山岡士郎VS海原雄山VS井之頭五郎

東京都某区の下町。商談を終えた井之頭五郎は今日の昼飯を考えながら歩いていた。今日はどこで食べるべきか。毎度のことながら、空腹のときに飲食街を歩くとつい目移りしてしまう。
五郎が選んだのは、どこにでもありふれた焼き鳥屋だった。鶏肉とタレの香りがひときわ彼の食欲を刺激したのだった。
五郎は暖簾をかき分け、店の中に入った。

「ごめんください」
あらいらっしゃい、と店の女将が笑顔で挨拶する。
五郎は奥のテーブル席に座った。各地を転々とする彼はどの店にとっても異邦人だった。そして食事を隔絶された空間で食べたかった。それ故に五郎はいつも奥の席を選ぶのだ。
五郎がランチの焼き鳥定食を食べているときだった。男女のサラリーマン二人組が店に入ってきた。
彼らはカウンター席に座り、焼き鳥を頼んだ。彼らは差し出された焼き鳥を食べ始めた。
「まあ美味しい!焼きたてで身が引き締まっていて、食べると肉汁とタレがジュワっと出てくるわ!」
「ああ、ここの焼き鳥は実に丁寧にできている。鶏肉はもちろん、タレにも上質な醬油と出汁が使われている。こういう名店があるから飲み屋街の食べ歩きは飽きないのさ」
五郎は二人の会話を奥から聞いていた。美味いのは確かにそうだが、別に素材なんてどうでもいい。俺みたいな男は、食べておいしければそれでいい。
すると、もう一人の男が店に入ってきた。その壮年男性は袴を身にまとい、威厳あるオーラを持っていた。
五郎はこの壮年の男を知っていた。海原雄山。日本でも有数の陶芸家だ。雑貨商をやっている職業柄、彼も名前と顔は見たことがある。
「当然だ、山岡史郎。何故ならこの店はわしが経営している店だからな」
「海原雄山!」
なにやら騒がしくなってきたようだ。
「至高のメニューとは万人に愛されてこそ初めて至高となるのだ。一部のボンクラしか楽しめぬ料理など廃れるばかりよ」
「何を!」
海原雄山と山岡士郎という男、なにやら曰くつきの因縁があるようだ。
飯が不味くなってきた。向こうさんの話がヒートアップする前に、さっさと食事を済ませて会計しよう。五郎が食事を手早く終えて帰ろうと立ち上がったその時である。海原が突然、五郎を指さした。
「ならばあの男に食べ比べてもらおうじゃないか!」
向こうの話が勝手に進み、その弾みで五郎が巻き込まれたようだ。
厄介な連中に絡まれたな、と五郎は思いつつも指名に応じた。
「ああどうも、海原雄山さん。私は井之頭五郎と言います。仕事柄、先生のことは存じています」
「前置きはよい。ならば井之頭五郎、今度の日曜日にわしと士郎の料理を食べ比べるがよい!」
「え、私がですか」
「そうだ。種目はなんでもいい。できればお前が普段食べているものがよい」
藪から棒に他人から高圧的に言われても、食べたいものなど出てくるものではない。まして、せっかくの食事を台無しにされたのだ。
「は、ハンバーグランチで」五郎は適当に答えた。
「よかろう。ならば士郎、この男に究極のハンバーグランチとやらを味わわせてみせろ」
五郎は日曜日にこの店でこの二人と再会することを約束し、釈然としない気持ちで店を跡にした。

日曜日。山岡と海原たちは究極と至高のハンバーグランチ対決を行うことになった。審査員は普通のサラリーマンとして抜擢された井之頭五郎。
先攻は山岡士郎。究極のハンバーグランチからが各々に振舞われた。
「おいしい!肉の味がしっかりしてるわ!」あの時の山岡の連れの女性、栗山ゆう子の顔がパアっと明るくなった。
五郎も一口ハンバーグを食べた。来た来た。渋々この人たちについて来たが、やはり空腹はすべてを許してくれる。俺の胃が、確かにこの肉塊を欲さんと求めているぞ。
「このハンバーグは高級な黒毛和牛を100%使っている。パン粉を一切使ってないから雑味がしないんだ」
五郎は山岡の解説を話半分に聞いていた。へぇ、そんな風に作られたんだ、と。
その時、海原の目がキラリと光った。
「甘いな、山岡史郎!」
「なんだと!?」
フフフ、と海原は不敵な笑みを浮かべた。
次に、海原の至高のハンバーグランチが振舞われた。
至高のハンバーグを食べたゆう子は目を丸くした。
「あっ!山岡さんのハンバーグに比べて雑味が少ないわ!」
五郎も食した。確かにさっきのハンバーグに比べてスッキリした舌ざわりだ。まるで俺の胃袋がジワジワ効く連続ボディーブローから強烈なカミソリアッパーを食らった気分だ。これはイケるぞ。
「山岡よ、お前は一つ見逃したことがある」
「なに!?」
「それは焼き加減だ。お前は肉の味を逃さない焼き加減というものを知らん!」
山岡は歯嚙みした。
「焼き加減などハンバーグの基本中の基本!それに比べてお前はどうだ!黒毛和牛を使えばよかろうと言わんばかりに、素材をひけらかしているも同然だ!下品千万!国民食の王様たるハンバーグすらまともに作れんとは、お前に味を語る資格はない!」
強烈かつ本質を突いた海原の罵倒に、山岡は反論できず肩を落としていた。
海原は五郎を指さした。
「どうだ井之頭五郎、お前はどっちを選ぶ?」
五郎は静かに答えた。
「ええ、海原先生のハンバーグは確かにスッキリしていた。だけど山岡さんのハンバーグの雑味もまた味わい甲斐がある。甲乙つけがたいですね」
海原は、優柔不断な五郎に軽蔑の眼差しを送った。
「フン、アテにならん奴だ。お前に期待したわしが馬鹿だったわ」
「だけどね」五郎は言った。「俺も海外とかで高級料理はそれなりに食べたけど、やっぱり肩の力を抜いてゆったりと食べるのが一番いいんだ」
会場内に電撃が走った。
そして山岡は気付いた。自分は親父に勝たんと最高級のハンバーグを作ることでムキになっていた。だが、この男は本物の味覚を持ちながらあえて庶民的な味を選んでいるのだ。名ばかりのグルメを名乗る連中を嫌っていながら、自分たちがまさにその泥沼に片足を踏み入れていたのだ。
「海原先生、山岡さん。あなたたちが世界一の料理を目指すのはいい。だけど俺は食材よりも平和に食べることの方が大事なんだよ」
山岡は勝ち誇った顔で立ち上がった。
「海原。あんた確か、万人に愛される食事とか言ってなかったっけ。俺たち二人はこの男を満足させられなかった。今回は引き分けということだ」
「フン、引き分けで満足しおって。この程度で浮かれていては先が思いやられるわ」
海原は捨てセリフを残し、ノシノシと店から去っていった。やはりあの男にも五郎の一言が何かしら引っかかったようだ。
「あ、じゃあ俺もこの辺で」と五郎もふらりと店から出て行った。
やれやれ、グルメ対決とか俺には縁がないようだ。ふらりと気ままに食べる根無し草が俺にはお似合いだ。そう、俺は旅するマリアッチだ。

東西新聞社の昼休み。山岡は社内の自販機でファンタグレープを買った。
ゆう子は山岡がファンタを飲む姿を珍しそうに見ていた。
「あら山岡さん。結構俗っぽいもの飲むんですね。いつもなら『偽物の味~』とか言うのに」
「たまにはこういうのも肩の力が抜けていいものさ。食事を純粋に楽しむってことをあの男から改めて学ばされたよ」
すると、後ろから甲高い怒鳴り声が響いてきた。山岡の上司・富井副部長の声だ。
「コラ~ッ!山岡!わしが頼んだ書類はどうした!」
「ハハ、今リラックスしてるところなんですから」
ゆう子は二人のいつものやり取りを見て苦笑した。
「リラックスはほどほどにしないとね」

END

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