「怠けて見える」その姿の中。

みなさん、こんにちは。
新学期も迎え、みなさん体調などはいかがでしょうか。
私はここ数日なぜか夜中に目が覚め、明け方に眠くなるというサイクルが続いています。今日も夜中に目が覚めましたが、いろいろと今日は思いが言葉になりやすい日で、目が覚めてからはこの間の仕事の事や子ども達のことを考えては言葉にしているところです。

言葉にしやすい感覚(自分の感覚にぴたっとはまる表現や言い回しができたと感じられる)は実は毎日ではないので、こういった「うまく思考と言葉が繋がってる」時にいろいろと書き残しておきたいものがあります。

今日はその中のひとつ、「怠けて見える、その姿の中」についてお話します。

「怠けている」と見られるこどもたち

施設にも、家庭にも
”怠けているように見える子”はいませんか?
全然動かない、学校にも行かない、自分のことすらしない、反応すらない。
その姿は、まるで無気力で、他力本願で、投げやりに映るかもしれません。
そして何故そうなったのか、全く理由が思い浮かばない。

そんな姿を毎日毎日目にしていると
おとなは、その変化がない状態に心穏やかでいられなくなってゆくことがあります。

本来登校やバイトなど、”やるべきこと”に何も着手できない子の姿を通して
”私は何もさせられていない” ”私の行動(存在)がこの子に何も作用していない”
そんな無力感や存在否定に近いような感覚がそこにあるかもしれません。
そう思うようになると、その子の現状を悠長に見ることが難しくなってくることもあるようです。

「この子は本当は動けるはずなのに怠けて動かないだけ」とか
「めんどくさがってやらないだけ」とか
人によっては「私を馬鹿にしているの?」と怒りすら感じることも。

そんな「怠けているように見える、なにも変わらないその子の姿」を叱責したくなったり、怒りや無力感を抱く時。
大人と子ども。それぞれに何が起きてるのでしょうか。

どうしても見えなかった”ある視点”


実は
怠けている姿が許せない、というような叱責したくなるようなその感情は
「おとなとその子の距離が近すぎていること」が原因で生まれたものだったりします。


子どもの事なのに、自分事のように見て考えたりしている。
子どもの姿を変えられるはずと思う。
そんなおとなと、そうは望まないこども。
お互いに苦しく感じてしまう、そんな構図が生活の場にはあると思っています。

また、距離が近いと、見えなくなっていくものがあります。それは
怠けて見えるその子は、本当に怠けているのだろうか という視点です。

この視点は、その子との距離が近ければ近いほど持つことが難しいと思います。なぜなら、おとなであるあなたは、朝から晩まで毎日その姿を見ています。なぜ、を考えるエネルギーがもう残っていないほど、今までその子のためにとあの手この手を尽くしてきました。それでも何も変わらない現状。無気力に見えるその姿の理由がわからない不安と、怠けているに違いないと決めたくなる時。それは気づかぬうちに見えないダメージがあなたの中に溜まっている可能性が大きいのかもしれません。

誰であっても、距離が近いと客観的に見ることが難しくなります。

ですので、その子を客観視できる人、という存在がポイントになってきます。
(ちなみに、近い距離にいる方に現状の視点を少し客観視してもらうために敢えてこの視点を持ち出し、質問をしたりします。
「本当にあの子は怠けているんでしょうか」と。
たいてい皆さん「え、、どうなんでしょうかね、、」と少し動揺されたりします。)


足りないのはその子の頑張りではなく

そして子どもが怠けて見える時。
そこにはその子との会話が足りないことが考えられます。

会話がないため、原因も見当つかない。
会話がないから、憶測でその子の感情や状態を考えるようになる。
会話がないから、大人の中にある材料だけで答えを見つけよう(あてはめよう)とする。

人はあるものの中からどうにかして答えを導き出したいもの。対応に困っている、でも会話がない。そんな時こそこのようなサイクルになることはごく自然なことなのだと私は思ってます。


怠けていると、決め込んでいたのは大人のほう


そこで必要になってくるのが、
怠けているに決まってる。という見方ではなく
怠けてる以外に考えられる理由はないだろうか、という視点です。

変えるのはその子の姿はなく、大人の見方であるのです。

怠けて見えてるその姿は、大人側が「怠けているように見ている」だけであって、本当は違うのだ、ということに気づくことがポイントです。
私達おとながまだまだ知らないものを、この子は抱えている。そんな見方をもってみてもいいかもしれません。

「怠けている以外に考えられる理由」を見つけるためには2方法あります。
1つは、その子の睡眠、行動や食事の有無など、その子の現在の健康状態を把握できる情報を集めること
2つめは、その子と他愛ない会話をすること。

距離が近すぎると、この他愛ない会話が難しく感じられることもあると思います。「今更そんな会話できない。。」「そんなことできる状態じゃない。。」など不安もあって当然です。

でももし、本当にその子との関係を変えたい。
そう思う気持ちが少しでもあるなら、まず自分のその子への見方を変える必要があるのです。
その為には、「今のその子」を知ること。
声をかけるのは今や叱責や注意のときだけ、なんてこともあるのなら
叱責や注意ではない「会話」の時間を再度もつことを強くおすすめします。

その子の好きなアニメは何でしょう。
好きな漫画、ゲーム、音楽、絵描きさん、youtuberさん、ブランド、推し。
好きな過ごし方、ルーティン、癖、譲れないマイル―ルなどはなんでしょう。
その子を今支えてくれているものは、一体なんだろう。
それを、まずはゆっくり知っていくことから始めてもいいのだと思います。

今のその子を知っていく。その間は、現状の課題についてはなるべく触れずに会話を重ねることもポイントです。課題に向き合う時間は、今でなくて大丈夫。
おとなが焦る分、子どもは殻を厚くします。
おとなが気にしなくなる分、子どもは自らその話題を口にするようになります。

おとなが忘れていたもの

今まさに行動の変化が見えずその理由もわからないとき。口をつぐんでいる子ども達は、もしかしたらこう思ってるかもしれません。

「本当の理由を話しても、そんなことって言われるかもしれない」
「あなたの行動が原因でしょう、それを直せばいいだけじゃないのと言われるかもしれない」

子ども達のその思いや悩みは、そばにいる大人からは”小さく見える”かもしれません。
でもその子にとって、その困りごとはずっと抱えていたもので、言っていいことなのかずっと悩み動けなくなっていた、大きな困りごとなのです。
そのため、自分なりの理由を話すこと自体に抵抗や恐怖心を抱いている子もいます。

そんな子達と何気ない会話を重ねてゆき

そんなこと、と一蹴されずに済むかもしれない。
もしかしたら大丈夫かもしれない。
そう子どもが思えたら。

「言ってみようかな」
そう子どもが思えたら。

私達おとなは「大人や社会が望むような上手な姿にあなたがなること」を望んでいるわけではないことを、子ども達に分かってもらえたら。
そう思います。

そして、その子を知ること、その子との時間を過ごすことが何より大切であることを、私達おとなが、今一度思い出すのです。

今日も、会いに行く。

子どもと会話を重ねると、
「怠けて見える」そんな外殻がぺりぺりはがれることも知ります。
怠けているわけではなく、その子なりに考えていたこと、誰にも話せなかったことがあったことを知ります。

怠けて見える子はいるかもしれません。
でも、怠けているわけではないのです。
彼らは、困り、立ち止まり、右にも左にも行けず、助けを求められずにいるのです。

怠けていると決めつけず
まずは会話を持つ時間を確保してみていただきたいのです。


そこに隠された見えない理由や思いに触れられるのは、いつになるかは分かりません。
でも、だからこそ、今日もあの子の声を聴きにいく。顔を見に行く。そんな大人でありたいと思います。

さて、今日はあの子と、どんな話をしよう。





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