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”おとなの学び”へ

しばらくご無沙汰していました。お久しぶりです。

第7回おとなの研究会が終了しました。発表の機会を戴きましたが、こんなに直前までスライドをつくっていたのは人生初です。終わった後、当初思い描いていた「祝杯をあげるような気分」には程遠く、ひたすら脱力していました。

もともと自分に後延ばし癖があることは自覚していました。しかし、様々な言い訳と共に放置してきました。「最終的には何とかする」というのは自分本位の傲慢な発想だったこと。それを助け、見守り、或いは待って下さっている方々に対してきわめて失礼な態度であったことを今回認め、受け入れます。そして、改めます。

今回気がついたのは、自分は仕事に関しては後延ばしを絶対にしないということです。むしろ面倒だったり苦手だったりすることは先を見越して早々に処理します。ぎりぎりになって苦しくなったり、収拾がつかなくなってはならないので、その場その場で退治します。膨大な量になる紹介状作成や複雑な書類なども或る程度先につくってしまい、後は微調整を加えるだけでOKのところまで完成させます。相応の達成感もあります。ここまで書いていて分かったことは、本気でやれば問題なく出来るということです。

では、何が違うのか。自分で決めたのに、同じように出来ないのは何故か。それはどこかで「やらされている」感にすりかえていたためだと思います。自分が主体的に学ぶ姿勢を放棄していたのです。自分で決めたことなのに。掃除とか片付けとかは、めんどくさいな〜で後延ばしする日があっても、結果生じる不利益を被るのは自分だけです。結局はいつやるか、だけです。 そして今回よく考えたら、後延ばし癖で自分が最も困っているもう1つの分野はやはり学び関連でした。自分で決めたことなのに。「面倒くさい」「苦手なものとわざわざ苦労して向き合いたくない」「大変そう」「失敗したくない」などのネガティブな先入観を自分が選んでラベリングしていたとしたら。これは自分自身の認知に問題があるのだと、今回初めて自覚しました。「出来ない」「むつかしい」「大変」にfocusし続けていたら、まあ当然そういう結果になりますよね。読みが甘すぎる。基本姿勢がなってない。甘え+言い訳による逃げで上塗りしてる。・・・はあ。この年まで気がつかないって、あなた、莫迦じゃないの!! と自分に向かって罵りたい気持ちがふつふつと湧きます。その一方で、遅すぎるけれども、今気づけて良かったとも思います。そして、今までの人生の大半を「与えられたものをただこなす」ことに費やしてきたのだとしたら。この先、どんな喜びが待っているんだろうとも思います。ただ、認識を変えるだけで。

苦手なものを避ける、逃げ続けることは主体的な学びの対極にあります。第4シーズンを続けられるとは到底思えない日もありました(発表直前に逃亡したくなったくらいですから)。今度こそ、本当の”おとなの学び”を目指します。遅すぎることはないと信じて。

上の写真は先日電車内で見た広告で、この「英語」部分を自分の脳内で「研究」に置き換えて唸っていました。その頃はまだ「やだやだ星人」でした。今あらためて思います。認知を変えるだけで良いのだと。そして何事も長続きしなかった自分は、将来のvisionを維持出来ていなかったということなのだと。

そう思うと、最終ゴールが見えていないのにも拘わらず27年も仕事が続いているのは、ほぼ奇跡としか言いようがありません。そのくらい好きなのかな? そうだったら嬉しいけど。

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