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エリック・カルメン(ラズベリーズ)死去. 実は「わが最高のロックシンガー」のひとり

どうも。

これはもう、僕にとっては本当にショックです。

エリック・カルメンが亡くなってしまいました。これは、相当ショックです。

世間的には、後述しますソロでの大ヒット曲のイメージなのかな。でも、僕の場合は少し違うんですけど。

最初の出会いはこれでしたね。

1980年、ちょうど僕が洋楽聴き始めた年に「悲しみToo Much」という邦題の曲が流行ってたんですよね。世界的なヒットではなく、日本のラジオ・ヒットではあったんですけどね。

そんなに重要な曲ってわけでもないんですけど、聴き始めの曲って覚えるじゃないですか。だから記憶には残って。あと日本との相性が良かったのか、そのつぎの

1984年の「噂の女」っていう、前川清にそんな曲あったようなそんな邦題の曲もマイナー・ヒットしました。アメリカン・トップ40でもギリギリ入ったんじゃなかったかな。

ただ、リアルタイムで最大のヒットといったらこれですよね。

1987年、88年の頭かな、大ヒット映画「ダーティ・ダンシング」の挿入歌に選ばれた「Hungry Eyes」。これが大ヒットしまして、全米チャートの4位まで上がったんですよね。このあたりから、この人のシグネチャーのメロディ、特にサビメロを意識するようになりました。

その、久々のヒットにかこつけて、新曲込みのベスト盤が出たんじゃなかったかな。それでこの曲も続けてヒットして全米3位。調べるまでHungry Eyesの方が売れてた印象だったんですけど。ただ、良くよく知ると、こっちの方が本来の彼っぽいヒットでしたね。

で、1989年に大学入ってアメリカンTop40研究会というところに入りまして。そこで先輩とか同期とかから音楽も学んだものでしたけど、その興味でベスト盤、買ったか、借りたかしたんですよ。

そのときに

最大のヒット曲である、これを知ったんですよ。「All By Myself」。1976年に全米第2位。これももちろん良い曲だと思ったんですけど

その次のこれもバラード・ヒットでしたね。これもチャートの11位とかだったはずです。

 このころの印象としては、クラシック音楽の影響なども受けた、豊かなメロディ・ラインを書く人なのかな・・・という印象を受けていたのです

が!

そのイメージが大学卒業後に大きく変わりました!

それというのも、1993年だか94年だったと思うんですけど

ラズベリーズのこのベスト盤を、池袋のON STAGE山野という店で買ったんですよね。

エリック・カルメンに関しては以前からラズベリーズのことを「パワーポップの元祖」とは聞いていて。チープ・トリックも大好きだったから、存在としてすごく気にはなっっていたんですよね。

1972年の、当時の全米チャートでトップ10にも入ったっこの最大のヒット曲「Go All The Way」。これもかっこよかったんですけど、もう、収録曲のあらゆる曲が僕の中ではヒットでして。

この曲だと、最初はピアノのバラードなんですけど、途中から中期ビートルズになって、サビから盛り上がって、最後、エリック・カルメンがMaybe youll maybe youll love meと、すごくソウルフルなシャウトをかますんですよね。このシャウトがゾクッとするほどかっこよくて!

この曲も、ピアノのバラードかと思わせつつ、ビートルズ・ハーモニーの後、エリックがサビでファルセット使って綺麗なままで終わるのかと思いきや、最後、エリックが堪えきれなくなったようにWhen I looked in her eyesという、これまた痺れるシャウトを聞かせるんですよね。そこに至る前の震える歌い方は、これまたエリックの特徴でもあるんですけど、ロイ・オービソン風の泣きなんですよね。

セカンド・アルバム「Fresh」のシングル・ヒットになったこの「Lets Pretend」も、前2曲のラインでは最高峰とも言えるもので。この曲でも、途中のブレイクからのhold me hold me,hoooooold me!のシャウトが最高です。

これもたまりません!I Reach For The LightはPenny Laneとか
For No Oneといったポール・マッカートニーの3連譜ピアノ曲路線にビートルズの青春失恋ソングの傑作「No Reply」の激情を掛け合わせた感じで。これも曲のおしまいの方で、エリックがもう、ジタバタしたような泣きの絶叫で。これが、大げさすぎてわらっちゃう域なんですけど(笑)、これまた
、もう何度聞いたかわからないくらい聞いてます。

この「Fresh」というアルバムですが、僕のnoteのトップ固定の記事「100枚のアルバム」の20位に選んでます。

でも曲単位だとやっぱこれかな

サード・アルバム「Side 3」のファースト・シングルの「Tonight」ですね。Go All The Wayですでにそうだと言えばそうだったんですけどラズベリーズ、メロウ目な曲はビートルズなんですけど、ロックンロールだとザ・フーとスモール・フェイシズなんですよね。直線的なエレキギターと、やたらとスネアの手数の多いドラム。そしてエリックのサビ前からのシャウト。そしてアウトロでのスモール・フェイシズのスティーヴ・マリオットをまんま彷彿させるソウルフルな歌い上げ。これはラズベリーズのみならず、70s全体で見ても最高のロックンロールです。

これもラズベリーズのモッズ調のロックンロールの中では最高の部類ですね。ラズベリーズ、こっちの側面でも語られてほしいです。

ただ、1973年の時点でメンバー仲が悪化。翌1974年に契約消化のアルバムを出してラズベリーズは短い歴史に幕を閉じました。

ただ、最後のヒットの「Overnight Sensation」。これはそれまでのビートルズやモッズの路線と違って、ビーチボーイズやフィル・スペクターからの影響を感じさせるものでしたね。ただ、途中からのスネアの乱れうちは、どこかエモーションを抑えきれない当時のエリックを感じさせて好きですけどね。

この時代のエリックは僕に言わせたら「ポール・マッカートニー増強ヴァージョン」ですね。メロウな部分もハードな部分も。ポールもどっちも秀でてる稀有な才能だと思うんですけど、エリックの場合がぞれが1・5倍増しなそんな感じで。そんなエリックこそが僕にとっての最高のロックシンガーのロールモデルであり、「好きなシンガー」のトップ10にはいつも入れています。

ただ、ソロでバラード路線を課され続けてそれから表立った活動をしなくなっていたんですけど、2007年に

復活ライブやってるんですよね。これ、当時すっごく見たかったんですけど、叶わなかったですね。

ここでもかなり元気な姿を見せていたんですけど、その後は音沙汰なし。死はFacebookで奥様から伝えられ、先週末に睡眠中に息を引き取ったそうです。

本当に後世にしっかり残したい稀有な才能なので、今後も機会があれば折に触れて語っていきたいです。



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