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カモミール 優しさのクオリティのはなし

10/16/2019 分編集済

いろいろな香りによく使う精油があります。それはカモミールです。
ここまで香りと品質にばらつきがあるのは珍しいとおもうくらい、すでに香り自体が劣化している場合などは、不快な香りがします。
新鮮で、良いお店で仕入れたものは、とても純粋で軽やか香りです。

カモミールという存在は、わたしのなかで「優しさ」の象徴のような香りなんですね。日本では、あんまりカモミールというのは普通の家にはおいてないだろうけど、欧米の家には必ずハーブティーで大抵、コーヒー、紅茶、のならびにカモミールはほとんど用意してあります。

それは、いうなれば、オロナインみたいな存在感なのですよ。

あると安心、精神安定剤みたいな、なんかあったら、とりあえずオロナイン塗っとけみたいな。

それで話をオロナインからカモミールに戻すけど、つまりそれは、たとえば小さな頃に、夜怖い夢をみて眠れないときに、台所に降りていくと、ちいさな光のなかでママが本を読んでて、そうすると、抱っこされながらあったかいカモミールのお茶を飲む。

まあ小さい子供だったらミルクとかかもしれないですが、これが大人になったときも同じなんですね。

どうしても心配なことや不安なことがあって、心がざわついて眠れない時に、静かに台所へ降りていったときに、やさしく迎えてくれる存在。

湯を沸かして、目が覚めるようなお茶ではなく、カモミールを入れてくれる家族。

何も言わずに、ただ静かに、おしゃれでもなんでもない来客には出せないようなダサいマグカップに、湯気のでたハーブティが入れられて、そこから何かがほどけてゆくように。

いつか昔、「自然は、そこなしに優しい」というフレーズが自分のなかに刻まれたとき、それからというもの、底なしの優しさっていうのは、いったいどういうものなんだろう?

ってずっと、考えていたんです。

言葉でもなく、どんな慰めでもなく、励ましでもなく、ただ、そこにあるという存在感のようなもの。大きな空や、優しい光や、とくに何かをいってくれるわけじゃないけれども、

包み込んでくれるもの。


優しさというのは、ひとによってたくさんの定義があると思います。優しい人ほど怒ると怖いとか、優しさと弱さはかなり表裏一体だったりします。

色んな感覚の優しさっていうのはあるけれど

その「なにもしないけどそこにいてくれる」

とりあえず家にカモミールのお茶の箱がある(多分ホコリかぶってるけど)

みたいな。

オロナインとかも絶対(これいつ買ったやつだろう20年前だろうか)ってなるやつ。

そして私のなかの「底なしに優しい」は、イコール、(自然は底なしに優しい)というフレーズのごとく、大きく、そして厳しさを含むものです。

優しいだけでは、たくさん傷つくことがあります。
自分や大切なひとを守れないこともあります。

でも、「優しさ」のクオリティを、傷を癒すたびに上げていくと、それはきっと底なしに優しい自然のような強さを持つんじゃないかとおもうのです。


そんな「やさしさ」の象徴でもあるような、「カモミール」の精油は、ハーブなんだけど、わたしたちの思うハーブの香りというよりは、もっと甘い果物のような感じが近いです。

良いやつは、りんごのような優しい香りで、すごく、普通なんだけど、とくにこう目を覚ますような惹きつける香りじゃないんだけど、

でも、そこに空があるように、太陽があるように、一家に一台カモミールやらオロナインがあるように、なくてはならない、優しい香りです。


どんなに痛みを伴うときも、苦しいときも、感謝がわいてくるときも、愛を感じる時も、強くなりたいときも、

そのそこなしに優しいエネルギーを感じてほしくて

たくさんのブレンドに使っています。


それで、オロナインだかカモミールだかの説明をここまですると、素朴な感じがするカモミール。ガーデニングやお茶も、まさに優しさの詰まった、手の届きやすい存在。

ところが精油にすると高価です。

香りを抽出するというプロセスは、かなり難しいものは難しいらしいです。

取れるものと、取れないもの、取れてもあまりに希少価値が高過ぎて(ほとんど手間に対して取れる量が少なすぎるってこと)市場には出ないものなどいろいろあるそうです。


Mai




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