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蕎麦変人おかもとさん #10

第十話 岡本さんと柏木さんの石臼研究会

(第九話 京都蕎麦維新の会)

 一九九七年、六月。我らがホーム、ミナミの『かしわぎ』に石臼がやってきた。といっても自家製粉を始めたわけではなく、とりあえず丸抜きに触れながらあれこれと研究してみようということになったのである。

 直径は約三十センチ。モーターではなく、手で回すための柄がついている。まるでどこかの農家にしまい込んでいたかのような古い感じのものである。実はこれ、亀岡の『拓朗亭』が貸してくれたというのだ。

 柏木さんはあれから本当に亀岡に行ってきたようで、何がどうなってか、前川さんが奥様のご実家から譲り受けて、ご自身が研究に使っていたという石臼を運んできてくれたそうな。まさかの亀岡とミナミのご縁である。

 とはいえ、柏木さんもなかなか忙しい。昼間から仕入れや仕込みに追われ、夕方には店を開けなければならない。店には二回のピークタイムがあり、一回目は六時から八時の間で、水商売のおねえさんたちが中年紳士同伴で食事に来る時間。そして二回目がサラリーマンたちの残業帰りかハシゴ客が流れ込む十時頃から〇時頃まで。というわけで、柏木さんは手挽き石臼を岡本さんに託したのだった。

 思ったとおり、岡本さんは毎晩のように『かしわぎ』へ通いつめた。研究場は店の二階。店は一階がカウンター七席、二階がテーブル十席であったが、体力的に無理があったのだろうか、ある頃から二階に客を入れるのをやめ柏木さんの休憩室のようになっていた。岡本さんはネクタイをはずして、閉店間際まで臼を回し続けていた。僕は三日に一度くらいのペースで顔を出していた。

 ある日の夜、九時頃。暖簾をくぐるとカウンターで何組かの客がいい感じにできあがっていた。正面には蕎麦団子をこねる柏木さんの丸い背中が。ゆっくりとこちらを振り返り、眼鏡に蕎麦粉をつけた柏木さんはにっと笑みを見せて上を指さす。満席のカウンター席を通り抜け、狭くて急な階段に足を踏み入れると上から石が擦れる低い音が聞こえてきた。

 ゴロゴロゴロ‥‥‥

 岡本さんが汗だくになって、無心に石臼を回している。

「あ、河村さん、お疲れ様です。来て早々ですがちょっと下を押さえててもらえませんか」

 石臼の下を見ると、敷かれている新聞紙がもみくちゃになっている。僕は下臼を両手でがっちりと押さえる。

「蕎麦ってのは熱に弱いといいますから、こうやってゆっくりじっくりと回してみてるんですよ」

 上臼には直径二センチくらいの穴が開いている。ここから少しずつ外皮を取り去ったそばの実(丸抜き。抜き実)を落としていくのだ。

「この穴にはあまりたくさんの蕎麦を落としちゃならないんです。一回転で六、七粒でしょうかね」

 岡本さんは右手で臼を回しつつ、ピンと伸ばした左手の人差し指と中指で蕎麦の実を摘んで、少しずつ穴に落としていく。時折、上臼と下臼が引っかかって、回転が止まったりする。

「おっとっと、しっかりと押さえててくださいよ」

 岡本さんは何かに憑かれたかのように黙々と回し続ける。挽いた粉は下臼の周囲が受けになっていて、ある程度たまったら刷毛で粉を容器の中に落とし、また上臼を回すのだ。これを三十分ほど続け、今度は取れた粉を篩にかける。

 そして篩に残った粗挽きの蕎麦の実を再び石臼で挽き、それを終えたらまた篩に。どうやら基本的なやり方は岡本さんが前川さんから聞いてきたようだ。

 出来上がった蕎麦粉は、直径二十センチのボウルに三分の一ほどの量になった。

「岡本さん、これを打ったら何人分になるんですかね」

「さぁて、どうなんだろう。たぶん五人分にもならないんじゃないかな」

 ここまで挽くのに、ざっと一時間半かかっているという。

「一時間半で五人分ですか。なんちゅう割の合わん作業や。こんなの商売ではやってられませんねぇ」

「まったくです」

 岡本さんは、挽いた粉をもって、一階の柏木さんのところへ持っていく。

「柏木さん、今度のやつは三回挽きにしてみました。もしかしたらエグい味になるかもしれません」

 おでんを皿によそっていた柏木さんが手を止めて、ゆっくりとこちらに旋回。湯気で曇った眼鏡を片手でくいっと上げ、岡本さんが手にもつボウルの中を覗き込んだ。

「ふぅむ……これ昨日のより細かいね。色も少し濁ってるなぁ。後で打ってみるね」

 そう言って、しっかりと味の染みた大根と厚揚げをお客に出し、静かにボウルを受け取った。岡本さんはまた二階へと駆け上がり、僕もその後を追う。

「それじゃ次は一番粉に挑戦しましょう」

 岡本さんは、テーブルの下に置いてあった、丸抜きが入った大きな紙袋を引きずり出して、小型のボウルでざらざらと掬いとる。

 二、三粒指に取り、口に放り込んでもぞもぞと食べ出した。僕も真似て口に入れてみる。ぷちっと弾けて粉が舌の上に散らばってから、甘い風味が広がった。

「不思議やなぁ。こんな小さい粒をいっぱい集めて、こねて打って湯がいたら、あの香しい麺になるんやから」

「本当ですね。蕎麦ってこんな味してるんですね。この五ミリもないような小さな粒の中の、内側と外側で色も味も全然違うっていうんだから面白いですよ。ほら、これ見てください。最初に出てきた粉、真っ白です」

 岡本さんは石臼を一回転だけさせて手を止め、臼の脇に落ちた粉を指さした。確かに真っ白な色をしている。そして上臼を両手で持ち上げ、内側を覗いてみる。臼と臼があたる部分には斜めに何本もの溝が彫られていて、その隙間に潰れかけの蕎麦の実がいくつもはさまっていた。その一つを岡本さんが取り出す。

「蕎麦の実が割れるときは、まず真ん中からって前川さんおっしゃってましたよね。これ、ちょうどミカンのような感じで、一つの実が三つか四つに砕けてます。こうして芯の粉が落ちるんですね。本当は上臼と下臼の間隔を調整して、圧力を調整するのだそうですよ」

「へぇー、めちゃ希少なものやったんですね」

「そういうことです。でも、この芯の部分は残念ながら蕎麦の香りはほとんどない。ほら、例の更科ってやつですよ。これは決めの細かい舌触りと鮮やかな食感、それと茶切りや柚子切りなど変わり蕎麦として楽しむものなんですね」

 石臼をもう一回転させたら落ちた粉をボウルにまとめ、その後の回転で落ちてくる粉は別のボウルに分けていく。で、一度石臼を軽く掃除して、また新しい粒を入れては二回転ほどで一旦止める。

 岡本さんはしっかりと確実にこの気が遠くなるような作業を延々と繰り返すのであった。普通に挽くだけでもとてつもなく時間がかかって面倒なのに、この挽き分けの作業は何倍も時間がかかるのだった。

 一階からは、お客たちの高い声と、水道の蛇口をひねったり換気扇のスイッチを入れたりする音が時折聞こえてくる。二階は依然、ゴロゴロと石臼の擦れる低い音だけが響き渡る。僕もたまに臼を回させてもらった。

 石の擦れる響きはなかなか気持ちのいいものだ。回る石と、穴に落ちていく蕎麦の実を眺め続けていると、次第に言葉がなくなっていった。しかし、悲しいかな飽き性の僕は、こういう作業は長時間やっていられなくて。十分ほどで岡本さんに返す。

 ところで二階の部屋であるが、ここも一階の間取りと同様に細長い形をしている。階段を上がってすぐ右手に一階とつながるリフトがあり、左手はトイレ。客席は四人がけテーブルと二人がけのテーブルが一つずつ。正面の壁に沿うように薄紫色のソファ風の椅子があり、そこの半分に柏木さんのバスタオルや衣服、鞄などが無造作に置かれてあった。僕はそのソファの上のあいた部分にどかっと座る。

 幅五十センチほどの小さな窓が二つあって、そのうちの一つから店の向かいの銭湯「桃の湯」のネオンが点滅しているのが見えた。前は車一台が通るのでやっとの細い路地。行き交う酔っ払いの中年男や着飾った水商売風のおねえさんたちの黄色い声とともに、指に挟んだタバコの煙がゆったりと街の雑踏の中へと消えていく。背後では、岡本さんが無の境地でゴロゴロゴロ……。

 石の響きを感じながら僕はあらためて思うのだった。岡本さんは蕎麦のことをなぜここまで好きになれるんだろう。今まで幾度も蕎麦屋になるつもりですか、と尋ねたことがある。が、いつも「自分はただの麺喰いですから」と応えるのみ。柏木さんも柏木さんで、岡本さんが挽く蕎麦粉をただひたすら打っては、あーでもない、こーでもないと繰り返しては楽しそうにしているし。

 僕の興味の矛先は、蕎麦よりやっぱり柏木さんであり岡本さんという「人」である。

 だってどう考えたって面白いではないか。こんなにスローな江戸っ子は見たことがない。元超一流の編集者が、今は眼鏡を曇らせた自称ナニワのB級蕎麦屋なのだから。客より先に店主が酒を飲んでる店なんて聞いたこともない。それでも格好よく思えるのだから、これほど謎に包まれた人は会ったことがない。

 そう思った瞬間、タバコの灰がぽたっと眼下の通りへ舞うように落ち、階下から柏木さんの低い声が聞こえてきた。

「岡もっちゃ〜ん、河村君、蕎麦ができたよぉ」

 僕と岡本さんは目が覚めたように立ち上がり、勢いよく階段を下りていく。先に挽いた分の蕎麦が、一枚のざるに盛られてカウンターの隅っこに置かれてあった。柏木さんはすでに一枚のざるを片手に持ち、右手の指で摘んでチュルチュルとやっている。

「ふむぅ、うまいんだけど、やっぱりちょっとえぐいねぇ」

「そうですね。これは挽き方だけでなく材料にも問題がありそうですね。いま、一番二番の粉を作っていますので、その後は外皮の黒い部分も入れてみましょうか」

「そうだねぇ、外皮挽きくるみの田舎蕎麦だね」

 えっ、もう夜の十一時半なのにまだやるの。もうええから「桃の湯」へ行きましょう、と僕は心の中でそう叫び、岡本さんは何の躊躇もなくまたゴロゴロと臼を回しだす。

 このように雑踏のミナミの狭い蕎麦屋の中で、大人の手挽き石臼研究会はまだまだ続くのであった。

 

 八月二三日、ついにあまから手帖の蕎麦特集号が発売された。内容としては結局、うどん店情報と、福井・今庄や島根・松江、高地・四万十など、関西近郊の蕎麦とうどんの郷のレポートなども加わった。もちろん長野取材も。

 うどん王国関西において、蕎麦が前面となり軸となり、中でも「三たて」の店々が主役となったことは、異例中の異例、おそらく関西の雑誌業界初の快挙である。

 選出された多くの店が岡本さんからの推挙である。

 大雑把に構成を説明すると、まず扉に、関西蕎麦新時代の象徴的存在として、一九九一年大阪・大正区で開業した『そば切り凡愚』が登場。向かいのページには僕と担当編集者のコラムが。

 次から蕎麦屋が続々と登場する。一発目が岡本さんの顔写真と京都・亀岡の『拓朗亭』。その向かいが当時は出張蕎麦屋として活動していた神戸・三宮の『ろあん松田』(現在、兵庫久美浜、篠山、大阪北新地の三か所で展開中)。下に京都北山の『じん六』。次の見開きに、大阪箕面から北新地に移転したばかりの『そば紀行』。京都・太秦『味禅』。大阪・東心斎橋『かしわぎ』。その次が大阪・生野『月火水』。京都・南区『たくみや』。神戸の重鎮『堂賀』。奈良の大御所『玄』。奈良公園『そば処よし川』。大阪・野田『やまが』。大阪・北浜『たかま』。大阪・枚方『そば切り天笑』。

 この後にうどん店が九軒続き、長野戸隠のぼっち盛り『うずら家』。生粉打ちの総本山『ふじおか』。浅間温泉『楽座』の見開きが来る。続いて、福井、島根、四万十。別企画で兵庫の出石も。

 この特集により、隠れ蕎麦ファンたちを勇気づけたことはもちろん、新たな客層の拡大、さらに既存の蕎麦屋たちの間でも評判となり、この後から関西の各情報誌やテレビなども手打ち蕎麦屋に注目するようになった。

 ちなみにこの特集号が出た一九九七年の開業でも取材後の開業となったり、たまたま何かの都合で掲載できなかった分も含めて、岡本さんの頭の中に入っていた店は次のとおりである(一九九八年以降開業の店は含まない)。

 京都から京田辺『やまぶき』、伏見『なかじん』。兵庫が篠山『一会庵』、西宮『夢打庵』、宝塚『そば植田』『三佳』、芦屋『土山人』。大阪は谷町『春知』、茶屋町『割烹そば神田』など。これは僕のいい加減な記憶によるもので、実際にはもっとたくさんあったはず。

 ライター専業になって三年目となる一九九七年は、個人的には大きな使命を果たせたと納得できた年となった。

「第十一話 ライターを辞めて松阪へ行きます」

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