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自由に、ただ光のさす方へ〜映画「Lifers」「PRISON CIRCLE」を観て〜

友人に勧められて「PRISON CIRCLE」を観たいと思っていた。今年の春先、緊急事態宣言で見送ってから約半年。ようやく機会を得た。同じ監督の前作「Lifers」も同日上映されたため、2本続けて鑑賞することが出来た。

「Lifers」は米国刑務所内でアミティという民間組織が受刑者の更生を助けていく過程を淡々と記録したものである。エピソードの1つに、誤って仲間の兄を殺めてしまった受刑者を、その弟が赦す部分が出てくる。そこでの台詞は、先日Black Lives Matterで亡くなった某アーティストの兄が言った台詞とほぼ同じだった。「起こってしまったことは仕方がない。彼を責めても兄弟は帰ってこない」。なお、これは2000年代初頭の記録映画である。同じ台詞が出ることの向こう側に、彼らが人種として受けてきた受難とこれまで諦めてきた多くの無念を感じた。映画の本来の意図とは別の所でこの事実に打たれた。また、仮釈放のための諮問委員会の描写にも、非常に思う所があった。「人を赦す」とはどういうことか、考えさせられる一連の描写が続いた。赦さない=自分を被害者のままにしておく、とも言えるのではないかと感じた。様々な出来事の中で、時間がそこで止まってしまうことの苦しみを想った。そして、再生という言葉の曖昧さを痛感した。とてもよく出来たドキュメンタリー映画であったけれど、個人的には胸の中のもやもやが晴れないままに終わった。終盤、受刑者達がクリスマスを祝うシーンはただただ圧巻だった。そこに僅かな希望を見いだすことが出来た。その一方で、実際には受刑者達の再生の物語は彼らだけではどうにもならない部分があることを思い知らされたようにも想う。

休憩時間に散歩に出た。夕風に吹かれてちょっと離れたコンビニまで行き、夕闇にまぎれつつ棒アイスを囓って帰ってきた。心の中は平静を保とうとしていた。フラットな気持ちで「PRISON CIRCLE」を見始めるためのリセット時間だったかもしれない。それくらい重たい映画だった。

「PRISON CIRCLE」は日本の映画である。上記アミティに由来するプログラムを取り入れた「TC」という講義がある。これを受けられる刑務所内での出来事を記録した映画である。凄かった。これをここまで完成させた関係者の熱量に感激した。それと同時に、これが私達の生活する日常の延長線上にあることを痛いほど感じた。映画の中のこととして見ることの出来る「他人事」では全くなかった。日々関わっている小児科外来のすぐ向こう側に、不完全な親子関係が幾つも存在すること。その中で一部の子どもが、小さいうちにある種の分岐点を越えてしまうこと。そして最終的にここに辿り着いている例があるということを改めて知った。途中で出てくるTCの一連の過程は実践的な心理カウンセリングの場である。ここに関与して下さる臨床心理士の方々の偉大さには、本当に頭のさがる想いである。

帰り道、多くのことを考えながら、言葉にならないものを幾つも抱えたまま、慣れぬ街並を歩き駅を目指した。乗換駅から普段使っている私鉄に乗り換えた時、えもいわれぬ安堵を感じた。日常に戻ってきたような気がした。そしてまた、大きな宿題をもらったような気がした。最大瞬間風速のような形で、熱を以てこれらの課題に関わることも可能だと思う。けれども、誠実に向き合うことはどういうことかと考えると、個人的には少し違う感触である。まずは見て見ぬふりをしないこと。心の中にこのモヤモヤを飼い続けておくこと。この2つが、自分に出来る最初のステップのように思う。

ふと思う。さまざまな人が、こんな風に自分自身と向き合い、開示し、変容していける場をつくりたい。提供したい。誰かが一方的に講義するのではなく。あやしい宗教(と世間でよく表現されるような)を連想させるような、妙な興奮や恍惚感に参加者が溺れたり流されるのではなく。時に非常に事務的に、淡々とすすんでゆくような形が良い。そして、そういう場で自浄作用のように子ども達や親達が、自ら成長して行ける場をつくりたい。もしも誰かが今、犯罪者になって刑務所に入ったとしても、この映画のようなTC準備のある場所は日本にまだ1つしかない。限定20人の場である。・・・犯罪をおかす前に。希望を失う前に。彼らが取り返しのつかない何かを失う前に。子ども達が自由に、ただ光のさす方に向かって羽ばたいていけるように。

この映画に出逢ったことは、きっと私自身の小さな分岐点になる。機会を与えていただいたことに、感謝。


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