住んできた家や部屋について(住居遍歴) その2

 誰得でもない記事ですけれど、お付き合いくだされば……(;^ω^)

25歳で結婚して夫と引っ越したのは、福岡市の外れにある住宅街の軽量鉄骨アパートでした。外れといっても福岡市は都会なので、家賃は高かった! 部屋の間取りは2LDK。ここでわたしは大きなミスを犯します。結婚する前に近所のおばちゃんたちから「夫婦というのは一緒に寝るもの! ケンカしても同じ布団で寝ていれば、なんとなく仲直りできる! 何があっても一緒に寝なさい!」そう言い含められました。いま考えると「ケンカしても一緒に寝ていればモニョモニョゴニョゴニョして、なんとなく仲直り」なんて図式は「ふぜけんな! 女をバカにすんな!」なのですけれど、アホなので当時は「一緒に寝てさえいれば、ずっと仲良く過ごせるのか」盛大なカン違いをして一緒に寝ていました。「寝る」の意味をカン違いしていた! そしてこれが大きな間違いでした! たぶん別々に寝ていたら、離婚はしていなかったと思います!

原因は彼の大きなイビキです! イビキがうるさくて眠れない! それに加えて彼は無呼吸症候群だったようで、急に呼吸が止まる! 心配になって夜中に何度も彼が生きているか確認していました。無呼吸症候群はお医者さまにまかせて、わたしは別室でゆっくり寝ればよかった! それなのに「夫婦は一緒に寝なければならない」という言いつけをバカ正直に守っていました。

そうこうしているうちに彼の転勤で福岡県の久留米市へ引っ越すことになりました。会社から家賃補助も出るし、久留米市は福岡市に比べて家賃が安い! 浮かれて決めたのは、7階建て3LDKの新築マンションでした! 田んぼの中にそびえ立つ真新しいキレイなマンション☆ そしてこのマンションで「一人暮らし」がスタートしたのです! 転勤してすぐ、夫が大阪へ単身赴任になってしまった! 誰も知り合いがいない久留米市で、わたしは一人になってしまいました。子どもはいないし働きにでも出ればよかったのでしょうけれど、わたしはずっと家にいました。夫が帰ってくるのは2週間に一度くらいです。夫がいない間、広いマンションでゲームをしてネットをして、本を読む。宿題のない夏休みのような生活が延々と続きます。最初は楽しかったのですけれど、すぐあきてしまった。でも外へ出かけるという発想がなかった(←バカ)ので、ずっと部屋にこもっていました。

一人で自由に生活して、金銭的な心配はゼロ。夫は優しい人だったので「気分転換に旅行へ行けば?」「マチちゃんは楽しく過ごしてね♪」そう言ってくれました。この話をすると「うらやましい!」「わたしもそんな生活をしてみたい!」そう言われますけれどこの生活、病みます(;^ω^)

誰からも必要とされない、誰とも話さない、なんの目的もない生活…………同じ一日が延々と続く…………「わたしは何のために生きているの??」 相談したくても相談できる相手はいません。なんの役にも立たない自分がいるだけ……。これは病みます(;^ω^) 生きる気力がどんどんなくなる(;^ω^)

このままではヤバイような気がする……でもどうしたらいいか、わからない……。目的のない一人暮らしをして半年ほど経ったころ、夫が正式に大阪へ転勤することになりました。そして妻のわたしも大阪へ引っ越すことになった! やった~! 大好きな夫と一緒に暮らせる! しかも知らない土地で!

大阪府枚方市の社宅は、これといった特徴のない古い5階建てのマンションでした。間取りは2LDK。まるで団地みたい。エレベーターもオートロックもないし、階段もむき出しのコンクリート。ところが家賃は15万円! 屋外駐車場は5万円! なんで!? 久留米市のマンションはお洒落な外観でエレベーターもオートロックもあって3LDKで広々していたのに、家賃は7万円だった! 大阪って怖い! 都会って怖い! 田舎者のわたしにとって、枚方市は立派な都会でした。歩いて1分の場所にスーパーも駅もコンビニもあって、雨が降っていても濡れずにお出かけできた。

ここで暮らしたのは半年くらいです。また急に夫の転勤が決まった。今度は滋賀県らしい。滋賀県? なに、それ? 琵琶湖?? 知らんし。ワケのわからないまま慌ただしく引っ越しました。

滋賀県彦根市にあったのは通称「バブルマンション」と呼ばれるバブリーなマンションでした。社宅なのに外観もお洒落で部屋も広々、最新式の給湯設備やエアコンがついていた。このマンションは別名「エリートマンション」と呼ばれていました。夫の会社(一流企業)のエリートたちが住んでいるから……。もちろん夫もエリートでしたし、他の方々もエリートでした。わたし以外は……。

グチにしかならんのですけれど、聞いてもらえますか? 社宅なのでゴミ出しのルールなどはきっちりしていました。指定された曜日の決められた時間内(1時間以内)に出す必要がある。夫の朝食と弁当を作って送り出し、ゴミをまとめて集積所へ行こうとすると、必ず社宅のママさんたちと会うのです。ママさんたちは子どもを園のバスに乗せるため集合していて、バスがピックアップした後に、マンションの入り口で立ち話をしている。10人くらいいらっしゃったかなぁ? キレイな格好をしてキレイにお化粧をして、ピカピカ☆な一団です。最初はママさんたちがいると知らずにだらしない格好でゴミ出しをしていたのですけれど、すぐにわたしもキレイな格好とメイクをするようになりました。だって社宅だから! 夫に恥はかかせられないから! ゴミを出すためだけにお着換え & メイク!! でも頑張る!!

ママさんたちとお話したかったのですけれど当時のわたしは子どもが授からなくて悩んでいたので、ママさんたちに劣等感を感じていました。ですからゴミを持って「おはようございます~♪」そう言いながら足早に通り過ぎ、ゴミを出したら「どうも~♪」そう言いながらソッコーで部屋へ戻っていた。ほんとはいろいろ話したかったのですけれど、劣等感がジャマをしてどうしても輪に入れなかった(涙)。

住んでる方たちはエリートやその妻、その子どもたち……。なんだかわたしだけ毛色がちがうなぁ……。博士とか修士が当たり前の中で、わたしだけ高卒なんだよなぁ……。世界がちがうなぁ……。ショボン(´・ω・`)

バカなわたしも少しは学習して、働きに出ることにしました! パートでデパートの外商事務をすることになった。数字が苦手なので事務は四苦八苦でしたけれど、ずっと家にいるよりマシ! そうしていると年末になり、とある会へお招きいただきました。その名も「奥様会」です! エリート社宅の奥様たちが一堂に介する! げっ! とんでもない会に呼ばれた!! 当日は開始直前まで仕事だったので、スーツを着たまま会場へ行きました。そしたら全員、ドレスアップしてた!! なんてこったい! ミスった!!

 20人ほどいた奥様たちは夫の稼ぎで働く必要がない & 小さな子がいる & 転勤が多くて定職に就きにくいなどの理由から、全員が主婦でした。…………わたし、除く…………。そしてご主人だけでなく、奥様たちの経歴も華やかなものでした。…………わたし、除く…………。大学を卒業して一流企業に就職、そこでご主人と会って結婚、可愛い子どもを授かってとか、今は育休で休んでいるけれどその企業で勤務とか…………。ご主人の転勤でアメリカ、ヨーロッパ、中国、上海など海外で暮らした方も多くて……わたし、除く…………。きらびやかな世界を前にして、わたしはどんどん萎縮してゆきました。わたしは高卒だし子どももいないし、海外で暮らしたこともありません。わたしだけ場違い…………。

なんとか奥様会を終えて社宅へ帰り、部屋でボーゼンとしました。わたし、これから先、ずっとこの世界で生きてゆくの?? 夫の社内の地位がダイレクトに奥様の地位に反映する、この世界で??

もちろん奥様たちは優しくて、わたしをビビらせるつもりは少しもありません。けれども奥様たちがフツーだと思っている世界は、わたしにとってフツーじゃなかった。学歴もキャリアもない子どももいないわたしが、勝手にビビっただけです。

夫のイビキを聞きながら考えました。「もう、この生活はいいかな?」
夫のイビキを我慢して一緒に寝るのも、きらびやかな方たちにビビりながら暮らすのも、わたしはもういいや。

「でもこの生活を手放したら、どうなるの? 一人で生きてゆくなんて無理でしょ!? 今のバイト代で自活なんて無理だし! 絶対に無理!!」

内なる自分の声に耳を傾けながら、暗い部屋で天井を見つめるわたしなのでした。

(まさかの続く……!!)


サポートも嬉しいですけれど、拙書「姫さまですよねっ!?」をぜひご笑覧くださいませ(^▽^)/ 愉快で楽しい本です♪♪