人間の条件

2019年、東京大学在学中にZRによって立ち上げられた演劇団体。「それなしには人間が生…

人間の条件

2019年、東京大学在学中にZRによって立ち上げられた演劇団体。「それなしには人間が生きていくことのできないもの」をコンセプトに舞台作品を上演する。noteでは公演に向けた文章や寄せられた批評を掲載。

マガジン

  • 条件の演劇祭vol.1-Kabuki

    条件の演劇祭vol.1-Kabukiのために書かれた文章のまとめです。

  • 母の誤謬シリーズ『巣』

  • 番外公演Vol.1『絶触』

  • 第二回公演『リトル・ブリーチ』

最近の記事

条件のスケッチとは?企画の経緯と現在

人間の条件は「条件のスケッチ 2023」というイベントを11月11日(土)、11/12(日)に開催します。 人間の条件として、初めて行う「イベント」です。 それってつまり、何をやるのか。そもそも、なぜ今「イベント」をやるのか。このnoteでは、そういった疑問を整理し、条件のスケッチが目指す体験を伝えるべく、本企画の経緯と、コンセプト、そして開演1週間前の現状を書いていこうと思います。 書き手は、人間の条件で広報を担当している近江諒哉です。 人間の条件には第一回、第三回、番

    • 『桜の森の満開の下』演出に臨んで(書き手:ZR)

      美しいものは、恐ろしい。 この命題は、その意味を理解するのが簡単な一方で、それを現実のものとするのは全く簡単ではないと思います。 しかし、僕はこれを見てみたい。 今回の『桜の森の満開の下』では、舞台の上にこの風景が現れることを目指します。 この作品での「美しいもの」とは桜のことです。ただし、原作では「桜の森は涯てがなくて恐ろしい」ということは繰り返し語られますが、直接的に「桜は美しい、それゆえに恐ろしい」とは語られません。頭の中にある桜の美しさをあまりに自明に感じてしまう

      • 新作試演会『桜の森の満開の下』出演者コラム / 黒橋拓

        同じく桜がモチーフになっている作品に、梶井基次郎の『桜の樹の下には』という短編があるのですが、僕はこれを大変気に入っています。 どう気に入っているかというと、とにかく口に出して読むのが気持ちいいんです。演劇を始めて少し経った頃に出会って、それから事ある発声練習の度にこの作品をそらんじています。「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という書き出しからもう最高です。 すぐ読めるしネットにあるのでぜひ調べてみてください。 今回の『桜の森の満開の下』は2か月前くらいに初めて読み

        • 新作試演会『桜の森の満開の下』出演者コラム / 樽見啓

          脚本を読むと映像のイメージが頭に湧き、大体それは自分が見たことのある映画、劇、何かの光景だったりがベースになっているので、ならば、と見てきたいろんなシーンをもっと思い出してイメージを具体的にします。 思いだしたおもしろい映画を今自分が向かっている劇にくっつけてくっつけて、どんどん名作で補強して、そしたら「これは面白い!」、「これは良いねえ!」と傑作が出来上がり、ひと段落して、タバコに火をつけて息をつきます、ふう、やりきった。実際にセリフを読む前に。本番、劇が出来上がる前に。

        条件のスケッチとは?企画の経緯と現在

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        • 条件の演劇祭vol.1-Kabuki
          2本
        • 母の誤謬シリーズ『巣』
          3本
        • 番外公演Vol.1『絶触』
          4本
        • 第二回公演『リトル・ブリーチ』
          4本

        記事

          新作試演会『桜の森の満開の下』出演者コラム / 野田恵梨香

          長生きしたい派の野田恵梨香です。 長生きしたいと思うのを、生への前向きさがいいねと言ってもらえたこともあるけど、 純粋にそれだけじゃなくて、何も為さずに死ぬのが怖いから生きたいという負の感情もあったりします。 どうすれば立ち向かえるかなと考えたりして、人生の目標を最近2つ決めました。 一つ目は、何歳になっても、できるだけずっと俳優を続けていくことです。 とある90代の俳優の方が、「この歳になって初めて見えてきたものがある」と仰っていたという話を聞きました。 私もそれを見てみ

          新作試演会『桜の森の満開の下』出演者コラム / 野田恵梨香

          『四谷心中』解題(条件の演劇祭vol.1-Kabuki『四谷心中』にむけて)

          『四谷心中』は、実はすでに二度上演されています。 一度目は僕が所属していた劇場創造アカデミーの成果発表として座・高円寺地下の稽古場にて、二度目は昨年11月に行ったワーク・イン・プログレスとして東大駒場キャンパスの路上にて。 昨年11月にワーク・イン・プログレスを行ったのは、劇団にとって大きな意味を持つ今回の演劇祭の準備を早いうちに始め、後悔の無い作品を上演せねばならないと考えたからです。 しかし、異なる空間で異なる俳優と作るため、作品はどんどんと変わり、新しい挑戦をせざる

          『四谷心中』解題(条件の演劇祭vol.1-Kabuki『四谷心中』にむけて)

          歌舞伎について(条件の演劇祭vol.1-Kabuki『四谷心中』にむけて)

           高校生の頃に何の知識も持たずテレビで見た歌舞伎は、言葉もよくわからないし話し方もゆっくりすぎてあまり聞いていられないし、自分が作る演劇とは遥か遠くにあるもの、「格式」を持った「伝統芸能」ととらえていました。ある意味で、美術館、あるいは博物館の中で鑑賞するようなものとして考えていたのです。  時が経って、いくつかのリアルな(生活に近い)言葉と体で構成された作品を作っていったのち、どこか行き詰まりを感じるようになりました。自分が作りたいもの、つまり「ドラマを抱えた美しい風景」

          歌舞伎について(条件の演劇祭vol.1-Kabuki『四谷心中』にむけて)

          人間の条件 母の誤謬シリーズ『巣』について(書き手:榎本純)

          はじめまして、劇作家もしている榎本純です。 風雲かぼちゃの馬車の重信くんと同じように、主宰のZR君から文章をお願いされました。形式は自由というので、作品を観て、感じた気持ちを、素直に書いていこうと思う。 まず、とても面白かった。 最近ではあまり観るようで観ない、喜劇になれなかった僕たちのストーリー、だった気がする。 つまり、ストーリーがあるようで、あまりないのだ。 希望もない。頑張れない。そのまんま、先がない人達。ハッピーエンドにも、バッドエンドにもならない。言うなら、ずっ

          人間の条件 母の誤謬シリーズ『巣』について(書き手:榎本純)

          人間の条件 母の誤謬シリーズvol.1『巣』評(書き手:植村朔也)

           「母の誤謬」というシリーズ名の冠されたこの舞台にしかし母はやってこない。  大学にもいかず浪人や留年を重ねて、未来が見えないながらになにか行動を起こすでもなく、さらにはバイトもせず親のすねをかじり続ける、まあ、どうしようもないといっていい男たち三人が汚く狭いアパートの一室に一緒に暮らしている。しかもその親たちは犯罪や宗教に手を染めていて頼りにならない。だから彼らの遠隔寄生生活はその破綻が約束されている。さて、お金を稼いでいないので家賃が払えない。隣室に住む大家の女に取り立て

          人間の条件 母の誤謬シリーズvol.1『巣』評(書き手:植村朔也)

          人間の条件 母の誤謬シリーズ「巣」について 劇作家・演出家・俳優 樽見啓さんへの公開書簡(書き手:重信臣聡)

          拝啓 樽見 啓様 初めまして、劇作家の重信臣聡と申します。 主宰のZR氏から劇を観て何か文章を書いて欲しいと頼まれました。 感想でも劇評でも形式は問わないということでしたので、今回は樽見さんに宛てた手紙という形で文章を書こうと思います。 人間の条件 母の誤謬シリーズ「巣」拝見しました。 小劇場ではほぼお目にかかることがないくらい非常に完成度の高い演劇作品だったと思います。三年後、東京芸術劇場でこの作品が上演されていても私は驚きません。 冒頭と最後の真実か嘘かわからないモノ

          人間の条件 母の誤謬シリーズ「巣」について 劇作家・演出家・俳優 樽見啓さんへの公開書簡(書き手:重信臣聡)

          『絶触』を見て(書き手:緒方優紀乃)

           今回の人間の条件は本番前にtwitterで恋人からみた女の短い映像を配信していた。個人的な話だが、私はあの作品を見て、とても不安な気持ちで劇場に向かっていた。あの映像に映る、女を愛おしいと思う主人公の目線があまりに苛烈に私に映ったためだ。そこに表現されている男にとっての女との思い出の価値の大きさだったり、それで人の胸を痛くさせたりするのは、あの映像の本当に素晴らしいところだと思う。だから、以下は私の個人的な鑑賞態度の話である。  年齢や周囲の人生のフェーズが進行するにつれ

          『絶触』を見て(書き手:緒方優紀乃)

          ビニールシートに促される観劇態度:人間の条件『絶触』評(書き手:岩下拓海)

          人間の条件番外公演Vol.1「絶触」を拝見した。 滑り落ちそうな傾きの階段を気をつけて20数段降ると、暗くてジメジメした場所に辿り着く。その地下劇場は、地上の光と音から隔絶された場所にあって、ほの明るい照明が照らすのみだ。受付で靴を脱ぐよう指示され、涼しい足で席に座る。 「絶触」は、人間の条件の番外公演として位置づけられた公演で、恋人を失った男が黄泉の国まで追いかけて彼女に会いに行くという物語である。道中、水先案内人とともに生前の記憶を回想し、最後には恋人に会うことができ

          ビニールシートに促される観劇態度:人間の条件『絶触』評(書き手:岩下拓海)

          生まれつき体のない子どもたちについて:人間の条件『絶触』評(書き手:植村朔也)

           舞台奥のスクリーンで、どこかのカップルがスマホで撮影したのだろう、プライベートな印象の、愛らしく緊張感のない映像が流れ始める。些細な生活のひとこまを間断なく映し続けるそれを、どのように観ればよいのかはわからない。愛しいと思えばいいのか。といってもその困惑は、他の家庭のホームビデオを見るときの、その受容者が持っていてしかるべき親密さから疎外されてある、あの隔絶の感情ばかりによるのではない。  この女性が、野田恵梨香という役者の演じる登場人物にすぎず、したがってそこにある愛は演

          生まれつき体のない子どもたちについて:人間の条件『絶触』評(書き手:植村朔也)

          真情あふるる軽薄さのために(番外公演Vol.1『絶触』に向けて)

           いつも人間の条件の活動を気にかけてくださり、ありがとうございます。主宰のZRです。このnoteでお伝えしたいのは「次回公演では作り方を変えてみる」ということです。具体的には、「稽古開始時点であえて脚本を用意しない。その代わりに音楽のプレイリストから劇を作り始めてみる」ということです。このような作り方を取るのは演劇というもの、そして演技というものについて私が以下のように考えるからです。少し長めの文章になりますが、ご一読くだされば幸いです。 ◯演劇を支えるもの 演劇は嘘っぽい

          真情あふるる軽薄さのために(番外公演Vol.1『絶触』に向けて)

          概念子(第二回公演『リトル・ブリーチ』に向けて)

          私は昔からとても怖がりです。 実家は田舎の一軒家、 古風というほどではないけど新しくはなく、両親共働きで手入れが行き届かずいつも少し埃っぽくて、廊下の突き当たりはものがたくさん積んであっていつも見通しが悪いし、やたら広いので電気をつけてもどこかが暗がりになって闇に溶け込んでる。 家族の寝室が二階にあったのですが、その寝室もふすまに畳でなんとなく怖いし、幼い私は寝室に行くのが嫌でした。 寝室の前の曲がり角によく兄が潜んでおどかされるのも最悪でした。 私は夜寝室に行きたいのだ

          概念子(第二回公演『リトル・ブリーチ』に向けて)

          笹原花(第二回公演『リトル・ブリーチ』に向けて)

          弟の話をします。 私の家は、いわゆる親戚付き合いというものが非常に盛んでした。それもそのはず、私達といとこ、祖父母はそれぞれ車で10分のところに住んでいたのです。月に一、二度、皆で我が家に集まり、手巻き寿司や焼肉を囲んでいました。 そのパーティーのトリを飾るのが、祖父母が買ってきてくれたイチゴでした。口を大きく開けて真っ赤なイチゴを頬張る幸せは、幼い私にとって大変特別なものでした。それは勿論、2歳下の弟にとっても同様でした。 100粒ほどあるイチゴを配分する方法、それが

          笹原花(第二回公演『リトル・ブリーチ』に向けて)