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野田恵梨香(第二回公演『リトル・ブリーチ』に向けて)

先日非常にショッキングな出来事がありました。
 
母親、時々昔の私の話をしてくるんですね。
で、曰く、
「昔、制帽かぶってる人はみんなおまわりさんだと思ってたよね。」
 
 
え?????
 
 
ど、どういうことですか???
私が、その、なんですか、制帽を見ると警察だと勘違いしていた、そうおっしゃっているのか???
 
先に弁解しておくと、母の発言は、事実とは全く異なるものです。
それが私には非常にショッキングだったのです!
 
 
幼少期、私は類い稀なるギャグセンを誇っていました。
人を笑顔にする喜びやそのために知恵を絞ることを、体で知っていたのです。
 
中でも「帽子ボケ」は鉄板ネタの一つでした。
青や黒の制帽を見かけたら指差して、すかさずこう叫ぶのです。
 
「オマワリシャン!!」
 
これがもう、超ウケます。
シャウトの勢いがあればあるほどよいです。
「モ~、違うよ!あれは乗務員さん!」
親、メロメロです。目にハートが浮かんでます。
 
 
そう。
最初こそ本当に間違えたのかもしれないけど、明晰な頭脳を持つ幼少期の私は、その“勘違い”がウケることを学習し、ちゃんと計算してギャグを放っていたのです。
それをわかってくれないなんて、なんて笑いに理解がないんだ!
という嘆き。
あの、わたし…わたし…そんな勘違いしてませんよ?
という、若干の恥ずかしさ。
そういった非常にフクザツな感情を丸ごと含んだショックだったわけです。
 
 
と、ここまでが母の発言に対して私が言いたかったことなんですが、実際はこんなに喋ってはいません。
「違うよ!あれ、わざとだよ!」
くらいは幼い私の名誉のために言いましたが、「ほんとに~?」と流されたところでエナジーが切れました。
 
家族との会話において、どうも節約してしまうフシがあります。
家族といえど個人と個人、認識や価値観の相違があれば双方納得するまで話し合うというのが在るべき姿なのかもしれません。
でもやっぱり家族って特殊で、なんとなく自分の一部のような気がしてしまうんですね。
帽子ボケで精一杯笑いを取っていた幼い頃の自分の方が、なんだか誠実なようにも思えてきます。
いずれ一人暮らしをするようになったら、親との距離感は変わるのでしょうか。

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