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OB

少年サッカーのコーチング。
自分はめちゃめちゃ好きで、暇があれば参加させていただいていた。ただ、それを好きな人ばかりでは無いので、熱量にも大きな差があり、参加するかどうかは各個人に委ねられる部分が大きい。

今日は大学在学中にお世話になった少年サッカーチームの代表の方とサシで飲んだ。
1軒だけだったのに、4時間半もほぼ少年に関する話だけで語り尽くしたのは自分でも驚きしかない。嬉しい話もあれば、愚痴っぽい話もあって、それはそれで生々しい話も多くて非常に楽しい時間になったと思う。

最初に書いたように、''熱量''というのは人それぞれ大きく異なって、それが向けられる対象や大きさは、各個人という要素だけではなく、その時やその環境などによっても変化するので、一概に何が悪くて何が良いかなどをくくることは難しい。

ただ、話していてひとつ感じたのは、''自分が''という部分が大きく欠落してしまっているのではないか、ということ。
例えばヘッドコーチが仕切ってくれて、コーチが足りていない場合はヘッドコーチが何とかしてくれる、もしくは保護者が何とかしてくれるという雰囲気になっているフシがあるという。
例えば、たとえ自分が入れないとしても他の人が何とかしてくれるという雰囲気があるという。

子ども達にとって、''自分が''コーチとして何かを与えようと努力する。時間がないとしても、入れないとしても、''自分が''出来ること探して行動に移す。

そんな姿勢があまり見られなくなってしまったことが、ちょっと残念だなぁということが話の中からありありと感じられた。

もちろん、時代や社会情勢の違い、人数や人的環境の違いによって、考え方やできることは大きく異なるので、僕たちが話していることが正しいとは言えない。僕らの価値観が旧く、期待を大きく持ちすぎているということも否めない。

だから、話していることを正しいものとして今のコーチたちに押し付けるということはしないし、余計なプレッシャーをかけることもしない。

コーチたちが気づいて行動し、自ら変化を起こすこと。それができるように、少しの期待を持って信じて待つこと。それが大切だと考えている。

優秀な人材が多く、考えることができる人間が多いこの組織では、押し付けるのではなく自ら選びとることが出来る環境を用意することが、改善に繋がる最も大切な要素である。

熱量を向けられる環境を、コーチも子どもも成長できる環境を。

見守って、生み出せる、そんな存在でいたい。

そんなことを考えた、今日の飲み会。

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