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ヨーグルトを作るようになってから、生命を尊ぶとはどういうことなのかを考えている

数日前のnoteで書いたが、最近は毎晩手作りヨーグルトを食べている。

作り方は本当に簡単だ。牛乳にカスピ海ヨーグルトをぽちょんと落とし、常温で放置するだけ。

なぜかって、カスピ海ヨーグルトの中には「クレモリス菌FC株」という乳酸菌がウヨウヨいるのだ。カスピ海ヨーグルトがネバネバしている理由でもあるらしい。温かい所が好きで、常温じゃないと仕事をしない甘ったれたやつらだが、私も冬はこたつに入って仕事をするし、夏はクーラーを付けないとへばるので人のことは言えない。

夜にセットしたヨーグルトの素が、翌朝ぷるぷると固まっている様子を見ると私はとても嬉しい。ヨーグルトが食べられるから嬉しいという訳でなく、私が寝ている間にも頑張ってくれていたクレモリス菌FC株に感謝と愛おしさを感じて嬉しくなるのだ。

これは蒔いた種から芽がでた時、葉が育って花が開いた時の喜びに似ていると思う。じっと見ていても変化はないけれど、確実に対象は生きているし、活動している。

嬉しくなるのは「生命」を感じるからなのか、それとも自分が手間をかけた成果が形となって現れたからなのか。私はこのどちらもが作用しているのではないかと思っている。

子どもを育てるのもそう、ペットもそう、植物を育てるのもそう、自分の手で生命を繋いでいくことは何か本能的な人間の喜びなんじゃないだろうか。

じゃあなぜ、生命を繋ぐことが嬉しいことになるのか。子どもを育てることはヒトという種の保存につながるからだろうけど、他の生物、ましてや菌についてはよくわからない。どちらにせよ、犬や猫、草花、クレモリス菌FC株、テレビでしつこく放送されるパンダの赤ちゃんが、人間にとって有害ではないからこそ喜べているということは間違いない。有害な物を育ててしまうと、自らの種を滅ぼす可能性があるから、やはり本能的な感情なのか。それとも、人間の自己中心的な考え方から生まれる感情なのか。

家でじっとしているヨーグルトを見つめながら、グルグルと考えている。