身代わり地蔵
今日というか昨日は仕事の打ち合わせがあったから六本木に行って来た。
最近運動不足だったから自転車で行った。
凄く遠くて2時間も掛かったし痔になるかと思った。
でも都内を自転車で走るのはあまりにも新鮮である。
なんか旅行に来たみたいだし、人生を通して都内を自転車で走る事はないんだろうなと思っていた。
季節の匂いってあるもんで、この秋から冬になって行く時期が昔から好きだし、急に寒くなって人はいっぱい死ぬ。
急に暑くなる時も亡くなる人は多い。
そんなこんなで取り残されたように冬がやってくるから更に寂しい。
これがピリオドの向こうってやつだなと思うわ。
神谷町の辺りを久し振りに通ったんだけど、こんなとこだっけと思った。
あそこらへんはもともと何があったかしら。
とりあえず2ヶ月振りに友達のひろしと会ったんだけど、痔になっていた。
身代わり地蔵みたいな事も起きるもんだなと思って、帰りは電車で帰ることにした。
帰る時に。仕事をするにも、人となりを知らないとどうにもならないじゃん、と彰人が言っていた。
そうなんだけど、何で他人に自分を知ってもらう事がこんなに嫌になってしまったのか。いつから嫌になったのか、と考えていたら家に着いてしまった。
なるべくなら知られたくないなと思ってしまうんだけど、知られないといけないような気もするし、それは職業柄だとも言えるけど、有名になるわけじゃなくて、友達を増やす感覚なんだろうけど。
叩かれたり炎上したりに耐えられる自信がなかったりもする。
そういや昔、ディルアングレイのライブに行って、写真撮ってブログに日記書いたら炎上したのを思い出した。
でもあの頃は嫌われる勇気があったな自分。
嫌われる勇気とかいう本も、少し前に読んだ気もするけど内容は全部わすれた。
その本とはあまり関係がないが、
批評家の言うことなどに
耳を傾けてはいけない。
これまでに批評家の銅像など
建てられたためしはないのだから。
という言葉がある。
銅像は建てられなくてもいいというか、むしろ建てられたくないとさえ思ってしまう。
いろんな事に文句を言ってた方が自分に合っているのか、はたして文句を言われてた方が自分に合っているのか。
年々臆病になっていく。
生きる事自体がストレスである。
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