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『パンデミックとたたかう』押谷仁、瀬名秀明著(岩波新書)

最初に断っておくと、私は東北大学で学士(工学)、修士(工学)を取得し、2015年から2016年まで東北大学大学院医学系研究科広報室助手として勤務していた。母校である故に、私の意見が東北大学へ偏っているという批判は甘んじて受ける。しかし、既に私は退職している身なので、この記事は東北大学としての意見ではなく、あくまで私の一個人としての意見であることをご理解いただきたい。

ぜひ、下記リンクの『パンデミックとたたかう』押谷仁、瀬名秀明著(岩波新書)を読まれることを強く勧めます。2009年の新型インフルエンザ流行を受けて行われた対談で、私の乱文を読むよりも遥かに有益な時間となるはずです。4/15執筆時点でAmazonの在庫はないが、Kindleで読むことができます。770円で1-2時間で読み終えることができるでしょう。このエントリは主にこちらに書かれている事実を元にしています。

東北大学細菌学分野の歴史

東北大学医学部のウイルス研究は世界でも有名な名門である。特に東北大学医学部 細菌学教室 3代教授で、第13代総長もつとめた石田名香雄はセンダイウイルスとともに世界中で知られている権威です。また、自身で1100偏を超える論文を発表しただけでなく、その門下生からは、全国で40人以上の教授が誕生し、多くの後人を育てました。

*参考1(下記リンク)

押谷教授は先述の『パンデミックとたたかう』の中で、以下のように語っています。

大学6年生の時に、途上国などで国際的な仕事をしたいとのことから、当時総長だった石田名香雄氏にアポをとり、総長業務の多忙ななか、1時間半もの時間をとり、進路相談をしてくれたという。

その中で、米国でMaster of Public Health(以下MPH)の学位をとることを進言されたという。MPHは保健医療の観点で社会課題にアプローチする学問で、公衆衛生学を専門とする大学院を修了すると与えられる学位です。最初、その意図がわからなかった押谷氏に、石田総長は、別の道として国立仙台病院(現:仙台医療センター)の初代ウイルスセンター長の沼崎義夫先生を紹介されました。沼崎氏から国際協力事業団(現:JICA)のザンビアでのプロジェクトに派遣され、感染症対策の現場の立ち上げを経験。その時、ウイルスを勉強しているだけではダメだと、MPHの学位をとるため、アメリカに。ここで公衆衛生学の一分野である「疫学」について専門性を手にいれ羅れました。

氏はMPHの学位取得後、WHOの職員としてフィリピンのマニラへ赴任。003年2月にSARSが大流行し、その収束に当た羅れました。(2003年7月にWHOが封じ込めを宣言するまでに約8000人に感染し、800人近くが命を落とした。)その結果、プロジェクトは30人を超えるスタッフと巨額の予算がつく大きなものとなったそうです。

マネージャーとしての仕事が増える中、現場から離れてしまうようになり、現場への思い東北大学の細菌学講座の歴史を引き継ぐ、微生物学分野教授として現在研究室を率いておられます。

感染症対策とは

この本では、感染症の恐れ、戦い方、対峙の仕方、伝え方まで、まさしく今ある問題へ、予言のような示唆に富んでいます。つまり、11年以上も前から感染症対策へ警鐘を鳴らしてこられたのが押谷教授なのです。


日本で馴染みのない公衆衛生学という考え方、臨床医との違い、そもそもわからない病気に対して刻々と変わる情報と状況の中でリアクティブではなくプロアクティブに対峙する専門家の仕事、情報の伝え方、楽観的でも絶望もしないつきあい方。

日本の医学部にもかつては公衆衛生学の教室があり、疫学の研究はやっていた。しかし、日本ではがんや糖尿病、高血圧の疫学をテーマに変わっていったと。

疫学についての専門家がアメリカに比べて遥かに少ない中で起こった今回のCOVID-19の流行について、押谷教授は起こるであろう問題点について言及されています。次に起こるパンデミック対策に地道に取り組んでこられたのです。

また、何より感染症の専門家の考え方を理解することで、報道の受け取りかたにも、自身の行動、立ち振舞いにも役に立つと思います。

ぜひご一読されることをお勧めします。


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