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なぜ私は自己啓発が嫌いなのか

私は自己啓発が嫌いだ。

今から私が言う自己啓発とはこのようなものである。

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自分のいたるところにはびこっている。(なんなら、今の彼女もこれが好きな節がある)

自己啓発は基本的に自分を洗脳するためにできている。弱い自分の声から逆らうための拠り所となるのだ。そうすることでもし仮に自分が不遇な境遇にいたとしても、その自分を奮い立たせてくれる。
そうすることでメンタルが保たれるのかもしれない。

ただ自分が思う自己啓発の弊害について話そうと思う。

①世の中へのまがった認識を促す可能性がある。

ここでは例を出す。

A あなたは「やればできる」という自己啓発の言葉を信じていたとする。
B あなたの仕事は「家を買う気がないお客さんに家を買っていただく」という営業マンであったとする。

そうすると、どうなるか?
きちんと親身になっていれば売れるときもあるだろう。しかし、売れないときのほうが大半(99%以上)である。
そうするとあなたはこう考える。「自分が営業の成績が悪いのはお客様に家の魅力を十分に伝えきれていないせいだ」と。

そうなるともっと行動しないと もっとよい伝え方をしないといけない という風に考えてしまう。
果たして、この人はいつまで自己啓発の言葉を信じて前だけを見て走り続けることが出来るだろうか?

自己啓発の言葉を信じて走り続けるほど、自分が努力してもなんともならないふがいなさで心がボロボロになるのではないだろうか?
当たり前であるが、水は上流から下流に流れる。その逆はない。もともと買う気のないお客さんに売れることはないのだ。

本当にアクションするべきは「家を買いたい人はどのようなことを検索していたり、どのような場所にいるのか」という探索である。
世界は自分中心には動いていない。(どちらかというと世界は自然の理に従って動いている)ただ自分の居場所を作る自由はある。

②思考を殺す可能性がある。

「置かれた場所で咲きなさい」など基本的には自己啓発は人生経験が富んだ人がそれよりも下の人に向けてフィードバック(Not コーチング)をしていることが多い。
その場合、ポジショントークになりがちである。基本的には、要は素直に頑張りなさいってことだと思ってる(→個人的な曲解です笑)

まあ、それも大事なんだけど結局自分のことは自分しか分からないわけだから自分の感情を大切にしてほしいし
その感情に素直になるってことは決して目上の人の意見に従うことではなく、いろんな人の意見を自分で聞いたうえで最も腑に落ちたものを取捨選択することかなと。

すべての人の意見を反映できるわけではないから、批判されたとしても自分の中で信じ続けることのできるものを見つけよう。これは他者の言葉を借りてくる行為とは全く異なる。
そうすると次第に、自己啓発に頼らなくても済むようになると思っている。


では、なぜ自己啓発が流行るのか?ちょっと考察してみる。

A 環境が全くいらないから
>自分のマインドだけで実践ができるので明日から始めることが出来る。またやるにあったって特別な資本などが必要なわけではなく誰でも等しくできるのだ。

B 考えなくて済むから
>自己啓発はあまりにもシンプルすぎる。故に実態に即していないのだが、誰にもわかりやすいということがある。
「戦争はいけないこと」で片付けることは容易だが、それが実態を即していないことは理解していただけるだろう。


とまあ、いろいろ書き綴ったけど

みんなが自由というものをかみしめて日々生きていけばいいなって思うし
少なくとも自分はそんな生き方がしたい。

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