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オチはどこ

気がつけば、ラジオを倍速で聴いて、映画を2倍速で観ている。
目的が凄く狭くなっているとも思うが、目的がその先になってしまっていることに起因している。

その先にある〜を達成する為といえる。

これを突き詰めて行くと、さっさといろんなものを倍速にして、人生もさっさと終わらせないとコスパも悪いし、タイパも悪い事になる。

今宵は職場から実家に帰ってみた。

東京の真ん中から実家に帰る。
埼玉県だからそんなに遠くはないけど、ちょっと一人で国道をひたすら走っていたいと思った。

そういえば、私は18歳の時に自動車の免許を取った。
あの時は頻繁に友達を隣に乗せて東京中をぐるぐると走っていた。
目的は特になかったけど、それまでは行きづらかった場所に行けるというのが、かなり楽しかった。

でも楽しむ事を目的にしていたわけではない。
目的なんかなかったといえる。
ただ、なんとなく。時間があって。
友達も時間に余裕があって。
あてもなく国道を走って。
走っていると皇居に着いて。

何故か国道を走っていると皇居に着くものである。

あの時の目的のない感じを思い出したかったのだろうけど。
仕事が終わって、実家までどうやって帰るのかわからなかったからナビをセットしてしまった。
なんだか、いらんことしてもうた感じが否めなかった。

明日は予定が詰まっているわけではないし。
少し遅くなってもなんの問題もなかった。

ただ、ナビをセットすると、道中何も見ていない自分に気がついた。
本当に何も見ていなかった。見てはいたけど気にしてなかったとも言える。

この価値観が今の世の中蔓延しているんだけど。これを何ていうんだろうか。
所謂タイパとかコスパとかを大事にする主義の価値観である。

実家に帰るには国道を通って、道なりに行ったのち左に曲がって、右に曲がって左、右、左で帰れる。

そこまで細かく判明したのは、今宵の経験からだが。必要としたくなかった。
なんとなくそんな事はわかっていたわけで。
目的地っていうのも違和感がある。

でも最近は目的地まで最短で到達する事に非常に、非常識に、重きを置いている。
どんな事柄でもそうだと思う。

人生の本質は楽しむ事だ。
時間芸術の作品の一つだ。

過程を大事にしないと、死ぬという終わりが目的に姿を変えるし、無駄が要らなくなる。自殺してしまう。

自殺をするとタイパもコスパも非常に良い。

時間をはやく進めようとしすぎなんじゃないか。みんな今が苦しいのかもしれない。

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