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子育て中、自分の誕生日に何をしたいか

子育てをはじめて3ヶ月半で大学院に戻り、途中夜泣きで休学し、産後1年で復職してフルタイムに戻り、子どもが2歳半になったころわたしの誕生日が来て、その頃にどこかのお母さんのこんなセリフを、何かで読んだ。

『わたし自分の誕生日は、子どもたちと一緒に過ごしたい。有給とってたっぷり子どもたちと。』

衝撃的だった。
そのときのわたしには、誕生日は自分の時間がほしい、仕事を思う存分やりたい、大学院に戻りたい、そういう気持ちしかなかった。

ふと、ああこのお母さんの子どもたちは幸せだな、と思った。

わたしだって、例えば世界が明日終わるとしたら、子どもと家族と過ごしたい、と思うくらいにはちゃんと愛情を持っている。けれどどうしてこのお母さんとこんなに思考がちがうんだろう?と考えた。

わたしは子どもを産む前のわたしをこれっぽっちも捨てたくなかった。捨てずにやれると思っていたし、実際に産んでみて、タスクは増えたけどこなせるのではと信じていた。
確かにある程度こなしてなんとかやっていて、それが『子育て』の姿だと思っていた。それに大変なだけやりがいもあった。

けれども、あのセリフのお母さんみたいになりたいな、と、なぜかふと思ったのだ。

40歳に近づいて、自分の人生のターニングポイントを感じたのかもしれないし、自分の能力の限界を感じたのかもしれないし、この地球には1日が24時間で過ぎていくルールがあるのだと気づいたのかもしれないし、とにかくなにかがわたしの中でチカチカと光った。

最近、詩集のようなものを読んでいて、明日この世が終わるとして今日やりたいことは、隠れた最優先事項なのだ、というような文に出会った。
隠れているから、切羽詰まらないと実行しないのかもしれないが、明日は必ず来るという保証はどこにあるのか?そう問いかけられている気がした。
そういえば、あのセリフに動かされた自分が仕事を辞めたのは、本当の優先事項に嘘をつきたくなかったから、なのかな、と、自分を正当化できる気持ちにもなった。

正直に言って、仕事は楽しい。学業も楽しい。
友人との夜の逢瀬も大好きだし、ひとりでの海外旅行だって続けたい。
仕事も家庭も全力でエネルギーを注げる友人を羨ましくも思う。

けれどわたしが本当に子育てを楽しむことができたら、きっとわたしは誕生日に、子どもと一緒にいたいと言うことができるのだろうなと思うから、そのために子どもと楽しむ時間と手段をたくさん持ってみようと思っている。

わたしに明日があるかわからない以上に、子どもが明日、今日の子どもであるかもわからない。
彼らの中枢神経は、わたしたちの廃れたネットワークとは違って、世界が変革するほどの繋がりを毎日作り上げようと成長している。

陳腐な言い方をすれば、彼らの1日はわたしの1ヶ月の価値がある。

全部やりたい気持ちはまだまだあるけれど、全部できない自分をとことん感じて諦めていくフェーズにわたしはいる。
本当に大切なことを大切にできる、そういうことを目指して、これまでの脳内のシステムにパラダイムシフトを起こそうと努力する。

早く足を踏み出したことを後悔はしていない。
常勤の仕事を辞めて1年と4ヶ月、わたしはとても幸せなのだ。
そしてそのあいだに、子は、信じられないくらいの進化を遂げた。
最初の2年間は、取り戻したくても取り戻せない。きっとそこにもあっただろうたくさんの発見や喜びや苦労や笑顔を、わたしは仕事で得られる快楽とトレードしてきたのだ。

仕事や学業をする人間として、一流とはなんだろうか。
とりあえずそれを最優先にできることだろうか。だとしたらとっくに、わたしは二流で三流で、流れからも外れているんだろう。

なんにしてもどうせそのうち子どもはわたしから離れていく。それまでのあいだ、わたしはわたしの最優先事項を最優先させる訓練をつづけたい。

子育ては楽しい。
大変だけど楽しいことばっかりだ。

最近やっと、わたしはそう思えるようになった。
それからわたしは、やさしくなった。

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AI EHARA | 運動を科学するヒト

School of Movement®️ で様々な運動関連職種の指導者に対して身体運動の科学を教えています。 理学療法士、修士(東京大学大学院総合文化研究科身体運動科学、学位<学術(バイオメカニクス)>))。https://text.themedia.jp/

生まれた子どもと家族を作る

家族って自然にできるものなのか?と常々疑問に思っています。少なくともそこには、構成員の様々な事情や性格やそれを取り巻く社会の様子というものがあるわけで、そこが多種多様な以上、家族は「作る」ものなのではないかと。その過程の葛藤を文章にしたくて。
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