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樽見啓(第二回公演『リトル・ブリーチ』に向けて)


 死ぬほどではないがまあどこに出しても恥ずかしくないくらいのハンサムだと思っていた自分の顔は、周囲の反応・態度を総合していくとどうやらそうではない、むしろ美の規格から外れているらしい、との自覚を促されてしまった中1。また、僕は4人兄弟で、中学からは学校が別々になった双子の姉がいる。彼女は僕のことを単純に嫌いだったのか、恥だと思っていたのか、とにかく口外を禁忌として、高校では僕を除いて3人兄弟であるとしていた事を、たまたま予備校の同じクラスになった姉の高校同期の話で知った1浪目。中学以降、思い出せるのはせいぜいこれぐらいであるほど僕は滅多に涙を流さなかった。
 ところで、それ以前、特に幼少期は泣きやすい方であった。母親に少し強めに注意されたり、父親に不機嫌な顔を向けられたり、顔のほくろを指摘されたりといった程度で涙を流していた。その頃、泣くときは決まって押入れに駆け込んでいた。堪えた涙を押入れに入ってから流すのではなく、相手の前で顔を歪ませ泣き顔をみせつけてから篭り、続きをするというスタイルであったのでより屈辱を感じることが出来、スムーズに暗闇に溶けこめた。暗闇の中で、独り、殺してやろうか、いや死んでやろうかと憎しみを育てたものです。そういうとき親はそんな馬鹿みたいなことしてないで早く出て来なさいと言ってくるのだが、素直に応じるわけにはいかず無視をきめこんでいると、中々出てこない僕に親は苛立ちを募らせ、どんどん語気が強くなる。うーんもう身動きが取れなくなっちゃうよ。おそらく親は押入れに籠って泣くことを軟弱で臆病な行為だと思っていたのであろうが、まあ僕からすれば、自らの隙を家族には極力見せずに生活するぞという気概の表れであった。あまりに近すぎる関係である家族とは一定の距離を保ち、馴れ合いたくはなかったのだ。だって家族でベタベタするのは何かキツいと思っていたから。長くて数時間こもり、十分に気概をみせつけ、圧倒された親がすっかり静かになった頃、のそのそと押入れから出てきて日常に戻る。不条理も理不尽も、起こった全てを受け入れ、決着をつけて出てきた僕はもう些事にはこだわらない。親や兄弟にもいつもより優しく当たることができる。そっと台所に行き母になにか声をかける。母は沈黙したまま作業を続けます。そっとリビングに行きテレビを見る父を見つめる。父は沈黙したままテレビを見続けます。そっと和室に行き遊んでいる姉の前に座る。姉は沈黙したまま一人で遊び続けます。あ゛?もう一回押入れに篭ってやろうか?
 人は他人の強さ、高潔さを素直に認められないものです。それが年下のものであれば尚のこと。結局、人は、分かりやすく弱い存在に安心するのです。自分を貫くことは容易ではない。人生は不断の闘いで成っている。仕方なく僕はもう一度、今度は家の中心で声をあげて泣くことにした。

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