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将棋

僕は将棋を指すわけではない。
だが、もちろんルールくらいは知っているし遊ぶ程度に対局することはできる。
こんな人間も、”将棋人口”として数えてくれるのだろうか。
打ち込みたいと思ったことは何度かあったが、今までの人生では他に色々とやるべきことがあって時間を割くことができなかった。
いかにも凡人っぽい言い訳だ。

さて昨夜午後7時頃、この話題はもうすでに日本中を席巻しているから皆さんも十分ご存じのことだろうが、稀代の俊英棋士、藤井聡太七段が屋敷伸之九段のもつ最年少タイトル「18歳6か月」の記録を実に30年ぶりに大幅に更新し、「17歳11か月」で”棋聖”となった。
僕はその瞬間、対局が行われている大阪市福島区にある関西将棋会館の近くにいた。
藤井先生が新棋聖となった瞬間には50~60人ほど、会見前の午後8時半ごろにはざっと150人ほどの将棋ファンや野次馬が居ただろうか。
僕は歴史的な新棋聖誕生の瞬間を間近で見物に行くつもりでも、渡辺明先生や藤井聡太先生を一目見ようとも思って行ったわけではない。
そんなことをするのは、互いに真剣勝負をしている両先生にご迷惑をかけてしまうし、日々様々な対局が続く中で心血を注がれて研鑽されている先生方に非常に申し訳ない。
第4局が関西将棋会館で行われるのを知ってから、とにかく行くつもりでいた。
それはただ、僕は藤井先生を尊敬しているから、会館の近くに参ってご挨拶したかっただけだ。
ちょっと心配だったのは、藤井先生の2連勝で迎えた第3局で先生がストレート勝ちすると大阪での対局は実現しなかったから、僕としてはとにかく大阪での対局が実現してよかった。

僕は”ご挨拶”をした。

遠目から「先生!」と叫んだわけでもない。
出待ちをしてそばにかけよってお声掛けしたわけでもない。

ただ、関西将棋会館の前に立って深々とお辞儀をしただけだ。
僕はただそれだけが目的だった。
スマホを持つ人だかりのなかで、そんなことをする若造はきっと奇妙にみえただろう。

でも、どうしても僕はそうしなければ気が済まなかった。
なぜなら、人生で初めて、年下の尊敬する人物が出てきてくれたからだ。

そもそも、尊敬できる人間は滅多にいない。
多くは故人であり、ご存命の方々もいらっしゃるが最低でも僕より一回り上といったところだ。
同世代にはいない。
それが、まだ高校生の若き青年が僕にとって”尊敬できる人物”としてこの世に出てきてくれたのである。
もちろん、藤井先生のことは彼が中学生の頃から存じ上げていた。
でも、その頃は「もう少し時間が経たないとわからない…。」と僕は周囲にもらしていた。
それにしても僕という人間はそんなことを言うなんて、態度の大きい無礼者だ。自分を恥じる。

「尊敬できる人間」
僕にとってそれをなす意味は、簡潔に表すと”人間完成への道のりを歩み続ける人間”だ。
一国の大統領や首相ではない。一流企業の社長ではない。
頭脳明晰で一流の学府を出ている人間ではない。
運動能力の高いオリンピック選手ではない。
金持ちではない。有名人ではない。
それらしい良いことを言う良い人ではない。

とにかく、それは目に見えるものではないから見極めるのはとても難しい。
作家の山崎豊子先生が仰っていたように「物質至上主義の現代では人間は進化するどころか退化している」ので、人々はあまりにも”目に見えるもの”すなわち”物質”に固執しすぎているように思えてならない。
なぜそんなものにしか目がいかないのだろうか。

結果はもちろん人生において大切に違いない。
また、結果を出すためには多かれ少なかれ努力が必要だ。
だから、良い結果に対する敬意はもつべきだし、悪い結果だったとしてもその過程での努力にも敬意をもつべきだが、それは固執するのはあまりにも危険だ。
なぜなら、”結果”といっても”終わり”ではないから。
死はいかなる人間にも訪れ、それはある種の終わりといえるだろうが、人類の道のりはそれでも続いていく。
といっても太陽にもあと何十億年という寿命がある。
そのときには人類はいなくなってしまうであろうから、人類にも終わりは訪れるだろう。
だからといって厭世的に生きるのも僕は間違っていると思う。

生を受けた限り、目指すべきものがあるはずだ。
それは”人間としての高み”、形あるものでも形のないものでもない。
より深淵なものを獲得できる素質を人間はもっていると信じている。

僕はその”より深淵なもの”を理屈ではなく身を捧げて努力を続ける人間を尊敬している。
現時点で、藤井先生はそんなものを見つめながら努力を続けているように僕にはみえる。人間はわからないものだから、難しいけれど、僕にはそうみえる。若くしてそんな人が出てきてくれたのは本当に嬉しい。
藤井先生が頑張る姿をみていたら僕も頑張れる。そんな気さえする。

とにかく将棋の世界は美しい。
noteで何度か触れていると思うが、僕は尾崎豊のカバーを辞めて、歌を辞めていた時期がある。
僕は人気がでたり有名になったり金を稼ぎたかったりしたわけでなくて、ただ尾崎さんの美しい作品を純粋に歌って、自分のなかで人間としての高みを目指しながら歌っていただけなのに、音楽というものは大変なもので”聴衆”がいなければ成り立たない。いろいろ言われるなかで、歌う意味を見出せなくなっていた。
そのときに救われたのが、これも書いたことがあるような気がするが、あるヴァイオリニストとの出会いと渥美清さんの映画作品との出会いである。
そして実は、もう一つある。
それが将棋だ。

ふとしたとき、何気なくかの高名な羽生善治先生の対局をみているときに、「なんて美しいんだ」とただただ感心したのである。
羽生先生のことは僕が12歳の頃から着目していた。
その頃、先生の御著書である『決断力』という本を注文して読み込んだことをはっきりと覚えている。
そして僕が歳をとる毎に羽生先生の偉大さが少しずつわかるようになり(羽生先生については後日記事にする)、すでに僕が十代後半の頃から”尊敬する人物”として認識していた。
それなのに、先生の対局する姿をまじまじと観たことはそれまでなかった。
「これだ。この姿だ。」と思わせてくれた。

それからというもの、僕は吸い込まれるように将棋の世界がどのように繰り広げられてきたのか学ぶようになった。
僕は本当に素晴らしい世界に出会わせていただいたと感謝している。

すみません、昨夜は色々と信じられないくらい幸運な、嬉しい、人生の財産となることがあったのです。
でもそれは、今は僕だけの胸に留めておきたくて、なんだかただの随想録にみたいになっちゃいました。ごめんなさい。

でも、まさか藤井先生が大阪で新棋聖になってくれるだなんて思ってもみなかったなー…ラッキーだったなー…。

とにかく、将棋の世界は美しい。まさに武士道だ。
日本の心の美しさだ。
ほんでもって藤井先生のような若い素晴らしい人物が出てきてくれたことに本当に心から喜んでる。

悲しい生き様をみるのは辛い。
美しい生き様をみるのは嬉しい。


それと…関西将棋会館って今まで足しげく通ったザ・シンフォニーホールとすんごい近いのね…。おいおい気づくの遅いよ…。
シンフォニーホールの前通ったよ。

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最後に、新棋聖誕生記者会見が始まる直前の関西将棋会館の前の様子。

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一目見たい気持ちは僕もものすごくわかる。
でも、渡辺先生も藤井先生も大変お疲れだしこれからも過密スケジュールでの対局があるのだから、ちょっと控えてあげてよ…。

僕は近くに停めてあった駐車場に戻って車の中で記者会見をみて、帰りました。

将棋、ありがとうございます!
渡辺先生、藤井先生、僕の人生のなかでもとっても輝かしい時をつくってくださってありがとうございます!!

それじゃまたです。

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