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猫塚②

朝起きると、小春の鳴き声がした。
もともと吠えない子だったが、最近は体調のせいか全く聞いていなかった。
元気になったのかもしれない。
百合子は期待を胸に、慌てて庭へ出た。

朝露で足を濡らしながら向かう。
小さな茶色い背中がせっせと動くのが見えてきた。

小春が穴を掘っていた。
知識として犬が地面を掘ることは知っていたが、見るのは初めてだった。
前足で一心不乱に掘り進めている。
しばらく見ていたい気持ちがあったが、場所が悪かった。
そこは、祠の正面だったのだ。

「小春!やめなさい!」
百合子が叱ると、顔をこちらに向け尻尾をふる。
そして、まるで何事もなかったかのように駆け寄ってきた。

祠のほうを見やると、なかなか深めの穴があった。
先程まで小春の半分ほど入っていたのだから、15センチほどの深さだろう。

―これは怒られる。
家族は犬に興味がない上に理解がない。
祠の前を荒らしたと言われるのは目に見えていた。
誰かが発見する前に埋めねばならない。
幸いにも母のミニシャベルが近くのプランターに刺さっていた。
ガーデニングの際にいつも使うので、そこに刺してあるのだ。

シャベルを手に穴に近づく。
そっと覗くと、土の中に銀色の金属が見えた。
土を退かすと、ひと抱えほどの大きさがあった。
軽く跳ね返される感触と、音。おそらく、缶箱だろうか。
そう、ちょうどお歳暮の煎餅を入れているような缶だ。

「百合子、どこにいるの」
母屋から母親の声がする。
「今、小春のところにいるよ!すぐにそっち戻るから!」

土をすべて穴に入れ、叩いて固める。
仕上げに強く踏みつけた。
掘り返した土の色は濃く、見た目にも掘り返したことがわかる。
小春の水入れから、そのあたりに水をこぼした。
少しは誤魔化せるだろう。

小春は座った状態で、静かに百合子を見つめていた。
この犬の目にはあるものが見えていた。
元来、犬は主人に服従するもの。
飼い主を取り巻くもの。それを注意深く、見守っていた。


洗面所に行くと、母親がいた。
手が汚れている百合子に驚いた様子を見せる。
「あなた泥だらけじゃないの」
「ごめんなさい。小春の水を換えようとして、転んじゃったの」
後ろめたい気持ちで答えたが、母親からはケガはないかと聞かれただけで終わった。
「あ。ご飯の後でいいから、祠の花と水お願いね」
このお手伝いをお願いされる時。
今日、母親は祠のあたりに行かないという事だ。
穴の存在がバレないことに心から安堵した。

祠には、毎日庭の花と水を捧げている。
木造の小さなお堂があり、小さな窓がついている戸がぴったりと閉められ、南京錠をかけてある。
石の土台には三段ほど階段が彫られ、上りきると同じく石で出来た祭壇があった。
祭壇の左右に穴があり、花が一輪ずつ差してある。
中央には水の入った小さい餌入れがあった。

小百合は花の差してある穴に手を入れた。
花瓶を引き抜こうとするが、うまくひっかからない。
金属の花瓶に指を押し当てるも、すべって石の表面ばかりを触ってしまう。
「痛…った…」
尖った部分で爪を削ってしまった。
人差し指の爪と指の間に血が滲む。

わんっ

小春が大きく吠えた。

「大丈夫だよ、小春。吠えないで」
これ以上吠えさせては家族が来てしまうかもしれない。
百合子は慌てて花瓶を引き抜いた。
水場で花と水を入れ替えたら、すぐに散歩に連れて行くことにした。
そうすれば散歩を催促された声だと言えると考えたのだ。


その日は缶のことが頭から離れなかった。
掘り返したいが、きっと小春が怒られる。
どうすればうまくできるか考えていると、人差し指が痛んで思考を止める。
その繰り返しをしていた。
爪が少し剝がれているのだから痛いのは仕方がない。
しかし考え事をしている時に脈打つように痛まれるのは些か腹立つものがあった。

―明日、お母さんに聞いてみよう。

百合子は、考えることを放棄した。


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