を造らせた。この初めての江戸の上水はのちの神田上水と拡張される。

さらに1652年、江戸幕府は江戸の人口増加に対する飲料水不足を解消するため多摩川からの取水を計画する。老中松平信綱を総奉行として水道奉行伊奈忠治が主導し、のちに玉川兄弟といわれる庄右衛門と清右衛門兄弟が工事を請け負った。

当初は日野から取水しようとし開削したが、試験的に水を流すと「水喰土(関東ローム層により水が地面に吸収される)」と言われるところで、なぜか水が消滅。
ちなみに工事を行った役人たちはここで責任をとらされ処刑され、この地は「かなしい坂」と呼ばれた。
2度目は福生から取水しようとしたが、ここでも「水喰土」によって失敗。

福生の「水喰土」公園

総奉行・松平信綱は家臣の川越藩士安松金右衛門を設計技師に起用し羽村に水を通すプランを立てた。しかし、工費(6000両、1両は今の数万~数十万)が尽き、玉川兄弟は自分の畑や家を売るなど、追加資金を3000両を得た。ついに着工から約7か月後、距離にして43KM、高低差たったの100Mの玉川上水が完成される。この玉川上水は四谷大木戸まで結ばれ、江戸の水道の大動脈になっただけでなく、川の本流にたとえると、そこから多くの支流となる分水路(千川上水や野火止用水など)がつくられ、「人が生活できる場所ではない」武蔵野台地が広がる江戸近郊の農村が、人が生活できる都市発展のきっかけとなっていった。さらには明治時代も利用され、のちに淀橋浄水場へとつなぐことで近代の水道にも大きく貢献した。

羽村郷土博物館より
ちなみに立川から多摩川の向こうが日野。日野は川の流域の低地の水田地帯。
今の羽村堰
現在も玉川上水は小川のように流れています。筆者は羽村から玉川上水駅まで追っていきました。福生市にて。
淀橋水車は上にのせてある新宿の記事にのってます。
新宿歴史博物館より、内藤新宿(甲州街道の第一の宿場町「新宿」、今の新宿御苑)に流れる玉川上水。
四谷大木戸跡

日本の水確保の歴史

日本は弥生時代に稲作が伝わることで、水田を利用せねばならず、沼地や川が流れる低湿地に村がつくられるようになった。また、飲料水を得るために井戸が遺跡から発見されている(東京都の馬場遺跡の共同水場跡や奈良県の唐子遺跡の掘り抜き井戸)。また、そのような土地や田畑に水をうるおす川の上流の水源など、水をめぐっての争いが歴史上多くおきてきた。


ケース1 群馬県新田町の重殿水源…1322年の「関東裁許状」(正木文書)によれば、新田一族の大館宗氏と岩松政経が一井郷沼水から流れ出た用水堀をめぐって争いをおこした。一井郷の領主である大館が用水堀をふさいでしまい、岩松側の所領の田嶋郷が沼水を耕作として利用できず、鎌倉幕府に訴え、幕府は用水堀をもとに戻すよう採決を出した。
新田荘は扇状地の扇端部で湧水が多く、多くの集落がこれを農業用水として利用していた。

ケース2 山梨県北杜市の三分一湧水…水の配分をめぐり争いが絶えないこの地に、武田信玄が堰の真ん中に三角石柱を立て、等分に配水していることを見せつけたもの。

もちろん、これらは数多の例に過ぎず、さらにその背景に水をめぐる言い争いや武力衝突もあったことだろう。


また、水を確保するための雨乞いの儀式が行われてきた。

山間部では山頂で火を焚いて太鼓や鉦鼓を鳴らす祭り、山伏や修験道の行者が行う呪術的な祈り。国家による儀式として皇極天皇が雨乞いの儀式を行ったことが日本書紀にもあり、天武天皇も仏教の法会で雨乞いの祈りをささげているものがある。
生贄(人身御供)という習わしもあった。
これは雨乞いだけでなく洪水対策でもあったろう。古くはヤマタノオロチ伝説のクシナダヒメも生贄と考えられるし、ヤマタノオロチは水神でもある。
また、香川県の讃岐平野は古来より干害(日照り)の被害に悩まされ、空海の満濃池などの溜池が特に多い地域だ。ここでも人身御供の民話がある。


讃岐平野など山地に囲まれて雨雲が届かないような降水量が少ない地域には、ため池など用水確保の工夫をしている。

ここ高松に伝わる伝承「いわざらこざら」によれば、まわりの田に水を配る平池を大きくしすぎ、堤防をつくってもすぐ押し流されてしまうため、迷ったあげく神のお告げを聞く。「あすの朝早く『ちきり(機織り道具)』を持った娘が通る。その娘をとらえ人柱として堤にうめれば、洪水は治まるだろう。」
翌朝、ひとりの娘が通ったので人々は取り囲み何を持っているか聞くと、娘は「ちきりです」といったため、娘はつかまり人柱にうめられた。
しかし、堤の岩の間から流れる水の音が「いわざらこざら(言わざらまし、来ざらまし)」と聞こえるため、人々は神社を、そして乙女の像をつくった。

香川用水…讃岐平野の水資源確保についての話をしよう。
雨が少ない代表例の香川県は讃岐の国。平安時代に国司となった菅原道真も何度も雨乞いを行っているが「何もできない」と悲嘆にくれていました。
江戸時代の藩主松平頼重は406か所の溜池をつくりましたが、それでも香川の水不足の問題は解消されません。

明治時代に大久保諶之丞などの努力もあり、昭和時代に吉野川から水を引く香川用水の建設がはじまりました。
まず、高知には四国最大のダム「早明浦ダム」がつくられます。
しかしここで本山町、土佐町及び大川村の2町1村で385戸・387世帯がダムの湖底へ水没の対象となった。
この水は徳島県の池田ダムを経て香川に流される。香川用水の工事には讃岐山脈を貫くトンネル工事もあり、過酷であったろう。
香川用水記念公園には工事中に亡くなった4人の慰霊碑もつくられている。

東京都においても戦前~戦後、水道水用に巨大な小河内ダムの建設を30年かけてつくった。小河内村などを湖底に沈め945名が故郷を失った。また工事中の事故により87名が死亡した。
また、水を貯えるために狭山湖と多摩湖がつくられ、ここでも勝楽寺村や縄竹村などの多くの人々が故郷を失った。


このような水道を確保するためにたくさんの人々の犠牲や技術が必要とされた。それもあり、日本の水道技術は大きく発達し、現在安全な水が確保できる世界有数の国(水道水が飲める国は世界で13か国ともいわれる)、特に全国津々浦々、一時期は「消毒(塩素)くさい」といわれたが、水道水の水質も改善され、さらにはコンビニエンスストアで日本だけでなく世界のおいしい水も安価で買えるようになった。


まとめると、日本は水を確保するために、井戸を求めたり、川から水を汲んだり引いたりしてきた。そして江戸や東京を中心に水道施設が整備され、明治にははじめて濾過などの設備を整えた近代浄水場「淀橋浄水場」がつくられ、金属製の水道管を張り巡らして、各地に水を供給するようになった。
初期では東京では道路わきにある共用栓から水をくみ、地方ではまだ井戸(ポンプ式も普及)だったが、やがて蛇口も広まり、高度経済成長期には家庭に風呂や洗濯機・台所に「蛇口から直接飲んでも安全な水」が行き届くようになった。
現在はオゾン処理などの技術も進み、水道の水もカルキ臭くなくトリハロメタンなどの害もない「安全でおいしい水」となり、日本の水道技術は世界でもトップレベルとなった。

東京都水道歴史館にて。

世界と日本の水の問題

さて、このように現在は簡単に水を入手できるようになった日本ですが、実は「水の輸入」も進みまして。ミネラルウォーター、以外もです。
日本の食料自給率は一般的に40%(ただしカロリーベース)も満たない。で、トウモロコシ1KGをつくるのに1800リットルの水が必要で、トウモロコシは家畜のえさになる場合も多い。肉類も輸入が多いのですが、牛肉1KGつくるのに2万リットルの水が必要だとか。ただ、この指標もいろいろな議論はあるのでしょうが、国産でまかなうとすると多くの水が必要となります。もちろんこれは牛肉だけでなく、食料や工業製品いずれも「輸入しているということは、それをつくるための水も輸入している(バーチャルウォーターという考え方)」という事実があります。
日本の産業は、食料をつくる農水産業に従事する人は激減し、工業も2~3割ていど、7割以上は商業やサービス業など「ものづくり」以外になっています。つまりこれは、「ものの大部分は輸入に頼っている」ということにもなる。日本の産業の大部分の見直しも必要ですが(ものづくりという根本の産業が衰退している!)、身の回りの「もの」の大部分が輸入品であるという現状から考えても、世界の水事情も、日本の水事情をとらえる上で必要です。

発展途上国の水事情はとても厳しいようです。日本の当たり前は世界の非常識、実際に現地に行けばわかりやすいのですが、なかなか忙しくてそれどころはないのでしょう。そのために人は資料や本を通じて現地を知るものです。

国連の統計では世界人口約75億のうち6億6300万が安全な水が得られてない。有名な話は、山間部の国々や砂漠など乾燥帯。水汲みをするのは子どもの仕事ですが、井戸や湧水まで距離があり、場所によっては1日8時間以上も水汲み(数キロはなれたところで何往復もする)しているとか。
しかも不衛生な水により病気になったり、水利権をめぐる争いも多い。

外国では水は「汚いもの」というイメージもあったようです。
水は不衛生で伝染病が蔓延する。
フランスでペストが流行した14世紀、病原がまだわからなかったころ、原因は水による汚染だと思われていました。
また、イギリスでもコレラが発生したときに、下水を上水に組み入れていたという水道事情も原因でした。
インドのガンジス川。こちらも下水を放出したり、動物などの遺体が流れる下流で人が入り沐浴している。

日本の水は軟水が多いのは、川が短くて急流で山地に降った雨がすぐに海に放出されるから。
外国の川な長くなだらかなので、水が地上にたまりやすいぶん、水質がどんどん澱(よど)んできます。いろんな成分がたまり硬水(マグネシウムなどミネラル分が多い)になりやすい。硬水はやや苦みがあり、軟水に親しんできた日本人にはやや刺激が大きいのかもしれません。硬水は硬水の良い点もありますが。

外国に行くと「水を飲む」でトラブルが起きることが多々あるようです(筆者は中国に行ったことがありますが、水道水の飲用は固く注意されました)。
まだ多くの国で「水資源供給の確保」が課題として残っていること、そして日本は輸入品が多く、水自体の輸入も多いということ。
世界の水事情も、日本はウォッチしていく必要があります。

結びに。「水問題」とはどのようなものか。

まず前提に戻すと、水不足になるのは「水の消費量に対して、供給量が不足する場合」です。ダムや貯水池の「貯水量」。天候や自然災害と同時にウォッチしていかなければなりません。
ふだんから水を節水するのはどうか。もちろん大事かもしれませんが、やりすぎはよくないですね。人間の体内の6割は水分。睡眠前後や飲食時、入浴前後や水分は常日頃こまめに多くとらないといけないですし(1kgに対して350ml、体重60kgだと2リットル、80kgだと3リットル近く、一度にではなくこまめに)、清潔が大事ですから、汚れた水は使わない。水をためて使うことも大事ですが、澱(よど)むこともありますから、汚くなったと思ったらこまめに変える。
貯水量に対して水をどれほど使っていいのか。

そして供給量の確保。日本の川は短く急ですぐに流出してしまう。
中部大学の武田邦彦先生の計算では、日本の降水量は年間6500億立方メートルで世界平均の2倍。うち蒸発量が2300億立方メートルで、使える水が4000億立方メートル。
使っている水は、農水産業に600億、工業に150,生活に150、約900億。つまり20%ていどの利用らしいです。
これはあくまで一つの見方でしょうが、「流れ出る水の量」が多いのではないかという疑問をもつ。もちろん、ダムをつくるというのは、自然や住民への負担を強いる。

外国からの水に頼るという面もあるし、現在は外国からの輸入に頼りすぎている面もある。外国の水事情は日本の当然を当てはめてはいけない面もある。

いろんな水に対する見方はあろう。水は蛇口をひねれば当然出てくるものかもしれない。
一つの提案として、まずはこの問題から考えてはどうだろうか。

水源林以外にも、外国による日本の土地買収が進んでいます。

この資料は、農水省(林野庁)のHPから簡単に見ることができる(「水源林 外国 農水省」で検索するとトップに)。
日本の水源林の外国人や外国企業による買収が進んでいるのだ。
日本にはこれを取り締まる法制度が不十分で、現在大きな問題になっている。

最後に、僕が「町歩き」をやっている大きな魅力は、「今目の前に当たり前にある風景が、どのような背景をもっているのか」その物語にふれるということだ。
物語が好きな性分かもしれない。













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