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CREOLE CAFE松尾俊大氏が語る、別府と共に変化してきたこの店の10年間

月に一度、大分県内の音楽やファッションなどに関わるお店や人にフォーカスする「the HELL MAGAZINE」がいよいよ始まります!

記念すべき第一回目のゲストは、別府のCREOLE CAFEオーナーの松尾俊大さん。別府のランドマークでもある別府タワーの一階にお店を構えるCREOLE CAFEはさまざまな人種、音楽が混ざり合うまさに『カルチャーのるつぼ』

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別府の中心で長年音楽シーンを賑わせ、別府のカルチャーを支えてきた俊大さんが語る「別府と音楽、人との関係性」とは?そして、どのような人生を音楽とともに歩んできたのかを紐解いていきましょう。

DJ SHUNDAIと音楽

-CREOLE CAFE(以下CREOLE)と聞くと「音楽」を連想します。そして、福岡ではDJとしても活動されていたこともあるかと思いますが、そもそも音楽との初めての出会いは何だったんですか?
松尾俊大さん(以下俊大さん):もともと親父がクラッシックが好きで、自分も小さい時からピアノをやってたんですよ。最初は無理やりさせられていたと思うんだけど、当時は発表会とかも出たりしてましたね。でも、小学校低学年からはサッカーに夢中になっちゃって。そこからはサッカー一筋で、ピアノも辞めちゃった。

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-なるほど、音楽との出会いがクラシックなのは意外でした。ピアノを辞めてからもクラシックはずっと聞いていたんですか?
俊大さん:いやそれがね、クラシックばっかりって訳でもなかったんですよね。中学生になると、思春期ってこともあって周りもロックとかポップな音楽を聞いてる子たちも多かったから、ロックはもちろんだけど他のジャンルも聞いてました。俗に言う、”雑食”ってやつ(笑)

-そんな俊大さんは別府出身ということですが、しばらく別府を離れてる期間もあったとか。
俊大さん:高校卒業と同時に、専門学校に行くために福岡へ行きたいと親には伝えたんですけど、実は学校はあまり行かずに遊び呆けてました(笑)
その間に、いい友達なのか悪い友達なのかわからないけども、いろんな仲間に出会ってクラブにイヤイヤ連れて行かれたんです。ただ、福岡で初めて行ったクラブでたまたまやってたのがジャズパーティーで。
初めてのクラブでおしゃれなジャズとかヨーロッパのかっこいいジャズに出会えて、「クラブはこんなおしゃれな場所でもあるんだ」と知って、自分の中でクラブというものが肯定化されたんですよね。音楽はもともと好きだったから、こういうジャンルも楽しめるんだったら、これからもクラブに行ってもいいかなーと思うきっかけになった。

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-それは素敵な出会いですね。そこからはクラブの魅力にどっぷり浸っていったって感じですか?
俊大さん:そうですね、それくらいからめちゃくちゃジャズにはまって、ジャズのレコードとか他のジャンルのレコードを買い漁ってた。趣味として手探りで聴いてたら、かなりのハイスピードでレコード買い出しちゃって。
「そんなにレコードが好きなら、DJ始めればいいじゃん」って先輩からの誘いが来たから素直にそれに乗っかる形でDJやり始めたんです。それが20歳過ぎたくらいかな。最初はちっちゃなクラブで、一番下っ端としてDJさせてもらってたんだけど、そこからどっぷりナイトライフに浸っていきました(笑)ちょうどこのくらいの時期に今も親交のあるNOMATA野俣くんとは出会って、よく遊んでもらってたのも懐かしいですね。

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-DJって夜遅くからイベントしたりするから、やっぱり夜中心の生活になっていきますよね。
俊大さん:20代前半からそっちの世界にのめり込んだから、バーで働いたりする方が稼ぎの面でも効率良いし新しい出会いも多かった。学校はなんとか卒業したけど、DJする傍らクラブパーティーを主催する会社でバイトさせてもらったり飲食店でバイトしたり。ほんとに好きなことと楽しいことだけしてた20代でしたね。それは今もあんまり変わってないかもだけど(笑)

BEPPUの脚元を支える場所

-ここからは、CREOLE CAFE開店までのストーリーをお聞きします。クラブにどっぷり浸かった20代を過ごされたとおっしゃっていましたが、別府に帰ってくることになったきっかけはなんだったんですか?
俊大さん:20代も後半に差し掛かって、このまま30代に突入してしまうのはどうかなって考え始めたんですよね。音楽もDJも好きでやってたけど、仕事としては成り立っていなかったから。
ふと何かのタイミングで別府に帰省したときに、APU(立命館アジア太平洋大学)ができてグローバル化していく最中の別府を見て、福岡で吸収してきたものを地元でお店を構えて発信できたらいいなって思ったんですよね。「これからインターナショナルな街になっていくんだろうなー!」って感じたのが大きかったから、結局は『別府のポテンシャル』を感じたことが別府に帰ってきた一番の理由かな。

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-そんな中、久しぶりに別府に帰ってこられていかがでしたか?
俊大さん:お店開くまでの5,6年で人脈作りとか別府・大分を再確認しながらどういうお店をしようかなってずっと考えてた。お店をしようとは決めてたけど、場所や形態はまだ決めてなかったので。
音楽要素の強い飲食店、つまり昼からお客さんが来てビール飲んでもいい音が流れてるし、夜は夜でディープなものが流れているっていうようなお店にはしたいな〜って感じでしたね。ただ、久しぶりに地元に帰ってきたから、まずは街に溶け込もうとしてたかな。

-今やCREOLE CAFE=別府タワーにある音箱というイメージが強いですが、別府タワーに出店した経緯はなんだったんですか?
俊大さん:場所探しをしていた時に、今の場所が当時の別府タワーの社長夫人が趣味でされているブティックだったんです。スケルトンで何もないところだったんだけど、入った瞬間真正面のアーチに衝撃を受けて。別府タワーの脚の部分なんだよね、あのアーチって。あれが目に入った瞬間に、「あそこの下にDJブース作ろう」って思った。家賃も管理会社のことも何も知らなかったけど、直感でドンピシャだったからそこからトントン拍子だった(笑)

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-そういう経緯だったんですね。いつも遊びに来た時は、建物の構造自体に目が向くことがあまりなかったです。
俊大さん:アーチもそうなんだけど、他にも小話があって。実は、今お店のある場所は大型観光バスの駐車スペースだったんですよ。別府が今以上に栄えていた時代の話だけど、別府タワーの見学に来た大型観光バスの駐車スペースとして使っていて、当時は地元の小学生とかが観光客を歓迎する踊りを踊ったりもしていたらしい。つまり、この場所は昔から”ダンスフロア”だった!面白いでしょ(笑)

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カルチャーの源泉

-今では、CREOLE CAFE開店当初に比べて、徐々に学生の遊び場として盛り上がってきた印象がありますが、いかがですか?
俊大さん:開店当初は、とにかく目の前のことに必死で、まずは飲食店として常連さんを作ろうと必死だった。地元の友達も30代になって、家庭持ったりしたら前みたいに朝まで遊んだりとかできなくなったから、学生とよく遊んでましたね(笑)
開店当初はレコードDJが当たり前だったから、『レコードを持ってないとDJできない店』として学生には敷居の高い店になってたんだけど、ある時インドネシア出身のAPU生に「DJさせてください」って言われたのが今の『CREOLEカルチャー』ができたきっかけでもあるかな。
当時からインドネシアで日本のシティポップとかが流行ってたこともあって話が盛り上がったし、うちで流してるDISCOとかも彼らはUSBでコンプリートしてて(笑)レコードDJの時代からUSB一本あればDJできる時代に移り変わってきてたのは肌で感じていたし、好きなジャンルもお店の雰囲気にも合いそうだったから「DJやってみる?」って感じでその時初めて学生DJに場所を貸し出しましたね。

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-彼らの熱意が伝わって、今の学生たちの遊び場が出来上がっていったんですね!
俊大さん:彼らだけじゃないけどその世代の何人かがよく通ってくれて、多分ここで(DJを)やりたかったから、通ってたんだと思う(笑)ここでちゃんとご飯を食べて、お金を落としてくれてたってのもあって、互いにリスペクトできる関係だから仲良くなった
「俊大さん、僕たちもDJ好きだし全く違うジャンルではないと思うので、ここでイベントやってみたいです」って感じだったから、じゃぁやらせてみようかって感じで始めましたね。最初は結構不安でドキドキでしたよ。この店の何を壊して帰るんだろーみたいな(笑)
色々不安を持ってスタートさせたけど、それがすごくいいパーティで。思いのほか彼らが礼儀正しかったし、建物の周りのゴミを拾って帰ったりとか、こっちは何も言ってないのに次の日も来てテーブルを元の位置に戻しますとか。それくらい良い子たちだったから印象が良かったんですよね。

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-そんな彼らのアクションから、徐々に学生が集まるようになったCREOLE CAFE。今現在、多くの学生が集まるようになって変化を感じたことはありますか?
俊大さん:最近特にAPUの学生に魅力を感じてる。うちでイベントをする学生たちが増えていったことで、他の学生DJたちもジェラシーを覚えてみんなで切磋琢磨しながらレベルアップしていってる。僕としては「彼らの遊び場を守っていかないと」と思ってるし、逆に学生から教えられることも多くなってきた。例えば『曲のダウンロードの仕方』とか(笑)
そもそもCREOLEって、『混血』とか『混ざり合う』って意味があるから、いろんな人種の人たちがいろんなジャンルの音楽をみんなで楽しめるようになったし、お店としてもAPUという存在が本当に大切なものになった

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大分の音楽シーンの未来

-別府でお店を構えてから10年。これからの大分の音楽シーンへの期待や目標を聞かせてください。
俊大さん:この10年は本当にいろんなことがあった。でも自分としては好きなことだけしてきて、やりたいことをお店で体現できた10年でしたね。コロナでみんなが大変な思いをしたけど、これから徐々に観光客で賑わう別府の日常が戻るだろうから、今まで通り別府タワーでお昼からお酒飲んだり楽しめる空間はキープしたいかな。
個人的にというか、お店的にはこれからもっと外に出て、地域との関わりを強くしていきたい。別府にはスパビーチや別府公園など素晴らしいロケーションもあるので、別府の同志たちと協力してフェスを作ったりとか、今まで培ったコネクションとかアーティストの人脈とかを発揮できれば少しでも地元に貢献できるかなと思ってる。

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これまでの10年間を表す10曲

-お時間頂きありがとうございました。最後に、今回選曲してくださった10曲に込める思いを教えてください。
俊大さん:DJとしては自分の思い出の曲やヘビープレイしてる曲、昔から好きな曲をピックアップした方がいいのかなって考えたけど、この10年の感謝とリスペクトの意味も込めて、今でも関わりのあるアーティストさんだったり、僕とお店にいい影響を与えてくれたアーティストさんや楽曲を中心に選ばせてもらいました。ぜひ楽しんでください!

松尾俊大さんセレクトの10曲
・TOSHIO MATSUURA GROUP / Pina
・KYOTO JAZZ MASSIVE / Get Up ft. Roy Ayers
・RIGHTEOUS / Boogie
・Sunaga’t Experience / Rogue
・HIKARU MEETS KENICHI YANAI / SLIPPING OUT ft. LUVRAW
・Jazztronik / MADRUGADA
・DJ KAWASAKI / Sun, Run & Synchronize(ft. sauce81)
・SOIL & “PIMP” SESSIONS / WALTZ FOR GODDESS
・JAZZANOVA / Let Your Heart Be Free
・La feau / Kopacka
※各種サブスクリプションサービスで配信されていない楽曲も含みますので、プレイリストの内容に差がございますことをご了承ください。


多久島皓太 / ライター
1998年生まれ大阪出身の23歳
the HELLには開店当初から通っており、当マガジンの趣旨やオーナーの想いに共感しライターとして参加。
現在起業準備中で日々の苦悩や葛藤、また趣味であるサッカーに関してなどSNSを通して幅広く発信している。
英国の伝説的ロックバンド oasisの大ファン
Twitter / note
深川謙蔵 / the HELL オーナー, 編集長
1990年佐賀県生まれ。立命館アジア太平洋大学卒。卒業後は株式会社オプトに入社し、新卒採用担当として勤務。2019年3月から別府に移住し、「遊びの入り口」をコンセプトにしたレコードバーthe HELLを開業。コロナ禍では、別府の風景を販売するチャリティの企画や、複数の飲食店と協力して朝ごはんを提供するイベントを運営。2021年5月より、「街の人が、街の人に学ぶ『湯の町サロン』」を主宰。
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