彩りの記憶

上記記事を拝読しての、つぶやき。結局、仕事も研究も、本当に楽しかったり面白かったりしなければ、続かない様な気がするのでした。よく本業に関して「大変だよね〜」って言われますが、喜びがなければとうに止めてます(^_^;) 先日おとなの研究会で発表させて戴いた内容には「患者さんに感謝される、有難うと言われる」ことが訪問看護師さん達の動力源になり得る、という部分がありました。一般小児科診療では、もう少し色んなバリエーションがあります。子ども達が(身体的に)育っていく喜び、家族として親子関係が成熟していくのを見る喜び、子どもの自立や自我の確立をそっと見守る喜びなどなど喜びの種類は色々あります。高齢者医療に関しては、正直医療の限界というか、無力を感じることも多いです。その分、ふとした瞬間に「この人と生命の喜びをわかちあえた」と感じる記憶が積み重なって、自分を更にお仕事ジャンキーにしていくのでした。同業の親しい友人はこれをビョーキと笑いますが、私もほんとにそう思います。

何事も長続きしない自分が、よく20年以上同じ仕事をしてるよなあ。と時々感心します。とはいえ、関与する場所や形は少しずつ変わってきています。NICU→小児循環器→一般小児科外来→個人開業→小児科クリニック勤務医→(一部)高齢者の訪問診療と落ち着きなくフィールドを変えてきたからこそ、様々な方向から人や医療を見られるのかもしれません。そして、他分野での経験が無駄になっていないと感じられることは、有難いことです。ある時期何かに没頭した時間が、多分自分の身の一部になっている。そのことにただただ感謝です。

最近読んだ漫画で、ペアを組んで取り組む競技に関して相方のことを「相手の存在が様々な自分を見せてくれる。そう思ったら相手がこの上なくいとおしい存在だと思えないか?」という部分があり、一連の表現が非常に円熟していて印象深かったです。仕事も研究も、そんな風に自分を見せてくれる鏡であり、時に万華鏡の様なものなのかもしれません。それをただ、味わう。それで良いのかな。彩りの記憶は、自分の中に静かに降り積もっていきます。今日も、明日も。そしてまた、喜びを目指して走って行くのでした。元気な子犬のように。

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