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花について #06 学校の花

少し前、友達が満開の桜の写真をSNSにアップしていた。東北時代の友達なので桜の満開が東京より1カ月ほど遅い。通っていた小学校の桜(見る人が見たらわかる)は昔と変わらずものすごく派手に咲いていて、当時の懐かしいことをいろいろ思い出した。風に落ちる花びらで校庭の土手がピンクになっていたこととか、葉桜の頃になると友達とたくさん集めた堅いさくらんぼのこととか。

大人になってから、花見に行こうと決めてどこかの公園に見に行った覚えがあまりないことに気付いた。会社勤めではないので決まった花見の機会自体少ないのだけど、それ以上に大きいのは、いつも自分の住む地域には桜の植えられた学校があって、公園にも負けない花をたっぷりと見せてもらえるからだった。関西でも、東北でも、東京でも。で、そういう桜はいつも校舎や校庭を囲むように植えられていたから、桜はきれいなだけじゃなくて災害からわたしたちを守ってくれてもいるんだと小さい頃からずっと思っていた。

今回、本当はそういう記憶を元に桜と学校について書くつもりでいたのに、途中で調べたら思い違いだったことが判明してしまった(桜が川縁の土手に植えられる理由とうすく混ざっていた)。前提条件が崩れてしまったので拍子抜けしつつも、学校に桜が多い理由にはいろいろな説があり、中には戦時中の神風思想に基づいたという悲しい説もあるらしいことがわかった。どれが正しいのかはイマイチはっきりとはわからないが、桜は古い学校に多くて新しい学校には少ない気がするから、まあそういう説があっても変ではないなと思った。桜について少しだけ賢くなった。

桜の写真を見たのと同じ頃、近所の大学で満開のツツジを見た(4月末なので東京はツツジの季節)。桜が少ない街中の新しい学校に何が咲いているかといえば、たぶんツツジが圧倒的に多い。鮮やかな見た目に加えて、環境変化への耐性や空気を浄化する力が高いことなどが選ばれる理由だろうと思う。実際、幹線道路などの植栽にもよく使われているし、道路沿いのけしてよくはない空気にも負けず美しく咲いている。
幹線道路といえば、たまに四角く剪定されて緑が歯抜けになったツツジに出会うことがある。わたしだけなのかもしれないけど、チェーンソーでざっくり刈られる様子を思い浮かべてしまい、とても侘しくなる。そう思わせるような仕上げはよくない気がする。何もそんな丸坊主みたいにしなくてもいいのに、もうちょっとかわいく仕上げてもいいのにと思ってしまう。あんなに一生懸命咲いて、空気をきれいにして、目も楽しませてくれているんだから、せっかくならツツジ本来の形を活かして仕上げてほしい。
それに比べると学校のツツジはみんな丸くこんもりと(もしくはわりと自由に)剪定されているのでなごむ。かわいい。そしてどれも素直にのびのびと育っているので安心して見ていられる。

こんなふうに植物園や公園に行かなくても、ちゃんと季節ごとの花で楽しませてもらえるのはとてもありがたい。どこも偶然だったとはいえ、学校が多い地域の魅力のひとつだと今は思う。

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