見出し画像

地域の風土をかたちづくる風景屋(青森県十和田湖)


はじめに

日本各地に存在する空き家を、地域が抱えている課題解決の糸口にできないか。その思いで始まったTHEDDO./スッド。
noteでは、THEDDO.メンバーの活動記録や空き家に対する思い、考えを発信するほか、既に各地で空き家問題や新たな場づくりに取り組んでいる方々への取材記事も掲載。空き家問題や空き家の改修・利活用を考える人々にとってヒントになるようなお話を紹介していきます。

プロフィール

今回取材したのは、株式会社風景屋代表の小林徹平さん。
神奈川県秦野市出身で、2012年に早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程を修了。同年に仙台へ移住し、コンサルタント・東北大学助手として東日本大震災の被災地である石巻市の復興計画策定に都市計画・土木・建築の観点から参画するなど、風景をつくる仕事をしています。

風景屋の小林徹平さん

2017年に風景屋 ELTASとして独立後、青森県の十和田湖休屋地区の景観計画策定の支援に携わり、現在十和田湖に在住。十和田湖畔にあった空き家を改修し、メンバー登録制のコワーキングスペース・中長期滞在者専用のゲストハウス「yamaju」のオーナーを務めています。

東日本大震災により、観光客が大きく減少し、空き家が増え続けていた十和田湖。地域の風景をどのように残し、どのように発展させていくか。地域の人たちの思いを拾い上げるまちづくりとは何か。

THEDDO.では、今後の空き家対策を考える上で、地域の住民の方々と連動して周辺の特色(湖や森)や暮らしを取り入れた新しい場づくりについて、お話をお聞きしました。

十和田湖の記憶が息づくまちづくり

青森県が進めていた十和田湖休屋地区の景観計画策定の支援により2017年の秋に十和田湖を訪れた小林さん。当時の十和田湖休屋地区は、観光客が減少しているなか、東日本大震災の影響も受けて、11軒の商店と3軒のホテルが廃業。空き家や廃屋が増え、環境省が策定している公立公園の景観などに対する管理計画書も数十年間にわたり形骸化していました。

計画策定にあたり、様々な関係者に話を聞いていたところ、課題の1つに「計画に携わる行政三者+地域住民の対立」が浮き彫りに。石巻市の復興計画でも国交省、県、市、地域住民を繋いだ経験を持つ小林さんは、行政の人を集め、十和田湖の滞在の在り方を考えるワークショップを開催。まずは互いを理解し、どんな町にしていきたいか、しっかり話し合う場を設けました。

また、地域の人々へのヒアリングを通して得た情報や言葉たちを「湖畔の風景 16の物語」として編集。ゲストハウス「yamaju」の立ち上げを目指したクラウドファンディングでも、支援者の方々に冊子でまとめ、配布を行いました。

▼「湖畔の風景 16の物語」は小林さんのnoteでも読むことができます。
美しい十和田湖の景色と十和田の人々の言葉に、ぜひ触れてみてください。

「湖畔の風景 16の物語」を元に、「あずましい湖 日常を忘れ 悠久の時間のなかで過ごす」というまちづくりのコンセプトと、3つの概念を設定しました。
※あずましい:南部弁で「居心地が良い」「気持ちが良い」という意味。

十和田湖の美しい風景

1.「悠久の時間」
世界最大規模の二重カルデラの十和田湖。1万5000年前には第一カルデラができ、915年(平安時代)の大規模噴火から今日まで、変わらぬ景色を残し続けていることから。
2.「非日常」
1番近いコンビニでも車で40分かかる休屋地区。峠を越え、時間をかけないと辿り着けない場所。だからこそ、来訪者が日常では味わえない穏やかな時間、「非日常」を提供することを目指す。
3.「安息・休み」
十和田信仰の修験者たちの休み処だった「休屋地区」。心身を日常から解放し、新しい自分と出会う場所となる。

「この3つの概念は、この地域で代々やってきたことを言語化したものです。ここから更に設計のための言語を6つ作っています。参道の設計だったら、『休みたいときに休める場所を』『居心地の良い場所を』とか。3つの概念に合うような形で言語を作って、設計の見直しをかけています」

他にも店舗サービスの作り方や、建築言語を用いた15のアイデアをガイドラインとしてまとめるなど、3つの概念を元に各施策に沿う形で編集した小林さん。大規模なまちづくりの各施策1つ1つが、元を辿ると、休屋地区で暮らす人々の記憶や思いにつながっていくのです。

十和田湖の人々にとって大切な風景が、外の人にも伝わるように。
自分たちの地域の風景を、十和田湖の人々が守りたいと思ってもらえるように。人々の記憶が息づくまちづくりが十和田湖で始まっています。

ゲストハウス「yamaju」のこれまでとこれから

景観計画策定の際、十和田湖休屋地区で空き家になっていたお店「山寿」を事務所として借りた小林さん。活動を通して知り合った仲間たちが地元のお酒や食材を持ち寄り、十和田湖をどうしていきたいか、夜な夜な語らう日々が続きました。

ゲストハウス「yamaju」が今の姿になったのも、この飲み会が始まり。参加メンバーの1人であるイラストレーターの甲田花南さんが「観光名所の『十和田神社』と『乙女の像』を見終えた観光客の方に、『なんか他にやることないですか?』とよく聞かれる」と話したことがきっかけでした。

始まりは小さな宴会から

「やっぱり観光客の方々からすると、観光施設に行ったりお土産を買ったり、そういう体験を目当てに来ているわけですね。でも、我々からしたら『目の前にこんなに美しい湖があるんだから、それを眺めればいいのに』と思ってしまって」と小林さんは振り返ります。

「チェアリングをyamajuで提供できないか」といったアイデアは出ていたものの、「やる意味」が明確に打ち出せていなかった為、甲田さんの言葉は大きなヒントになりました。
※チェアリング:持ち運び用のイスを野外に設置し、飲酒や読書をしながら過ごすアクティビティ

「ここに来て何かをするんじゃなくて、何もしなくて良いよね。っていうことを、ちゃんとサービスとして提供しようと考えました。yamajuのやろうとしていたことの基本は全て、ここにあります。」

雨の日はチェアリングができないため、「山寿」もカフェとして活用することに。十和田湖の商習慣として、寒さの厳しい冬は営業しない前提で作られた建物のため、防寒対策がほとんど無く、断熱を効かせた部屋を建物の中に作る大きな改修を施しました。平日はコワーキングスペース、土日はカフェとして1年間運営していましたが、現在はコワーキングスペースや宿泊施設の他、イベント活用やたまにカフェなどで運営しています。

十和田湖のチェアリング風景

「宿泊は4泊以上に設定しています。長く滞在すればするほど、自然の変化を感じることができますし、早朝に早起きすれば宣材写真のような凪の写真を撮れることもあります。また、地域のホテルに1泊〜2泊する観光客の方もかなりいたので、地域の方の顧客を奪うような行為はやりたくなかったんです」

実際に、お昼に地域のお店に赴く宿泊客は増え、リピーター率も3割程度に。リモートワークが増えてきた昨今、1週間と長期にわたって滞在する方も増えてきているようです。小林さんと宿泊客と十和田湖の人々で1人1品おかずを持ち寄り夕食をともにすることも。yamajuが生まれた時と同じように、そのまま話が盛り上がり、イベントや商品開発などの新しい試みが生まれる場所になっています。これからは培ったコミュニティを活かし、十和田湖で地域のために活動してくれる仲間を増やす研修施設の側面も持たせていきたいと話す小林さん。「あずましい」地域づくりのために、東奔西走中です。

改修前(山寿)
改修後(yamaju)

十和田湖休屋地区の人々の変化

景観計画の策定支援やyamajuを運営していく中で、地域内外ともにこれまでなかった新しい交流が生まれ、人と人の繋がりに変化が生まれたことで、新たな風景や文化が生まれつつあるとか。こちらについて、主に3段階に分けてお話をお聞きしました。

まず1つ目が、「個人と地域」の関係性の変化。景観計画を策定する上で会議やヒアリングを行ったこと。それまで休屋地区では、商売敵であるという意識の名残りか、お店を経営する人は他のお店に足を運ぶことがほとんどなかった状態でしたが、それぞれの人となりや考えを聞く機会に。小林さん自身も、お土産屋さんや飲食店などに赴き、地域の人たちの話を丁寧に聞いていったと話します。

2つ目は、コロナ禍による「地域の一員」としての意識の変化。東日本大震災による観光客の減少から回復傾向にあった中での行動制限に、地域の人々の危機意識が一気に高まったそうです。ちょうどその頃に、環境省が1つの廃屋を撤去。3000平米ほどの跡地を利活用するために、協議会が発足しました。協議会には地域の事業者が参加可能ですが、5万円出さないと入れないという仕組み。行政に全てを任せるのではなく、地域の人も責任を持ってまちづくりに関わってもらうことを目指したもので、発足当初は4社だった事業者も現在は7社に増えています。「コロナ禍がなければ、参加する事業者さんはもっと少なかったのでは…」と小林さんは話します。

3つ目は、「地域の外部」を巻き込んだ変化。小さな芸術祭「北奥のF゛UNKASAI」(読み:ホクオウのブンカサイ)や、とわだこマルシェなど外部を巻き込んだイベントの開催による交流や情報発信が生まれつつあること。北奥のF゛UNKASAIでは、世界で活躍するアーティストの方々を招き、「地域の人々がまだ見たことのない、新しい地域の姿や、新しい視座をください」と作品制作を依頼。そうして出来上がる作品たちは、地域の人々に驚きと感動を与えています。

2023年度は世界で活躍するアーティスト、中山晃子さんのライブパフォーマンスを含めた絵画と映像の展示、山形県大江町を拠点に活動しているデザイン研究所、吉勝制作所による自然素材から生み出した顔料の制作、講談師の田辺銀冶さんが制作したオリジナルの十和田湖講談など、作品制作に十和田湖の歴史や自然風土を取り入れることで、地域の人々に新しい視野や土地への愛着を感じてもらい、外の人にとっても十和田湖の風景ひとつひとつを「大切なもの」だと知ってもらうことにつながっています。

中には、観客として訪れるだけでなく、作品協力として参加する地域の人も現れているのだとか。よそのお店に立ち寄ることもなかった地域に、新しい人のつながりが着実に生み出されていることが伺えます。

地域の風景を伝えるために

休屋地区の景観計画策定支援に携わる前、石巻市の復興計画策定中に小林さんが行ったとある実証実験があります。

石巻にある集落の風景写真90枚を「集落の人々」「集落を持つ市内の人々」「市外の人々」に見せていき、どの風景がより重要だと感じるか質問し、分類していくものです。

「例えば漁村集落だと分かりやすいんですけど、ブイがゴロゴロあったり網が干してあったりするわけですね、生活文化的に。地域にとってはものすごく大切な風景だと思うんです。でも、外の人が何も知らないで見ると、『なんかごちゃごちゃしていて、下手を言うと、汚い』という印象になるんです」

集落の人だけが重要だと考える景色もあれば、市外の人々が重要だと考えても「そんなのはどこでだって見られる」と集落の人々はそう思わない風景も。評価を分類した結果、「集落の人々」と「市外の人々」は重要と考えても、「集落を持つ市内の人々」はその風景に価値を見出さなかった。という傾向のみ、唯一現れなかったといいます。風景を重要だと捉えるか否かの線引きは、個人が持っている風景に対する知識量の差であることを物語っています。

なんでもない風景からはじまる物語

地域の人々にとって馴染みのある大切な風景をどのように残していくか、外の人にも知ってもらうにはどうしたらいいか。小林さんは「必ず、経験とセットで共有しないと伝わらない」と言います。

風景に対する知識を共有するには、「実体」と「活動」と「意味」の3つの視点があるとのこと。目に見えるもの、客観的に存在する「実体」、そこで誰かと「活動」することで、経験や思い出の「意味」が生まれる。この3点が「知識」の1つのパッケージであり、いかにパッケージを作り上げるかが重要です。

「yamaju1年目の際に、宿泊者の方からフィードバックをもらったことがあるんですけど、『十和田湖の暮らしに混ぜてもらったような感覚になりました。ここで暮らしたら、こういう暮らしができるんだなって感じられました』と言っていただいたことがありました。もし、本当に伝えたいことがあるなら、行動の中に混ぜていくことが大事だと思います」

専門家として震災復興計画に携わり、多様な立場の方々をつなぐ経験から得た視点と知見から、より深く地域に根ざした新しい「風景」をつくり続ける小林徹平さん。最後に、今後THEDDO.が活動拠点とする大隅半島や実際の空き家についてのイメージをお聞きしました。

「大隅半島はまだ訪れたことがないのですが、地形から見ると今後THEDDO.が改修しようとしている空き家の立地は微高地(少し小高い場所にあり排水がしやすい場所)にあって、ご先祖が代々暮らしてきた知恵がそこにあるんじゃないかなと。私たちが計画を進める最初の段階は、昔の航空写真や地域の方々への聞き取り、また時には植生調査(必要に応じて土壌調査等)も行いながら、『その土地らしさ』を追求していくのですが、大隅半島の場合もユニークな地域らしさがこれから表れてきそうで楽しみですね」

yamajuと十和田湖が生み出す風景は拡大し続けている

<編集後記(スッド)>

震災復興という、都市のあり方とそれに伴う風景やコミュニティ・人間関係までが急激に失われ、また再構築される過程を経て、地域に深く根ざした視点から、その土地らしさを地域の方々と共につくり続けている小林徹平さんにお話をお聞きしました。普段、自分たちの住む町や地域こそ、当たり前になってしまって、「らしさ」に気づくことが難しい側面もありますが、来年はぜひ小林さんを大隅半島にお招きして、地元の方々とリサーチ&フィールドワークを行いながら、地元の方々の視点と、外からの視点、それぞれを混ぜ合わせて模索していきたいなと思いました。
人・家・まち・・それぞれのスケールで、大隅半島では、今後どのような「地域らしさ」が表れてくるのか、とても楽しみです。

(編集・執筆 坂本彩奈)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?