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近所にあるイサーン料理店で昼飯を買った

アパートの近くにはイサーン料理屋がある。一般の民家の軒先に店を構えていて、完全にローカルなお店である。

定番のソムタムや、ナムトックムーなど、基本的なイサーン料理は出すお店らしいが、私はタイ料理の単語をあまり知らない事もあり、ナムトックムーとカオニアオ、そして、下の写真のおつまみを頼んだ。

この緑の葉っぱで包まれている食べ物だが、はじめはお菓子なのかと思った。葉っぱを取り除いてみると、酸っぱい豚肉であった。これまた珍味であり、美味だ。

そのお店にいた高齢の女性であったが、「今日は暑いねえ」、「暑いねえ」としきりに私に話しかけてきた。

何か世間話がしたいんだろうけど、特に私も話題が思い浮かばない事もあって、そうだね、暑いねえと返しただけであった。

タイの男性たちや、ベトナムの男性たちを見ていると実に彼らが女性に対してまめまめしく、おしゃべりの相手をしているをみることがよくある。

例えば路線バスに乗った時もそうだ。女性の車掌が延々と、ほとんど一方的に男性の運転手に向かって何やら話し続けている。男性の方を観察しているとただ単に頷いているだけでは無いらしく、処所、何か意見らしい意見を言っているようにも見える。

ああいう東南アジアにおける男と女の情景について、知人に話をした所、それは彼らのコミュニケーションスキルの高さがなせる技なんだよという答えが返ってきた。

なるほど、そういうことなのだろう。東南アジアの人々が延々とお喋りに打ち興じる姿であるとか、彼らの一見すると軽い喋り方と言ったものは、東南アジアの歴史や文化が生んだものに違いないということである。

また、タイ人はよく挨拶代わりに、「どこへ行くの?」とか、「ご飯食べた?」とか、そういうことを聞き合ったりするわけだが、そういうことについても、日本の会社で肉食のコミュニケーションを日常的に行なっているサラリーマン諸氏(私も含めて)にとっては、非常に間怠っこしい会話であるかもしれない。

すなわち、日本の企業戦士として、物事を語る時にはまず結論から話して、論旨を明確にし、余計な情報はそこに挟まないみたいなのが肉食のコミュニケーションだと思うのだが……、まあ、仕事を離れてもそういう会話ばかりしていたら、諸外国の人々から興醒めだと思われても致し方あるまい。

それと、「結論から話す」ことの弊害について思うことがあるのだが、こればかり意識してやっているとおそらく、単なる情報の伝達としての会話力は伸びるだろうが、面白い話を他人に聞かせる、いわゆる話芸といったものは身につかないだろう。

イノベーションや創造性が一切求められない仕事なら問題無いだろうが、結局、ビジネスというのは人の心の琴線にいかに触れるかが大切であって、そうなると一見、余計な事に思われる周辺情報や、話芸のようなクリエイティビティがより一層、その価値を高めていくのではないかと思っている。



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