見出し画像

笹原花(第二回公演『リトル・ブリーチ』に向けて)

弟の話をします。


私の家は、いわゆる親戚付き合いというものが非常に盛んでした。それもそのはず、私達といとこ、祖父母はそれぞれ車で10分のところに住んでいたのです。月に一、二度、皆で我が家に集まり、手巻き寿司や焼肉を囲んでいました。

そのパーティーのトリを飾るのが、祖父母が買ってきてくれたイチゴでした。口を大きく開けて真っ赤なイチゴを頬張る幸せは、幼い私にとって大変特別なものでした。それは勿論、2歳下の弟にとっても同様でした。

100粒ほどあるイチゴを配分する方法、それが「イチゴトランプ」でした。ルールは至ってシンプルで、皆でトランプを引き、一番大きな数を引いた人から多くイチゴをもらっていく、というものです。引きの強い祖母が空気を読まず、なぜか毎回大量のイチゴを得ていたことを覚えています。

しかし引きが強い人がいるということは当然弱い人もいます。我が家ではそれが弟だったのです。弟は奇跡的に毎度弱いカードを引き、イチゴを全く得られず泣き喚いていました。

そんな弟に父がある選択肢を提示したのは、弟が自分の運の弱さを自覚し、祖母にイチゴをねだるということを覚えはじめたときー確かあれは夏の初めでしたーのことです。それはイチゴトランプに参加せず、確実にイチゴを10粒得る、というものでした。弟は迷わずその選択肢を選びました。一方自分の引きに絶対の自信を持っていた私は、そんな弟を心の中で軽蔑しながら、イチゴトランプに参戦しました。

結果、勝利の女神はこの私に微笑みました。私は未だかつてないほどの引きの強さを見せ、20粒以上のイチゴを得たのでした。

大勝利でした。しかしそんな私を弟は許しませんでした。自分で選んだ道にもかかわらず、弟は泣いて私にイチゴを返せと訴えました。頑固な私は当然譲りません。その日のパーティーは弟の必死の訴えをもって幕を閉じました。


こんな話を書いたのは、2週間前、京都でおよそ2年ぶりに弟に会ったからです。久しぶりに会った弟は変わらない笑顔と優しさ、そして憎めなさを持ちあわせた、どこまでいっても私の大好きな弟なのでした。酔っ払って肩を組みながら歩いたあの四条通りも、イチゴトランプのように思い出しては嬉しくなるような記憶になるのでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?