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時給思考 Part3/3 ~完結編~

おはようございます。毎日投稿38日目になりました。
今日は3日間の完結編です。今日も張り切っていきましょう!  
 
昨日と一昨日の記事はこちらから↓

人命はお金に替えられるか?

   倫理的な問題に「人命はお金に替えられるか?」というものがあります。これは非常に難しい問題です。もし自分の過失(交通事故など)で人の命を奪ってしまった場合、罰金はどう設定すればいいのかなどという問題が生じてきます。
 
   しかし、資本主義という見方においては、お金に換算できない価値は存在しません。あくまで資本主義の観点からでは、非情にも、僕たちはお金に替えられてしまいます。

あなたの資本主義的価値は?

   自分の命が資本主義的にはいくらになるのか、簡単な計算方法があります。学生には少し難しいですが、皆さんの年収を30倍した額というのが今の皆さんのおおよその資本主義的価値です。なぜかお分かりでしょうか?
 
   将来稼ぎうる額などではありません。実はこれは、同じお金を生み出すことができる能力に基づいています。
 
   僕はそこまで詳しくないですが、投資をする、つまりお金を適切に動かすことで人の労力無くして年間約3~4%の利回りが得られます(とします)。仮に100円投資したら1年後に103~104円、1億円だったら1年後に1億300万~1億400万円が戻ってくる訳です。(人の労力を加えれば利回りを上げることは可能。“投資の神様”ウォーレン・バフェットは年間20%もの利回りを叩き出して世界屈指の大富豪になった)
 
   世の中にはお金を必要としている人(企業)がたくさんあるので、こういったことが可能になります。こういうことを「お金に働かせる」とか言ったりします。
 
   先程1億円を投資したら300万~400万円増えて返ってくるという例を挙げましたが、つまりは年収が300~400万円の人の資本主義的(←何度でも強調します)価値は1億円くらいということです。ご理解いただけましたか?この観点を基に話を続けます。

資本主義的価値、薄めていませんか?

   時間というのは、僕たちがどのように過ごしても一様に過ぎていきます。勉強しても、働いていても、ゴロゴロしていてもです。その中で、僕たちは資本主義の仕組みで価値を創出した分だけ豊かな暮らしが出来るようになっています(働きすぎなどの問題はさておいて)。
 
   つまり、生産的な行動をしない時間というのは、自分の資本主義的価値を薄めていることになります。昨日お話したように、資本主義というのは本来、価値の合計を最大化するものです。したがって、みんなが協力して非生産的な時間を減らすことで、みんなが豊かになるわけです。
 
   もちろん、ずっと休まず働け、ということを言いたいわけではありません。でも、もう少し自分たちの時間を大切にすることは出来るのではないでしょうか。昨日一昨日と例をいくつか挙げましたが、まだまだあると思います。「時は金なり」と言いますが、時間の価値は金よりももっと大切にされるべきです。是非、時間を大切にして快活な毎日を送っていきましょう!

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