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循環する街

毎月遠方から知人/友人が別府に遊びに来てくれる。深い仲だった人、飲み会で一度ご一緒した人、人ぞれぞれだが、別府を訪れる度にご連絡頂けて心の底から嬉しいです。今はお店の営業があったりするので中々ご案内することは出来ないですが、なんとか時間作りますのでお気軽にご連絡ください。

久々に別府を訪れた学生時代の友人を案内していて、「あのお店も無くなっちゃったんですね。」という話になった。ぼくらが青春時代を過ごした名店が、続々と閉店してしまっている。理由はそれぞれではあるが、大半の理由が「高齢化」。寂しい思いもあるけれど、ここまで頑張ってくれたお店の方々には感謝の気持ちでいっぱいだ。

この流れは、ぼくが別府へ移住する1〜2年前くらいから顕著に現れているように思う。キッカケは、足繁く通う店の大将が言った「再来年で店を開けて50周年になる。それを機に店を畳もうと思う。」という発言だった。

「50年」という大きすぎる数字を前に、まだ当時28歳だったぼくは「50年も続けてすごいですねー!」くらいのことしか言えず、50年もの間ひたむきに一つの仕事に打ち込んできた職人を前に、ただただ目の前に出される料理を頬張ることしかできなかった。

別府にはこんな話がある。「温泉は50年かけて循環する」。今ぼくたちが日常的に入浴している温泉は、50年前の人たちが浴びていた温泉と同じであるという話。利用した温泉は川や海に流れ込み、蒸発して雲になり、その後雨として大地に降り注ぎ、そこから土を介して地下深くの湯脈に渡りつき、またぼくたちの生活に戻ってくる。そんな途方もない時間をかけて、温泉は別府市民の生活を支えてくれている。(100年以上かかることもある)

今から50年前というと1969年。人類が初めて月面着陸をした年でもある。日本ではサザエさんが放送を開始し、翌年70年には大阪万博が開催された。いわゆる高度経済成長まっただ中で、これからバブルに突入する直前の革命前夜。

別府もバブル期はハネムーンの聖地として栄え、全国から温泉を求めた観光客たちが足を運び、それに合わせて別府の街にはスナックやキャバレーなどのナイトタイムエコノミーも広がって行ったと聞く。当時20代で店を始めたとしても今年で70代。現在もお店を続けていること自体が奇跡のようなものだし、ここまでお店を続けて、別府の夜の街に明かりを灯し続けて来てくれた先輩方には感謝してもしきれない。

そんな時代から50年経った今の別府には新しい循環が起きているように思う。ご引退されたお店の跡地を使って新しいお店が始まったり、期間限定で人が集まる場所を作ったり。ぼくのような移住者も多く、日本だけではなく外国の方々が自国の料理を振る舞ったりしている。少しずつ尖ったコンセプトを持つお店が増えていて、また別府の街が様々な文化と混ざり合い、独自の文化を築き上げていっている。全国チェーンの飲食店で賑わう街ではなく、別府独自の文化を見て、楽しんでいけるのがとても楽しみだ。

長い年月をかけて循環し続ける温泉のように、この街は今も人々が循環している。国内外から来る数千人規模の大学生や、800万人以上の世界各地から訪れる観光客、徐々に増えている移住者たちなど、毎年色んな文化を持った人たちが循環している。

そんな循環を繰り返しながら、独自の文化は築き上げられていく。別府だけでなく、どんな街もその過程を通して今の街の形を作っているのだと考えると、この街の一人のプレイヤーとしてやる気が出る。

これからも、日々頑張ります。

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