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人生の意味

ずいぶん月並みな言葉だけれど、今日だけは「人生の意味」としか言いようがない。

人は誰もが生まれては死んでいく。
その中で一体何を得るべきなのか、僕たちは一生懸命に捜して行かなければならない。たぶん、それを忘れた時、人間が人間ではなくなる。

人生を終えるとき、人は自分が歩んできた道のりを振り返ってどんな景色をみるんだろうか。
そして未来に、どんな理想を描くんだろうか。


今日は、僕の人生にとっては間違いなく、大きな節目になるに違いない。
人生の苦しみが顔をのぞかせたときから、まるでその時を見計らったかのように僕の目の前に現れた”尾崎豊”という男の生きた時間を跨ぐのだから。
お前は一体何者なんだと、僕は心の内で尾崎に問いかけることがある。
尾崎が特別な人間であるわけではないが、僕の人生にとってはやはり、最重要の人物であり、僕が”生”を選ぶことに決めたきっかけとなった男であるから、結局頭は上がらない。
もし死んどったら、親を悲しませるわな。
詳細を綴るつもりはないが、全てに追い詰められ、世界の崩壊を目の当たりにして自死を選ぼうとしたその時からちょうど10年の時でもある。

新しく生まれてくる者よ
お前は間違ってはいない 誰も一人にはなりたくないんだ
それが人生だ わかるか
                『誕生』より 尾崎豊

それから何度も何度も死を考えるほどの苦しみや悲しみに見舞われたが、あの時のことを思うと、その度になんとか救われた。


少しは、人並みの生活をしてみたかったと思う。
些細なことで笑ってみたり、小さなことで怒ってみたり、そんなことが経験してみたかったと思う。
けれど、これまでの人生を後悔しているかと問われると決してそんなことはない。おめでたくて馬鹿なのかもしれないが、もしかしたらこれ以上の人生はなかったのかもしれないと考えることさえある。

所詮、人生の辛酸を舐める以外に、心を知る術はないことは確からしい。

トルストイが”孤独”、”貧乏”、”病気”が英雄の条件だと言ったらしいが、もしそれが本当なら僕はラッキーだったのだろう。


高校生の時の制服があって、それを洗濯しようとするとポケットの中からマクドナルドのレシートが出てきた。
高校生の僕が独り電車で帰宅しながら腹を空かせていたことを想ったらしい。
伯母は、ただ泣いていた。
それは僕が成人してからのことだが、ふとその時の伯母の姿を思い出す。


今日はこれといって何をするということもなく、棋士の村山聖先生のことを考えたりしていた。

「お前は負け犬じゃ」

29歳で夭折した村山先生は、僕にそう言うんだろうか。

尾崎の曲を聴こうかと思ったが、どこか形式ばっている様な気がして、僕は至って自然に居ようとした。
ちょっと気障っぽいが、尾崎の曲はいつでも僕の心のなかで鳴っとる。
多少うるさいくらいや。

数か月前まで、誰も予想だにしなかったウイルスが世界で蔓延していて、今年のレコーディングは危ぶまれた。
いや、一時は不可能だと思われる局面に達したが、よかったのか悪かったのか、バンドを結成してから初めてのソロの作品を録った。

歌もギターもとても良いものとは言えない。
いつも、いわゆる「拡散」というものは最小限にしているし、する必要もない。
今年は、何か余計に煩わしい。人間がやかましい。
こんな散文を見てくれた人にだけは伝えてしまったけれど。
本当に、これほどまでに誰に聴いてもらわなくてもいいと思ったことはない。

村山先生が、ただ将棋が好きだったから名人を目指したわけじゃないだろう。おそらく、先生にとっては病と闘うことが人生であって、それが即将棋だったんだろうと思う。
僕が「尾崎豊追悼企画」なんてものを始めたのも、そんなふうに僕は僕として生まれた限り自分の人生に最も形として向き合えるものが尾崎豊の音楽だっただけに違いない。

生きなあかんな。とりあえずは。

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
            『僕が僕であるために』より 尾崎豊


最後に、僕が人生において起点してきた、最も大切にしてきた言葉を自分にもう一度言い聞かせよう。

優れた人は静かに身を修め徳を養う
おだやかでなければ道は遠い
無欲でなければ志は立たず
学問は静から 才能は学から始まる
学ぶことで才能は開花する
志がなければ学問の完成はない
                 諸葛孔明

それでは新しい人生を。

白木 静

写真©Hiroi Takahito

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