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猫塚①

斎藤家の家は、いかにも日本の屋敷という雰囲気だった。
元々地主の流れを汲む家柄のため、土地が広く造りも古い。
駅からかなり離れているその場所は、東京都内とは思えない雰囲気だ。
近隣住人から別名『猫屋敷』と言われていて、常に猫を多頭飼いしている。
聞けば、何代か前の当主の妻からの言いつけで猫を可愛がっているそうだ。
「言いつけで?」
阿達はメモから視線を外し、斎藤百合子の顔を見つめた。
「とにかく猫を絶やすな。可愛がれ。という内容のものらしいです。
詳しくは聞いたことがないんですけど…庭の隅に猫を祀る祠があるので、守り神か何かにしてるとは思うんですよね」
そう話しながら百合子は服に着いた猫の毛をつまんで捨てた。

代々の言いつけ、というようなものは口伝が多く、こうして内容がはっきりしないまま残ることが多い。
今回、阿達が百合子に取材したのは、この猫の祠の話を小耳に挟んだためだった。
あくまで古い土地や地主について調べているという体で現当主に取材を申し込んだ。
すると、当主代理として百合子が現れたのだ。

「興味深いですね。土地神とかそういう信仰なんでしょうか」
「さぁ…そこまでは…でも猫以外は全く受け入れられないんです」
「受け入れられない?」
「家に、いられなくなるんです」

愛猫達をけして外に放さない。家の中だけで大切に可愛がる。
もちろん親族みな猫が大好きで仕方がない。
目に入れても痛くない。自分の子供と同じぐらいにかわいい。それほどなのだ。

しかし、百合子はどうしても犬が飼いたい時期があった。
常に一緒にいてくれるし、散歩もしてみたい。
猫は可愛いが、性格を考えるとイマイチ合わないということも一因だった。

猫の世話もちゃんとやるからと頼み込み、柴犬を買ってもらった事がある。
祠の近くに丁度いい空きがあったので、そこに犬小屋を建てた。
木陰もあり、水場も近い。しかも自室の窓から見える範囲で、夜は小まめに確認できた。
季節は桜が散った頃合いで、毎夜さかりの付いた野良猫の鳴き声が聞こえた。

「小春、散歩に行こう」
小春と名付けられた小さい柴犬。
いつも声をかけるまで犬小屋の奥で寝ている寝坊助だ。
のろのろと伺うように顔を出し、手綱を見た途端に飛びあがってはしゃぎ始める。
これでもかというほど手や顔を舐められて、改めて犬のよさを感じる瞬間だった。
懸命に感情を表現されるのがとても心地よく、お返しに頭を撫でてやった。

小春は他の柴犬より体が小さく、食も細い。
散歩は驚くほど歩くが、庭に戻るとほぼ小屋に籠っている。
子犬とはこういうものだろうかと疑問になったが、大人たちは猫の事しか知らないし興味がない。
獣医へ相談するのも、気を揉むのも百合子だけだった。

「少し弱っているね。散歩は控えた方がいいかもしれないね」
「散歩のときは元気そうなんですけど、行かない方がいいんですか?」
「うーん。少し止めて様子を見てみて、ダメだったらまた連絡くれるかな?」
毛布にくるまった小さな体を撫でる。
自分が会いに行く時以外は動いている様子がない。
うちに来てからというもの、元気がなくなっていくようにしか見えない小春。
訪問獣医にも原因不明と言われてしまう始末だった。

百合子の姿を見ても、手綱がないと尻尾を軽く振るだけの毎日。
この状況で散歩を我慢し続けるのは、百合子にも辛いことだった。
寝支度を終え、窓を開けた。
小春の姿は見えない。おそらく中で寝ているのだろう。

静かな夜に猫の鳴き声が聞こえる。
家の猫ではなく、外からの声。

時にか細く、時に大きく。

暗闇に響く不協和音。

夏が近づいてくる温度の風も相まって、百合子は胸がざわつく感覚がした。

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