自我の芽生えのために生贄にされてしまった羊

幼稚園の時、私は習い事に憧れていた。幼稚園の授業が終わった後に園庭でおともだちと遊んでいると、1人また1人と「今日は習い事があるから」と言って帰って行ってしまう。

何かこれがやりたい!という訳ではなく、みんながやっているからという理由で、何度も習い事に通わせろと母に対決を申し込んでいた覚えがある。

「飽きてめんどくさくならない?」
「雨が降ってもちゃんと通える?」
「冬でもプールに入るってことだよ?」

4歳の時、既にめんどくさがりで三日坊主だった私はぐぅの音も出なかった。後から聞いた話だが、毎週のようにスイミングだ、お習字だ、少林寺だ、とおともだちから聞いた習い事を次々にやりたいと言っていたらしい。これをやりたい!という気持ちが全然ないのである。親が反対するわけだ。

小学校までの私は、あんまり自分の意思が強くなかったのである。友達も多い方だったし、「みんながやっていること」を気にしていた。後に、髪の毛を真っピンクに染めて、大学のクラスで孤立していた人間になるとは思えない。

なぜこんな成長を遂げたのか。1つのきっかけになったであろう出来事を思い出した。

中学2年生、吹奏楽部でホルンに熱中していた時の話。

クラリネットの子、アルトサックスの子、トロボーンの子と4人で遊びたいという話になった。経緯は覚えていないが、確か夏休みの練習を早退して池袋で遊びに行ったのだ。ズル休みすることに私は少し抵抗があったが、ノリ気な3人に圧されてしまいコソコソと抜け出したことを覚えている。

ケーキを食べながら恋バナをして、服やアクセサリーを見て回り、1軒の雑貨屋さんに入った。

「これお揃いで買おうよ!」

仕切りやのクラリネットの子が指をさしたのは、ボールチェーンがついた羊のマスコットだ。

(全然いらないな……)

ところが、他の3人は買うことで盛り上がり始めていた。誰が何色にするのか決め始めていたのだ。何色にするのか聞かれてしまい、いらないなんて言うこともできず、誰も選ばなかった紫の羊を渡された。値段は600円くらいで、中学生にとっては十分大きな買い物だった。まるで儀式のように、羊を持ってプリクラを撮り、その日は解散した。

次の日部活の練習に行くと、なんと私以外の3人が揃って学校カバンに羊をぶら下げていたのだ。あの時の衝撃たるや。買うだけでは終わりじゃなかったのである。小学生の時に、男の子とばかり遊んでいた反動で女子の暗黙の了解的ななにかを全く知らなった。

しかも3人から明日は付けてくるように言われてしまう。

なぜ気に入らない羊を買わなきゃいけなかったのか。
なぜ約束もしていないのに皆揃ってカバンにつけているのか。
なぜ人に言われてカバンに付けなくちゃいけないのか。

考えれば考えるほど、「みんなと一緒にする」って変!!と思ってしまい、家に帰ってからその羊を燃えるゴミに捨てた。あ~スッキリ。

羊は部屋で無くしたの一点張り、3人と遊ぶことはその後1回もなかったけれど、「私は私」という自我が芽生えた瞬間だったと思う。