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昨今の文芸に失望しちゃったんだ

数年前のことになりますが、話題の本を手に取って読み、すっかり失望してしまったことに関して書きます。

その本だけがつまらんということもあるのかもしれないけど、たぶん根本的な問題はその本の外にある。
だから名指ししませんけども。
(そもそもその本の著者にも読者にも角が立つし)

まずいきさつですけど、最近本読んでないなぁと思ったんです。
学校で課題になってる哲学書や論文や書籍ばかり読んでいて、小説や新書といった「いわゆる本」を読んでないなぁと。
それまで本を読むのが好きだったから、文転したんですけどね。
アメトーークの「本屋で読書芸人」か何か見たんだと思います。
売れ筋の本とか、話題の本とかたくさん紹介されてて。
とても魅力的に見えた。久しぶりに本読んで素敵な体験ができる!と思ってワクワクした。
なのに、期待を裏切られたんです。
正直、「は?今こんなものが売れてるの?評価されてるの?今本読む人たちってこんなものを評価するの?」って、思っちゃったんです。

・文庫の裏に書いてありそうなそれっぽいあらすじ
・突飛なオチ
・最低限の語彙力
これしかないな、って思っちゃったんですよね。
ハッとなる情景がない。
ディティールの細かさがない。
伏線もない。
想像力を働かせる余地もない。
思想がない。
哲学がない。
信念がない。

ついググった。
なぜこんなつまらんのか。
なぜこんなものを出版社が許したのか。
なぜ読者はこんなものに賞を与えるのか。

調べてみたけど、納得の行く答えはネットに転がってなかった。

なんていうか、方程式になっちゃったというか。
繰り返しますけど、
・文庫本の裏に書いてありそうなそれっぽいあらすじ
・突飛なオチ
・最低限の語彙力
あとは俗人哲学っぽい何か。
もうちょっと気が利いてる人は伏線とかですか?

単に足し算すれば、売れる本になるのか。
そんなに形骸化していていいのか。
なんかもっと、書かずにはいられなくてにじみ出て来るものではなかったのか。

文学、文芸って、もっと高尚なものじゃなかったのか。
読者が必死で教養身につけて、食らいついて、人間のレベルも上がるような、そういうものじゃなかったのか。
読者のレベルに合わせていいのか。

文句ばっかり言うならテメーが書けよ!
とも言われそうなので告白しますが、
私も15歳くらいの頃から小説を書いています。
文学少女(笑)

しかしこの件ですっかり失望してしまって以来、全然書いていません。
私が頑張って自分の納得できるものを書いても、きっと1ミリも評価されないから。
それがわかってしまったから。
高校生の頃とかに書いたのを投稿したりはするけどね。

そして最近気がついたことですけど、
私が文芸に求めたようなことっていうのは、もはや文芸の業界に留まっていないんですよね。
脚本として駆り出されて映画になっていたり、
シナリオとして駆り出されてゲームになっていたり、
歌詞として駆り出されて音楽になっていたり。
絵が上手な人が漫画にしていたり。
総合芸術に昇華しないと、世間に出てこない。

ペン一本、言葉一つで成立する芸術はどこに行っちゃったんだろう。
絵も描けず、映画も作れず、プログラミングもできず、言葉しか使えない私は、どうやって勝負したらいいんでしょうね。

さて、そんな私が今でも好んで読むのは古典です。
作家は著作権が切れてからが本番だよなぁ!?

夏目漱石、
谷崎潤一郎、
江戸川乱歩、
安部公房。

時代が変わったといえばそれまでなんですけどね。
だって彼らは当時最新技術ですらある印刷技術を用いて、文芸を切り開いた人たちなんでしょうから。
例えば私が文豪たちと肩を並べようと思ったら、ネットでもAIでもなんでも使って新ジャンルを確立すべきなのでしょうね。
現に、現代言葉一つで勝負してる人ってそれこそネットで求心力を持ってたり、そんなかんじ。

まあつまり、現代の書店に並んでいるのは残りカスなんだな、と思ってしまったんですよ。
私だって思いたくなかったよ。

異論は認めます。