科学記事の誤訳:ショウジョウバエ vs ミバエ

Fruit flyを機械的にミバエって訳すのやめてもらえませんか、という話。

分子生物学の入門書やら新聞記事を読んでいるとたまに、Fruit flyをミバエと訳しているものが目にとまる。このFruit fly、ややこしいことに日本語ではミバエとショウジョウバエという異なる2種に対応している。どちらも果物に群がる小さいハエなのであるが、れっきとした別種であり分類学でもそれなりに離れている。

例えば最近読んだ本だとPaul NurseのWhat is life。ノーベル賞受賞者の名著を科学コミュニケーションで活躍される竹内薫氏が翻訳されていて、非常に読みやすい分子生物学の一般書である。こちらでは1-2度ほどミバエが使われ、ショウジョウバエは登場しなかった。

Fruit flyを辞書でひくと辞書によってはミバエが第一に出てくる。手元に英和辞典がないのが悔やまれるのだけれど、Weblioや英辞郎ではミバエとしか書かれていない。むしろショウジョウバエは登場しない。辞書の上ではどうやらミバエの方が優勢らしい。

一方、分子生物学ではショウジョウバエが圧倒的に優勢である。いまから100年以上前にThomas Hunt Morganがモデル生物として使いはじめ、突然変異体や染色体地図など分子遺伝学における輝かしい業績を発見。以降、いま現在でも世代の速さや飼育しやすさ、豊富なリソースなどのおかげでモデル生物の代表格として君臨している。分子生物学をやっていればFruit flyと言われれば基本的にはショウジョウバエ、特にキイロショウジョウバエ、 Drosophila melanogasterだと脳内補完する。たまに別のショウジョウバエが使われたりするけれど、どれも近縁種である。ミバエに対してショウジョウバエをcommon fruit flyと呼び分けるという追記も見られたが、私は論文でこの表記を見たことは一度もない。

Google scholarで論文を検索してみる。Drosophilaはご覧の通り、ものすごい数がヒットする。

一方でミバエをどう検索するかというと難しいのだけれど、たとえばBactroceraで検索するとこの通り。Drosophilaに比べると圧倒的に少ない。

ミバエ科Tephritidaeの検索結果の方がどうやら多そうである。このあたりはまさに生態学やら分類学の論文でまとめて議論された結果なのではなかろうか。しかしそれでもショウジョウバエには遠くおよばない。

翻ってWhat is lifeであるが、文脈上どう考えてもショウジョウバエなのである。これをミバエと訳してしまうのは完全に誤りであり、訂正する必要がある。竹内薫氏ほどの名サイエンスコミュニケーターですら誤訳してしまうので、これはできれば正しい知識を広めておきたいところである。(私が読んだのはkindle版であるけれど、もしかすると書籍の第二版以降修正されているかもしれない。)Fruit flyと言えばショウジョウバエですよと断言してしまうのもそれはそれで問題だしミバエ研究者の怒りを買ってしまうのだけれど、やりやすい誤訳ですよという知識は広まってもいいと思う。もしかするとミバエ研究者は日々この誤訳に悩まされていたりするのだろうか。

翻訳に携わる人は自分の専門外も訳さなければならないので、日々締め切りとの戦いの中で苦労されていることだろう。自国語で専門的な内容を学べるのはありがたい分化であり、こうした書籍から刺激を受けて未来の研究者が生まれてくるのだと思う。陰ながら応援しつつ、こうして専門家側からフィードバックを発信していきたい。


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