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カイヨワの遊びの分類について勉強した

はじめまして、ただのゲーム好きのtezumozuと申します。
突然ですが、皆さんはロジェ・カイヨワの「遊びと人間」において分類された、遊びの4分類についてご存じでしょうか。

ゲーム関係の仕事をされていたり、大学の講義や専門学校の授業で聞いたことがあるという方は多いかもしれませんね。

私も大学にてゲームに関する講義を受けた際この4分類を知りました。

スマブラの生みの親である桜井政博氏も自身のYoutubeチャンネルにてこの分類を紹介している動画が公開されています。

今回は私が「遊びと人間」を読み、この分類についていくつか気づきがあったので、アウトプットをかねてメモとしてnoteにまとめます。

もしこのノートがどこかで少しでもだれかの役に立てたら幸いです。

さて、カイヨワの分類の中で気づきがあったのは下記の2点です。


それぞれ順番に見ていきましょう。

1.分類の基準

私はロジェ・カイヨワの4分類「アゴン」「アレア」「ミミクリ」「イリンクス」を遊びの要素の分類であるとざっくり認識しておりました。

私がゲームを作る際、ゲームデザインにて遊びをより楽しくするための分析やツールとして使用したこともありました。

実際遊びのデザイン方法として紹介されるケースも存在します。

※動画では滑り台を例にそれぞれ「アゴン」「アレア」「ミミクリ」「イリンクス」の要素を足すことでより魅力的な遊びにする方法を解説しています。

さて、このように遊びを考えるうえで利用されるこの4分類ですが、
この分類は何を基準に作成されているかご存じでしょうか。

ロジェ・カイヨワは遊びを行う人間の態度に注目し、人が遊ぶ時の根本的態度すなわち動機が類似するものをまとめることで遊びを分類しました。

賭けの時には、富くじであろうと、ルーレットであろうと、バカラであろうと、遊戯者は明らかに同じ態度をとっている。ーー(中略)これに反し、ボクサー、ランニングの選手、チェスやマレルをするものは、勝つために全力を尽くす。運動競技であろうと、知的競技であろうと、かわりはない。遊戯者の態度は同じだ。つまり、自分と同じ条件におかれた競争者に打ち勝とうとする努力は同じなのである。こう考えてくると、偶然の遊びと競争の遊びを対比させることが正しいと思われる。

「遊びと人間」著:ロジェ・カイヨワ 訳:多田道太郎、塚崎幹夫 p.43 7行

つまり、この分類にはただ遊びの要素を分類するというだけでなく、「その遊びの原動力や動機は何か」も合わせて表現されているのです。

例えば、アゴンならば競争する遊びですが、その原動力はスポーツのような「平等な競争の中で」「自身の優位性を示す」であるとしています。

勝負のはじめにおけるチャンスの平等。これを求めることが競争の本質的原理であることは明らかであって、遊戯者の能力に差があるときには「ハンディキャップ」を作り、この平等を確立するほどである。

「遊びと人間」著:ロジェ・カイヨワ 訳:多田道太郎、塚崎幹夫 p.47 3行

遊びの原動力は、どの競争者にとっても、一定の分野で自分の優位性を人に認められたいという欲望である。

「遊びと人間」著:ロジェ・カイヨワ 訳:多田道太郎、塚崎幹夫 p.48 2行

アレアならば偶然性による勝敗そのものですし、
イリンクスならば激しい運動などによって発生する非日常の恐怖や高揚感、興奮などです。

ミミクリについてはまた違った気づきがあったので別途紹介します。

このように分類は遊ぶ動機が基準となって作成されたものです。

そのため、この分類を使用して遊びを考える場合、
動機がなんであるかを意識しないと分類の効果がなくなってしまいます。

例えば、FPSのようなアゴンにアレアの要素を足すことを考えてみましょう。

確率的な要素はいろいろ考えられると思います。
弾丸のブレだとか、ダメージの乱数とか、アイテムの出現とか。

しかし、アゴンは「平等な競争」を望みます。
そのため、運による極端な不平等はアゴンの遊びとは相いれないわけです。

確率で即死させる銃とか、一定確率で弾が不発になり銃が使えなくなるとか

こういった運によって極端なメリット、デメリットが発生するものを入れるとプレイヤーから不満が出ることは容易に想像つくと思います。

そのため、もし追加する場合はアゴンの動機を阻害しない程度のバランスに調整することを前提にランダムで効果が出る必殺技を持つキャラクターであったり、ブレが大きい分威力の高い銃を追加するなど、アレアの動機を満たせるものになると思います。

このように分類を利用する場合は動機に沿うことでより効果的にデザインができそうです。


2.ミミクリにおける遊びの動機

さて、ミミクリについてですが
ロジェ・カイヨワは下記のように記述しています。

こうして、さまざまの表現をとる一連の遊びを私たちはここに迎えることになるが、いずれも次の事実にもとづいているのが、それらに共通の特徴だ。すなわち、人が自分を自分以外の何かであると信じたり、自分に信じ込ませたり、あるいは他人に信じさせたりして遊ぶ、という事実にい基づいている。

「遊びと人間」著:ロジェ・カイヨワ 訳:多田道太郎、塚崎幹夫 p.55 17行

それは、仮面をつけたり仮装したりして遊ぶ楽しみを包括するものであって、そうしたことがなぜ楽しいのかというと、遊戯者が仮面をつけて仮装をしているという事実それ自体が楽しいのであり、またその事実が生み出す結果が楽しいのである。

「遊びと人間」著:ロジェ・カイヨワ 訳:多田道太郎、塚崎幹夫 p.57 10行

つまり、プレイヤー自身が「別の何かになること」がミミクリという遊びであり、この自分に以外なること自体がミミクリの楽しみ、動機であるとしているのです。

たまに見立てであったり、リアルな表現による没入感を例に聞くことがありますが、この動機を踏まえると没入感はミミクリといえるか少し怪しいですね。

また、カイヨワは感情移入することもミミクリであると言及しています。

大きなスポーツの試合はミミクリの絶好の機会である。思い出していただきたいのは、ここでは、模擬は行為者から見物人に移されるということだ。すなわち、競技者が真似るのではなく、慣習が真似るのである。選手との同一化は、それだけでミミクリを構成する。これは、読者が小説の主人公の中に、観客が映画の主人公に自分を見出す原因となっているミミクリと、同種のものである。

「遊びと人間」著:ロジェ・カイヨワ 訳:多田道太郎、塚崎幹夫 p.58 15行

このことからもミミクリはあくまで自身が特定の対象になりきることで成り立つことがうかがえます。

今後ミミクリ的な遊びをデザインするときはこの点を意識しておきたいですね。


まとめ

知った気になっていた分類について、改めて引用元の本を読むことで定義や考え方をより直接的に理解することができました。
分類の基準を理解することでより効果的なデザインができるでしょう。
また今回はできていないですが、各分類をほかのゲームデザインに関する分類(MTGにおけるティミー・ジョニー・スパイクなど)と比較してみるとまた新しい発見があるかもしれません。

また何か勉強して気づいたことなどあったら
noteにまとめてみようと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。


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